m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第2回〜浪人時代の俺っ!

連載・コラム

[2019/7/18 12:00]

厳格な父親との思い出

 札幌に住んでたのになぜ旭川へ? それは簡単。厳格な父から離れて自由なキャンパスライフをエンジョイしたかったから。偏差値は札幌校のほうがちょっと高かったから悔しかったけど。
 親父にはいつも「勉強しろっ!」って言われてきた。中学のとき、当時157センチしかなかった俺がバレー部に入り、垂直ジャンプ70センチを武器に副キャプテンでがんばっていたときも「鞠遊びしてる暇があるなら勉強しろっ!」って怒られたし、体の3分の1くらいある大きなジャンボギターを抱えてライブやったり、曲作りをしていたときも「じゃんじゃかやってる暇あったら勉強しろっ!」っていう感じだった。親父は頭もいいし仕事も順調だったはずなのに、なぜそんなに学業とか学歴にこだわるのかな、といつも思っていた。それでも「俺のようになれっ!」とは言わなかったから、「たぶんなんらかのコンプレックスがあるんだろう。俺にはそんな思いをさせたくないと思っているのだろう」と、当時の俺はとってもいい子的な解釈をしていた。だから俺のなかでの答えは簡単! 好きなことをする! でも親父に文句を言わせないくらいは勉強もする! ね、簡単。
 そんななか一度だけ親父に反抗したことがあった。大学の合格発表があったときのこと。親父の帰りが遅かったので、翌朝「おかげさまで合格しました。浪人させてくれてありがとう。旭川でがんばります!」と最大限にいい子的な報告をしたところ、

「ふ。都落ちか」

「えぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 息子が自分の人生を考え、多少のプライド(実力よりやや低い偏差値の学校を選ぶこと。安いプライドさ!)を顧みず学校を選び、あなたの暴言に対しても愛のある解釈をし、反抗もせずにいい子だったこの俺の晴れの日に……なんと!都落ちとは! そのとき、極真空手をかじっていたので親父に向かって初めてファイティングポーズをとってしまった。顔もものすごい表情してたと思う。そして、それをみた親父が「やるのか?」と、俺より短い足で蹴る仕草をしてきた……。
 速かった。俺のローキックは速かった。だって極真だし。瞬時に親父の左を軽く蹴ってしまったのだった……。短い右足で親父が俺を蹴る仕草→その動作がみえた瞬間にすでに親父の軸足(左)に軽いローキック→親父、びっくり顔しながら転倒→親父、火の入っていないストーブに左脇腹をぶつける→「グオ〜っ」って初めて聞く親父の悶絶の声。しかし、予備校に合格報告に行くところだったので、母は「早く行きなさい!」と言い放った。多少は心配したけど「あんな軽いローでなんで倒れるかな」くらいの気持ちだったから、そのときはすぐに予備校に行ったんだ。
 予備校に報告したあとは合格した仲間とまた音楽話をして帰宅。すると母が小声で「お父さん、肋骨折れてて会社休んだよ」

「!!!!!!!」

 以上、初めての反抗のお話でした。あ〜っ! 全然音楽の話が出てこなかった! 申し訳ない! じゃあ大学に入る前に買った機材だけご紹介。ローランドのモノシンセ『SH-2』。モノシンセもかなり安価でいいものが出てきた頃にやっと買えたシンセで99,900円だったかな。もちろんローン。これは名機! 今も持ってる。
 リズムマシンも同時に買った。『Dr.Rhythm. DR-55』。15,000円くらいだったかなぁ。これらを持って旭川へ! 次回は大学生編!

m.c.A・T

1993年に『BOMB A HEAD!』でデビュー。ライブ活動と並行してプロデューサーとしても活躍し、DA PUMPのプロデュースを手がけて一世を風靡する。現在もさまざまアーティストへの楽曲提供/プロデュースワークを行う傍ら、ライブ活動を展開している。