吉川晃司と同期!? 元・演歌歌手が語るプロの厳しさ&仕事の矜持【社長と音楽】

[2017/2/22 11:00]

元演歌歌手の社長さん!?

新規顧客の100%が電話営業でなく“紹介”という話題の不動産会社グランヴァン。マンション投資や経営のサポート、保険の見直しや信託マネジメントなど多岐にわたり事業を展開する同社だが、社長はなんと元演歌歌手! 歌手時代はかなり厳しい日々を過ごしたようだが、その経験が今の仕事に大いに生かされているとのこと。生き様も体格も特大スケールの豪快社長に迫る!


酒が好き……でデビュー!?

グランヴァン株式会社 松平博雄社長

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――音楽好きの社長さんを紹介する連載なのですが、社長は演歌歌手としてデビューしたことがあるんですよね?

ハハハ、そうなんです(笑)。3つ上の兄貴がいるんですけど、稲垣潤一さんと昔バンドをやってたりもしてて、兄貴のほうが音楽好きっていう感じなんですけどね。

――おぉすごい! 音楽一家なんですか?

いやいや、全然です。仙台の実家は小売り酒屋だったし、僕はスポーツやったり空手やったり硬派だったから、音楽好きっていう感じでもないんです。どちらかと言うとケンカのほうが得意で……(笑)。

――身長もとても大きいですもんね。めちゃくちゃ強そうです……。

ハッハ! 185センチあるんですよ。

スゴい迫力!

――そんな社長さんが、どういう経緯でデビューすることになったのでしょうか?

東京の大学を卒業したんですけど、ゆくゆく仙台で酒屋の支店を出すために横浜の酒屋で2年間働いていたんです。修行を兼ねてね。その頃は夜はけっこうヒマだったから、後輩のアルバイトとしょっちゅうスナックに飲みに歌ってて、そこでカラオケをやってたら歌がうまいって噂が広がったんですよ。

――どんな曲を歌っていたんです?

『コモエスタ赤坂』(ロス・インディオス)が多かったかな。あとは前川清、森進一、五木ひろしとか。

――まさか口コミでデビューですか?

いやいや(笑)。よく一緒に飲みに行っていた仲間が僕の履歴書を東京の劇団に送ったんですよ。そうしたらオーディションに来ないかっていう話になって。

――劇団!?

そうなんです。それで面接のときに「君は何がしたい?」って聞かれて、特に何も決めてなかったから「歌です!」って言っちゃってね。「どの曲、歌える?」って言われたからとっさに『コモエスタ赤坂』って。

――出ましたね(笑)!

ハハハ(笑)! で、歌ってみたら受かったんです。それで1週間後にまた行くことになったんだけど、道に迷って遅刻したらひどく怒られて。僕も若かったからキレ返しちゃって、ふてくされて座ってたら、作曲家の天井正(あまいまこと)さんに声かけられたんです。「おい、そこのデカいの! お前なんか歌ってみろ!」って。それで……

――『コモエスタ赤坂』!?

そう(笑)! そうしたら「おもしろい声してるな。お前、酒は飲めるか?」って誘っていただいて(笑)、結局、天井さんの事務所にお世話になることになったんです。ほとんど飲みに連れて行ってもらってたような感じでしたけど(笑)。それでしばらく天井さんのところに通っていたら、新人歌手のオーディションがあるっていうことでディレクターが来ていて。僕もたまたまそこにいたから歌ってみたら「お前おもしろいな!」ってデビューが決まったんです。

同期はなんと……!?

芸名は“松平あきら”。デビュー曲『赤い女のBlues/気がかり』(1984年)

――すべてが奇跡的ですね。デビューは何歳のときですか?

1984年だったから27歳ですね。

――同期は誰になるんでしょうか?

吉川晃司です(笑)。

――えっ!? 吉川さん!?

そうなんですよ(笑)。

――……おふたりとも大柄ですし、成り上がり感も似てるかもですね。

あちらは大スター、こっちは全然ですけどね、ハハハ(笑)!

――当時はどんな活動を?

ちょこちょこテレビに出たりラジオに出たり、小さいライブをやったりしてました。デビュー当時は地元では盛り上がったんですけど、そのうち仕事が入らなくなってきて、ヒマでヒマでしょうがなくなっちゃってね。最初はマネージャーもいたのにひとりでキャンペーンに行かされるようになったりもして。

――厳しい世界だった?

そうですね。楽しい思い出はほとんどないかもしれないですね。クラブに歌いに行っても「男はいらない!帰れ!」って言われたりして。美川憲一さんの前座をやったりもしたんですけど、待遇が全然違うわけですよ。美川さんは大物だから付き人が10人くらいいて。僕は着替えもトイレだし、10曲くらい歌っても1万円くらいしかもらえない。交通費も全部自腹だし、本当に金がなくて、辛かったです。

――何年活動したんですか?

3年弱ですね。地元に帰るとサラリーマンをしてる友達が「調子はどうなんだ?」って聞いてくれるんですけど、どんどんサラリーマンが羨ましくなってきて。固定給で交通費も歩合も出る……俺は全部自腹で金もない。さすがに30歳も目の前になってきて、このままじゃ人生終わるなと思って。まだ続けろって励ましてくれる人もいたんですけどね。

当時の資料。身長は逆サバで183センチになっている

歌手を辞めて営業の才能が開花! 大切なのは“気働き”

――その後、どのようないきさつで今のお仕事に?

歌手活動をしてて全然仕事がないときに、実は自分でマネージャーのふりをしてラジオ局に電話して、放送枠を取ったりしてたんですよ。そのときから自分はもしかしたら営業向きなのかなって思ってたんですけど、歌手を辞めようと思っていたときに、友人からマンション販売の営業をやらないかって誘ってもらって。今も僕の会社にいる親友なんですけどね。

――そこで才能が開花したわけですね。

やってみたらどんどん契約が取れちゃって「これはいい商売だな!」って。固定給だし、交通費も出るし、歩合も出る。朝から21時くらいまで働いてたって、歌手のときに比べたら全然キツくないですし。

――歌手活動とはやっぱり全然違った?

嫌がられるところに歌いに行って、罵声を浴びせられて帰ってきて。金もなくて、妹にまで借りて。そんなのに比べたら営業の電話でいくら断られても全然辛くなかったですよ。一日中やってられるよっていうくらい。自分にとっては天国だって思いましたよね。

――その後、社長にまでなられますが、どんな部分を大切に仕事をしてきましたか?

やっぱり気働き、そして人との繋がりですね。グランヴァン株式会社は今では完全に紹介営業というスタイルを取っているんですが、それもやっぱり歌手活動の経験が生きているんです。僕が不動産の営業をやり始めた頃は電話営業だったんですけど、その頃から僕は紹介営業みたいなこともやっていて。お客さまと一緒にいろんなところに行って、そこで知り合った方と仲良くなって、不動産を買っていただいたりしていたんですね。お客様に「ダンスパーティに来ない?」って誘っていただいたら喜んで参加して、みなさんと楽しんだり。歌手のときに社交ダンスもやっていたので、踊りを披露するとみんな喜んでくれるんですよ。そうやって実際に人と接しながら、仕事をしていったんです。

笑顔も豪快でステキだ。結婚11年で子どもは5人!

――それが現在の紹介営業というスタイルに繋がっているんですね。

そうなんです。本当は歌手のときにもっと歌とかダンスを生かせればよかったんですけど(笑)。でも、歌手活動の経験が今の仕事ですごく生きているのは間違いないですね。無駄なことって何ひとつないんですよ。そんなやり方で仕事できるのは社長だけだって社員にはよく言われますが、社員みんなでがんばっています。完全に紹介営業に移行して1年以上が経ちますが、新規契約件数は過去最高になりました!

――すごい! 歌手デビューのきっかけも人付き合いからだったわけですもんね。

そうですよね。歌がうまいからデビューできたわけじゃなくて、単に酒飲みでおもしろいやつだったからでしたしね(笑)。


プロの世界に呼ばれる人

体格の大きさもあって非常に華があり、外タレさんのような雰囲気をまとった社長。話も非常におもしろく、その話術にグイグイと引き込まれ「これはプロの世界に呼ばれる人だな」と実感した。お若いときも超絶カッコよかっただろうな……。そんな社長が率いるグランヴァン株式会社は、社員の多くも“紹介”で入社しているという。不動産に関する相談があればチームワークあふれる同社に相談してみてはいかがでしょうか!? 元歌手の社長さんの会社だけあって、でっかい声で思いっきり歌っても怒られない物件なども親身に紹介してくれるでしょう! 松平社長、ありがとうございました!

プロフィール

まつだいらひろお●1956年6月8日生まれ。宮城県仙台市出身。大学卒業後、酒屋店での修行などを経て、1984年に『赤い女のBlues/気がかり』(芸名は松平あきら)でデビュー。3年弱の活動を経て1986年に株式会社初穂に入社。1992年に大芳建設に営業部長として転職。1995年にグランヴァン株式会社の前身となるヴァン都市開発株式会社の取締役に就任。1999年にグランヴァンを設立し、現在に至る。

グランヴァン株式会社

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