掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』【新聞配達・2】
本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!
続・新聞配達(嫌々と)
人生初のバイトに新聞配達を選んだことに、特にさしたる理由はない。中学生にやらせてくれるバイトが田舎町には他になかったからだ。レコードも本も自分の小遣いの範囲を猛烈に超えて欲しいものがあるからには、ゼロ以下の労働意欲を萎えた男性器を無理矢理しごくが如く奮い立たせて働かなければならなかった。人々が想像する数万倍、本当に嫌々やっていた。
新聞専売所は実家から歩いて5分程度のところにあった。女社長(熟女AVに出てても絶対レンタルしないタイプの明るく色気のない小太り。推定58歳)、社長の娘(アイメイクが下手で味海苔を貼り付けたような眉だったので裏で「タケちゃんマン」と呼んでいた。ヘアスタイルは石倉三郎風。推定37歳)、配達員のまっちゃん(睡眠時間が少ないせいかいつも顔が土気色。塗装屋が着るような目立たない紺色のウィンドブレーカーを夏でも着用。精勤によく働く。推定50歳)。誰もが新聞を必要とし、いまでは考えられないほど読んでいた時代、それなりに繁盛し忙しかったごく普通の専売所だ。
朝配るから朝刊
早い者は夜明け前から専売所に来て自分の担当区域の新聞を受け取り、配達に出かけていく。だが俺は6時半より前には絶対にバイトに行かず(『まいっちんぐマチコ先生』の再放送を観終わるまで家から一歩も出ないと心に決めていたため)、多少よく寝た日の朝、担当区域の最後の家の新聞を配達する頃には、余裕で朝8時を回っていたのは前回も書いたとおり。「朝配るから朝刊。夜明け前に新聞が来たらそれは恐怖新聞」という強い信念に基づいての行動だったが、当然理解されるわけもなく、タケちゃんマンから「高橋くん(本名)、もっと早く来てもらわないとホント困るわ。でないともう、辞めてもらうしかないんでないかい」とため息混じりに言われることが度々あった。当然、聞く耳を持つような俺ではない。その頃、俺の性根はスーパー腐りきっていたため、口ではハイ、ハイと生返事しながら、心の中では「タケちゃんマンのくせにまともなこと言ってんじゃねえ! 行かず後家! 潰れろこんな新聞店!」と全力で逆恨み&想像の中で眉毛を毟り取ることに執心していた。子供だったとはいえ、本当に最低だった。
「さぼり」
何故そこまで労働意欲に欠けていたかといえば、やはり賃金が猛烈に低かった故。一区域100部程度を4~50分かけて配達すれば終わる超単純労働とはいえ、300円という鼻血が出そうな日給しかもらえなかったことで仕事をナメきっていた。毎日休まず行って月給9000円程。北海道なので冬場に外が吹雪いていたり、ちょっと寝不足でダルいときには躊躇せずに専売所に電話を入れ、「(上田正樹のような嗄れ声を作って演技して)風邪引いちゃって……熱があるので……ゲホゲホッ、今日は休ませてゲホッ下さい」と一方的に病欠を告げた。電話に出たまっちゃんが狼狽&憔悴した声で、「えっ! こ、困ったなぁああ……きょ、今日はみんな休んでて、た、大変なんだよぉぉ。そんなに新聞配ったらおじさん、死んじゃうよぉぉ。た、高橋くん、おじさんを殺さないでくれぇ」と本気で困っていたのを全力で聞かないふりし、かき消すように偽咳を強くかぶせ、ほぼ一方的に電話を切った。ズル休みをした上、(新聞一区域配るの増えたぐらいでまっちゃん大げさなんだよな~)と思いながら二度寝したことを、この場を借りてまっちゃんに全力で謝りたい。翌日、まっちゃんの顔は土気色を超えて緑っぽくなっていた。
【著者紹介】
掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。