“Y”として過ごした日々は、今の私の礎になっている(大阪・我孫子 その4)〜劔樹人【あの街に鳴る音】最終回〜
エレクトロダブバンド・あらかじめ決められた恋人たちのベーシストで漫画家の劔樹人が、これまで住んできた街の思い出と、その頃の心情を綴るノンフィクション連載。リリカルな作風で人気の彼が、エモさたっぷりにお届けします。
日に日に大きくなる将来への不安
「このバンドはもう辞めよう」「やっぱり続けよう」を繰り返しながら、日に日に大きくなっていた私の将来への不安はいつしか限界に達していた。
結論は概ね出ていたが、自分の心の弱さと優柔不断さにより、なかなか決断まで踏み切れていないという状況がダラダラ続いていた。
当時、私はとある出来事からモーニング娘。や松浦亜弥を擁するハロー!プロジェクトと出会い、モーヲタ(モーニング娘。オタク)活動に生きがいを見出していた(この時の細かいエピソードは拙著『あの頃。〜男子かしまし物語〜』、もしくはその映画化である『あの頃。』(今泉力哉監督作)を参照していただきたい)。それにより、“進学もせずにやると決めた”ことによるバンドへの依存の気持ちは弱くなっていた。
さらに、ヲタ活を通じて仲良くなった“ハロプロあべの支部”と名乗るオタク集団のメンバーの中心が、“赤犬”という関西で人気のある大所帯バンドのメンバーとその周辺のバンドマンであったことが、私のバンドへの考え方に大きな変化をもたらしていた。
赤犬は、『フジロックフェスティバル』など多くの大型フェスへ出演し、関西はもちろん東京でもチケットがソールドアウトする人気バンドであった。
しかし、メンバーは皆、音楽のほかに自分の仕事を持っており、会社員であるメンバーもいる。だから基本的に週末しか活動しない。しかも半数は熱心なモーヲタなのである。彼らと過ごすことで、こんなふうに楽しくやっていけるバンド活動もあるんだという実感を得た私は、赤犬のような活動に憧れを持つようになった。
対して自分のバンドはというと。
その理不尽さは日々研ぎ澄まされていっているのであった。
そしてついに、年長者であるせいか、メンバーのなかで浮いていたギターのTさんがクビとなる。
これは終わりの始まりであった。
常に怒られ放題だった私も……
ある日、ついに爆発した。
私は初めてNさんに真正面から刃向かったのだ。普段口下手であり、不合格になった大学院入試の面接も、頭が真っ白になって何もうまく話せなかった私の口から、日々溜め込んでいた怒りの言葉があふれるように流れ出した。
この人生であんなにも流暢なアドリブ演説ができたのは、あれが最初で最後だったと思う。
大学でNさんと出会い始まった私の初めてのバンド活動は、4年ほどで終わりを迎えた。
バンド“Y”はその後ほどなくドラムのH畑も脱退。メンバーを替えながらしばらく活動し、最終的にNさんのソロユニットとなったが、今はもうやっていない。
変わらず音楽は続いてゆく
私はその後、いくつかのバンドを渡り歩きながら、2011年に“あらかじめ決められた恋人たちへ”のメンバーとしてフジロック出演を果たした。
フジロックで見た光景はこの人生でもっとも素晴らしいものだったと思う。でも、それで何かが変わるわけではない。翌日になればまた、変わらず音楽は続いてゆく。
それぞれのその時を生きてゆくのだ。
それでも、大阪の長居で、我孫子で“Y”として過ごした日々は、今の私の礎になっている。