ブルーノ・マーズがこんなに人気を集めるワケ
洋楽と邦楽の壁を楽々と乗り越えてしまっている存在
ブルーノ・マーズの勢いが止まらない。新作『24 Magic』も2016 年秋に送り出された途端に大ブレイク。もう、あちこちから絶賛の声が上がりっぱなし。日本でも、フツーにテレビで紹介されており、現在ブルーノ・マーズは洋楽と邦楽の壁を最も楽々と乗り越えてしまっている存在でもあるだろう。
度を越した趣味の良さ
でも、彼のパーティ感覚に満ちた快楽的な音楽を聴いたなら、無条件にその事実には納得。とにもかくにも、ブルーノ・マーズの曲が流れてきた途端、もう最高にハッピーな、高揚した心持ちになってしまうこと請け合い。さらにそれは、彼がナイスガイで音楽のムシであることを教え、音楽を享受することがどんなに素晴らしいことかを雄弁に伝える。そんな素敵なことって、あるかい?
新作のタイトルトラックに顕著なように、ブルーノ・マーズの基本にあるのは、1980年代のアーバンソウル/ファンク。ちゃんと今の風を抱えたダンスポップであるのに、なんか人懐こさを持つのはそれゆえだし、そこには度を越した趣味の良さが横たわっているのは疑いがない。
例えば、ファンキーな『パーマ』という曲はどうだろう。その肉感的なビートにしろ、扇情的なシャウトの様にしろ、切れのあるホーンセクションの音にしろ、そこにはファンクの帝王たるジェイムス・ブラウンが持っていた妙味がたっぷり。なるほど、熱心な音楽ファンをも大きく頷かせる温故知新回路、豊穣さをブルーノ・マーズの表現は抱える。あんた、軽い形(なり)をしているのに、やるじゃん!なのだ。しっかりと基本を押さえているのに、お勉強くさくなくない。そんな彼の博識な趣味の良さも、万人に愛される下地となっているのは間違いない。
名コピーライターでもある
そして、彼の歌詞はとっても明快。これが、破格。実はちゃんと歌詞を吟味すると何気に意味不明だったりダサい内容だったりして、がっかりな曲って少なくないじゃない? その点、ブルーノ・マーズの場合はとても率直な言葉使いのもと、ポジティヴで快楽的に聞き手に迫る。それらは、本当に接してアゲアゲになっちゃうストーリーや風景にあふれている。要は、ツカえる。実のところ、それってとっても難しいことであり、彼は名コピーライターでもあると思う。
共同作業から生まれる開放的なミュージック
作曲者クレジットをよく見ると、どの曲も何人かが共作者として名を連ねられている。つまり、ブルーノ・マーズはチームとして作曲しているということだろう。だけど、そうであるからこそ、彼の表現は独りよがりにならず、万人の好みに合う楽曲として、聞き手の元に届けられるという真実はあるのではないのか。また、開かれた環境で曲が作られているためだろう、彼の曲に閉じた感じがなく、とても開放的。共同作業は、吉なのである。
濡れた感覚、微妙な切なさも備えるストレスフリーな歌声
それから、なんてったってブルーノ・マーズは歌声がいい。やはり、ヒットチャートに登るポップミュージックはボーカルが魅力的でないといけない。伸びやかな彼の歌声は、聞く者にストレスフリー。とともに、彼のボーカルは濡れた感覚、微妙な切なさを持っている。それも、本当に大いなる武器。そのボーカルの持ち味が彼の曲の訴求力を3割増しにしているのは間違いない。また、スッコーンと抜けている爽快感とともに、妙に心の中に入ってくるスウィートさや優しさも、彼の歌は併せ持つ。
“隣の王子様”的な気安さ……垣根なく受けいれられても当然!
そんな美点てんこ盛りの表現なんだもの、J-ポップの聞き手にも、なんら垣根なく受けいれられても当然ではないか。そりゃ、マイケル・ジャクソンやマドンナを筆頭に洋楽のスーパースターは往々にして普段邦楽を愛好している人にもアピールする。だが、気取りやセレブ臭のないブルーノ・マーズはもっと身近な位置にいて、聞き手に闊達に働きかける。その“隣の王子様”的な気安さもまた、彼の大きなアドヴァンテージ。だからこそ、彼の表現は日常のサウンドトラックという感じで機能し、ぼくたちの日々の時間を彩ってくれるのだ。