竹下幸之介(DDTプロレスリング)『ニシナリライオット』第51回:「わが故郷、西成」
DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!
2008年03月19日
613話『山下』
いや~ついに最後の授業&給食やった!!
普通のいつもどおりの授業やったけど色んな感情がこみ上げてきた(^^ゞ
卒業アルバムのチャーリーの文章見て泣いてもうた(T^T)
チャーリー泣かせんといてくれよ~!!
ほんでからみんなとワイワイして帰宅して友達に連絡するとみんなが難波に集まってるとのこと(・・?
なんばパークスで待ち合わせてブラブラしてました('◇')ゞ
なんかのんびりしてて楽しかったな~(~▽~@)♪♪♪
うわ~ついに明日卒業式や!!
どうしよう・・・
追記 緊張
614話『旅立ちの日に』
3月19日 卒業式ー
朝から色んな思いがあって自分をコントロールできないでいました。
だけど学校に行ってみんなの顔を見るとホッとして安心しました。
内容は素晴らしい卒業式だったと思います。
そして,卒業式が終わり友達と写真撮ってる時にすごく大きな不安に包まれてどうしようもなくおかしくなり,お母さんに当たったりしました・・・
いろんな突っかかるもんがあって,その中でも昨日気づいたことがあって,何人かの卒業文集読んでやっぱ最高やなって改めて思ってて,けどそれも今日でさようなら。
みんなは中学一緒やけどボクだけ区域が違う・・・
そんな不安に襲われました。
帰りの車の中で父に怒鳴られたのですが,そんなこと耳にも入らない・・・
本当に不安に包まれるばかり。
そして,その不安に押し潰され泣き崩れてしまいました。
友達の前では我慢してたものが爆発しました。
そして,とある人の手紙を読みました。
その手紙の一節にはこう書かれていました・・・
「母校は南津やで」
と・・・
さっきまであった不安が一気になくなり,ボクにはたくさんの友達がいて,その中には相談しあえる親友もいたことに気づかされました。
すぐに,その手紙をくれた人に連絡し感謝を伝えました。
そして,たくさんの友達からメールが来てみんなの文章にはこう書かれていました・・・
「またいつでも会いにきてな」
その一言がすごく嬉しくてパワーになりました。
さっきのどん底から手を差し伸べてくれた友人達。
みんないい奴ばっかです。
同じ84期生でいれたことを嬉しく,そして誇りに思います。
そして,みんなに感謝してることを伝えたい。
みんな本当にありがとう
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小学生の頃の黒歴史ともいえるブログを振り返ること2年。ついに小学校を卒業するときがやってきました。この日のことは今でも覚えています。
私が在校していた大阪市立南津守小学校の区域の子どもたちは、大阪市立玉出中学校に通うことになります。でも中学受験をしていた私は、同級生たちとは別の道に歩むことになるわけで、それが卒業式当日に確かな実感として込み上げてきました。
自分だけその輪から外れてしまうことが嫌で嫌で仕方なかった。急に卒業式には出ないと駄々をこねて親に説得されても布団にこもってたら同級生が家まで迎えにきてくれて、寝癖もそのまま、目やにもつけたまま学校に行きました。
6年間通い慣れた通学路。土井さんっていう駄菓子屋の前、ピストルおじさんに追いかけられた公園、毎日玉田のおっちゃんとサッカーをやった公園、チャーリーが自転車事故した交差点。そこを歩きながら学校に着くと、いつもと変わらない光景があって、明日も明後日も小学生でいられるんじゃないかな。新学期になったら小学7年生になれないだろうか。そんなことを考えながら、気づくと校長先生の長い話が終わって、担任の先生に名前を呼ばれた。
練習どおりに「はい!」と元気よく返事をしたつもりが声が出ない。そんなことは後にも先にもこのときだけで、込み上げてくる嗚咽を必死に押し殺していたんだと思います。あんなに何十回も練習した『旅立ちの日に』も満足に歌うことができず、「いま〜 (いま) 別れの〜とき〜 (とき〜)」と、ハモっているときには号泣少年と化しており、恥ずかしいと思いながらも泣いていた。
それから紅白饅頭をもらって解散。友達の前で泣くのはまだしも、親の前で泣くのは嫌だったので、平静を装ってました。
あまりにも小さいダイハツ・ミラで家まで帰りながら、おし黙る私に両親は
「中学校もがんばりや。新しい友達もできるやろ」
と声をかけました。そのとき、小学生を気持ちの面ではまだ卒業できていない私にとって、その言葉はあまりにデリカシーがなく、泣きながら反抗しました。
ミラがひっくり返るんじゃないかというほど掴み合いは激しさを増して、父親の首根っこを掴みながら、小学校の6年間で力も強くなりすぎてしまった自分に気づいて冷静さを取り戻したときには、その場にいられる心情でもなくて、歩いて帰りました。
ボロボロになってしまった制服を見つめながら、まさかこんな形で制服の第二ボタンが取れるなんて皮肉だなと思いながら家に帰りました。
今でもあのときの感情はなんでそうなったのかわかりません。実際、中学校でも素晴らしい仲間たちに出会うことができて、高校の友達もみんないいやつです。
でも今でも西成の友達は特別で、年に1、2回は帰阪するたびにみんなには都合をつけてもらって飲みに行ってます。
大企業に就職したやつもいれば、ギャンブルに人生のすべてを委ねてる猛者、刑務所にいるやつ、まったく音信不通のやつ。西成という街はその誰しもを受け入れてくれる場所。
そこが自分の"故郷"だと胸を張って言える大人になりました。