竹下幸之介(DDTプロレスリング)の『ニシナリライオット』第1回:「序章」
DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介がつづる、地元・西成のお話!
みなさんが小学生の頃、これだけは負けなかった。これはやっておいてよかった。これが自慢できるんです。と言えることはなんですか。
はじめまして。竹下幸之介、職業はプロレスラー。1995年5月29日生まれ。1995年といえば地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災、ユナボマー・マニフェストなどに代表される激動の年で小室ブーム真っ只中だ。普段はDDTというプロレス団体で週に2〜3回四角いリングという名のジャングルで戦っている。
一応、DDTの未来を担う若き逸材らしい。(ウィキペディアに書いてあった)
プロレスラーとしてのデビュー戦は今から7年前。2012年8月18日、日本武道館。プロレス界では珍しい「現役高校生プロレスラー」という肩書きで、それはそれは華々しいデビューだった。高校生が部活感覚でプロレスなんてするな!という世間の声には、これっぽちも耳を傾けずにむしろ逆上させる勢いでその後大学進学まで決めてしまった。
日本には学生プロレス(通称学プロ)というそれこそ部活感覚でプロレスをする団体などが全国各地の大学にあり、前代未聞の「現役“学プロ”プロレスラー」になりたかったのだが、残念ながら私が入学した日本体育大学には学生プロレスのサークルはなかった。
男という生き物はコレクション癖があり、私の場合は「○○プロレスラー」の肩書きを集めたくなったため、留年したらおもしろかろうと素行不良と授業態度怠慢などで留年を志すも(完全に目的と手段を履き違えているが)なんせ根が真面目なものだからストレートで卒業してしまった。しかしラッキーなことに、ジャーマンスープレックスの研究で卒業論文を書いたのが高評価を得、卒業もできちゃうし必殺技の威力も上がっちゃったということでレアな「一石二鳥レスラー」をコレクションすることはできた。
学業とプロレスの両立はそこそこ大変で、「大学院レスラー」を目指すHPは残っておらず2018年3月に卒業してからは毎日10時間寝て、ゴールドジムで筋トレに励み、家でゴロゴロしながらマンガを読む日々を送っている。その姿を見かねた(いやプロレスはめちゃくちゃがんばってるんですけどね!!)大人たちが、コラムを連載する場を用意してくれたのだ。
ここまでが私の大雑把なプロフィールだが、自己紹介にあたり大切なことを記し忘れていた。故郷が書いていないではないか。これでは天使が見れない。
生まれは大阪府大阪市。大阪市といってもいろいろある。実は私は、昔から母や祖母に「大阪市の先を聞かれても言ったらあかんで」と、肝に命じられていた。それどころか「浪速区とか、阿倍野区とか、住之江区とか言うとき」などと住んでもいない地域の名前を出し、嘘をつくことを推奨してくるのだ。
おわかりいただけただろうか……。私、竹下幸之介の故郷はそれらの街に囲まれた日本唯一のスラム街・西成区なのである。
私が小学生のときのことで自慢ができることはふたつある。ひとつは西成の小学校に通っていたという事実。西成でなければ経験できなかったことがたくさんある。生まれ変わったら西成で生まれる or 生まれないという選択肢があるなら来世も西成出身だ。
自慢できることふたつ目は、小学5年生の夏からライブドアブログを開設して毎日更新し続けたことだ。日記と違って画像を残すことができるし、いつでもどこでも振り返ることができる。ブログの更新は高校2年生までほぼ毎日欠かさなかったので、7年間の甘酸っぱい青春時代を事細かく振り返ることができる。
この機会に西成について語りたい。ブログを紐解き、西成での記憶と記録を振り返りたい。さらに、現在どうなっているのか、その後どうなってしまったのか、ブルーシートの中でバックギャモンを教えてくれたホームレスのおっさんはまだいるのか、パンチングマシンで300キロ出すフィリピン人は少年院から出てきたのか。時空超越ドキュメンタリーとして自分自身の答え合わせをするとともに、西成の魅力を勝手にお伝えしていきたいと思います。