m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第3回〜大学時代の俺っ!

連載・コラム

[2019/8/15 12:00]

ボンバヘッ!でお馴染みのヒット曲『Bomb A Head!』のほか、DA PUMPの育ての親としても知られるm.c.A・T。日本屈指のプロデューサーの自伝的連載がスタートだぜっ!


大学では軽音部で大活躍! 運命の出会いも!?

 無事に北海道教育大学(旭川校)に合格し、ひとり暮らしが始まった。親戚の計らいで、古いものの3部屋もある平屋を借りることができたから、高校の頃の同級生で同じ大学に通うことになったベーシストと同居することになった。
 ふたりでまず何をしたのかと言うと、軽音楽部に入部すること。話を聞くために部室を訪ねると、楽器が弾けなくてもボーカル専門で入部できるということだったので、めでたく入部。そして同期のドラマー、ギタリストと先輩のキーボーディストでバンドを組むことになった。メンバーはみんな上手だったので1年生にも関わらず大学祭や自主コンサートでトリをとらせてもらえたりしたなぁ。ただ、このバンドはカバー主体だったので、俺は個人的にひとりで曲作りを進めてたんだよね。
 アナログモノシンセが主体だった時代だったけど、在学中にヤマハから画期的なシンセ『DX7』が発売されて世の中は本格的なデジタルシンセ時代に突入。当然バイトもしてたけど、高額な『DX7』は買えなかったから先輩に借りて使ってた。でも当時はアルゴリズムがよく理解できなかったから、音作りはアナログのほうがしやすかったし、ファンクが好きだったから、デジタルのブラスよりもアナログノコギリ波のブラスが好みだった。

DX7

 軽音楽部には先輩と仲がいい社会人の人も在籍してて、社会人のキーボーディストと意気投合して、音楽や生き方についてよく話してた。そんなとき、彼が俺の人生を変えることになる機材を貸してくれたんだ! 貸してくれたのはTEACの『サウンドクッキー』っていうMTR。俺にとって初めてのMTRで4チャンネルのマルチレコーダーだった。それまでは先述のピンポン録音でやっていたけど、いやはや4チャンネルもある! 音もいい! ピッチも早くならない!(次ページへ)