竹下幸之介(DDTプロレスリング)『ニシナリライオット』第48回:「縦の尻はあなた、横の尻は私」

連載・コラム

[2021/1/24 12:00]

DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!


2008年02月10日

577話『弁当がおでん。』

今日は朝から家族で受験番号の写真をとりに行きました(・∀・)
その時電車で行くと思ってたんですが・・・
家の前にダイハツ"ミラー"が・・・

父上が知り合いにもらったそうです(゜-゜)
広さ一畳あるかないかです(笑)
胃が圧迫され苦しく外に出た時の開放感が最高です('◇')ゞ
まあないよりはある方がいいです(^^ゞ

追記 相変わらずマスターハンドはオーラあるな


<「お胸が豊かすぎる」「鼻血がでそう」華原朋美のセクシーショットに動揺コメント続出!?>

ナンバープレートとか包み隠さず載せてるのが時代を感じさせます。

なぜか父が知り合いにもらってきたミラ。今でもその経緯は不明ですけど、もともと社用車として使われてたそのミラは、運転席と助手席を最低限座れる位置まで後ろに下げると、後部座席の人は足を下ろすスペースがないので、椅子の上に正座するか三角座りするしかないっていう今じゃ考えられない仕様で。その乗り方にもコツがあって、2ドアなんで後部座席の人は助手席から乗るんですけど、車の天井部分を掴みながらまず足だけを車内に放りなげて、そのままリンボーダンスをするかのように上半身も入れていく。これはいつも弟がやってました。その横には重量級の母が座らないといけないのですが、狭すぎて入らない。中からは弟が引っ張り、私と父で外から押し込む。そして助手席を無理やり押し込んで蓋をする。

これでやっと準備完了。しかし母の

「これで20分以上乗ってたら、足が痺れて動かなくなってきた」

の一言で片道20分以上の移動は避けることになりました。でもずっと家には車がなかったから嬉しかったのを覚えています。

ちょっとした買い物もこのミラでいくわけです。駐車場に停めて、いざスーパーに行こうとすると、まわりにいる人たちはいつも目を丸くしていました。そりゃそうです。2人乗れたら充分のその軽自動車から大型家族4人が出てくるわけですから、多分不思議でしょうがなかったんだと思うんです。

このミラは結局ここから2年くらい乗りました。忘れもしません、中学1年生のとき。当時、仲がよかった女の子と遊びに行くことになりました。まだ中学生だから親御さんとしては心配です。堺のラウンドワンまで、行きは女の子のお母さんが車で、帰りは竹下家が車で送迎をしてもらうことになりました。

その子はめちゃくちゃお金持ちの子で、お母さんが社長さんだったと思います(たしか)。車もBMW。人生初のBMWに感動していると堺に着きました。まるでワープしてきたのか?というようなストレスフリーのドライブにさらに感動。車から降りても膝も腰も痛くない! またもや感動すると同時に、帰りはうちのミラがやってくる! と思うと急に恥ずかしくなってきて、ラウンドワンどころじゃなくなりました。

気が気じゃない。しかし、お迎えの時間は刻一刻と迫ってきます。私は勇気を振り絞って、思いの丈をぶつけました。

「うちの車ちっちゃくて可愛いよ」

そしてミラが堺駅の前にやってきた。

せめて助手席に座ってもらったら幾分かくつろいでもらえるはず。そんな思いも家族総出で乗ってきたミラを見ると、一瞬にして消し去られました。

その子も「ぷう~~」と屁のような音を鳴らしながらこちらに近づいてくる異様な車に気付き、まるでちっちゃい移動式の箱の中に入った雛人形のようなその佇まいに度肝を抜かれたのかただただ笑っていました。

「このままみんなで焼肉食べに行こか。〇〇ちゃん、後ろ乗ってー!」

一体、このどこに乗るというのか。

後部座席ではその子と、弟と、母が少しずつ重なり合いながら乗っていました。

縦の尻はあなた、横の尻は私。重ね合ったお尻はいつも座席を暖めうるかもしれない。

竹下幸之介

1995年5月29日生まれ、大阪府大阪市出身。身長187センチ、95キロ。現役高校生レスラーとして2012年8月の日本武道館大会でデビュー。高校卒業後、日本体育大学へと進学し、学業とプロレスの両立に励み、2018年3月に無事卒業した。卒論のテーマは『ジャーマン・スープレックス』。2018年4月に入江茂弘に敗れるまで、KO-D無差別級王座11回防衛の最多記録を樹立した。地元西成への愛が深く、2018年大みそかの『年越しプロレス』には、「西成魂」の刺繍が入ったオーダーメイドの特攻服をわざわざ作って参戦。“西成のエリートヤンキー幸之介”として愛されている。