TAKEMURA(SNAIL RAMP)『43歳のバンドマンチャンプ』【勝利のアナウンスが鳴り響いたあの日(part.2)】

連載・コラム

[2015/11/17 17:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのメンバーでありながら、キックボクシングの日本チャンピオンに上り詰めたTAKEMURAの自伝的連載!


SNAIL RAMPメンバーとの確執
「応援することはできない」

キックのジムに通い始めた2001年、SNAIL RAMPはとても忙しく、ライブ、取材、曲作りと連日ビッシリのスケジュールで、それをこなすだけで精一杯。しかしキックボクシングに徐々にのめり込んでいく俺。当然ながらそれをメンバーは冷ややかな目で見守っていたし、それが2002年10月からの長期オフ(と言う名の、無期限活動休止)に繋がる原因のひとつであったろうことは否めない。

この長期オフによって所属事務所、レコード会社には多大なる迷惑を掛けたし、何よりそれまでSNAIL RAMPを応援してくれていたキッズの期待を裏切ってしまった。当時のバンドホームページには「キックなんてやってる暇があるなら、曲書いて活動しろよ!」という類の書き込みもチラホラと見られ、批判を受けているのは重々承知していた。

2004年10月のSNAIL RAMPの活動再開後は周囲からの批判はグッと減ったが、ツアー合間に手(右手人さし指、中手骨)を骨折したり、顎を骨折して歌えなくなりライブを1本キャンセルするなど、相変わらずバンドに迷惑を掛けていた。特にライブをキャンセルしたのは、そこそこ長いバンドマン人生でも初めてだったので、自分でもショックだった。

それまでにも「肋骨が折れてる」「手が折れてる」「ライブ中に前十字靭帯断裂」「熱が40度」などの悪条件はあったが、ライブだけは絶対にキャンセルせず、最後までやり通した。ただ、顎の骨折時だけはどうしようもなかった。どうあがいても、口がほとんど開かなかったのだ。

そんなこともあり、「キックボクシングを応援することはできない。だから試合を観に行くこともない」と俺にハッキリ言い放つメンバーもいた。もちろん、もしチャンピオンになれたとしても、迷惑を掛けた数々の件をチャラにできるとは思わないし、当時のキッズから許されるともまったく思わない。

チャンピオンになってケジメを
緊張が走る、アナウンスの瞬間
さまざまなことを犠牲にしてきたからこそ、何としてもベルトを獲り、せめてケジメくらいはつけなければいけないと勝手に決めていた。そう、せめて「チャンピオンになる」というひとつの結果を出し、不本意な思いをさせた人たちが納得はしてくれなくとも、多少の理解だけでもしてほしい、そんな身勝手な思いもあった。

ここに辿り着くまでに、ここに辿り着くために、本当にさまざまな思いをしてきた。だから最後のチャンスであるこのタイトルマッチは、文字どおり石にかじりついてもモノにしなければならなかったのだ。

しかし試合は拮抗、フルラウンド闘った今もどういった判定になるか、予想がつく人なんてまったくいなかった。ジャッジは3名。その内ふたり以上の支持を得られた選手の勝利だが、引き分けではチャンピオンのドロー防衛となる。挑戦者の俺がチャンピオンになるには、絶対に勝たなくてはいけない。勝って、禊の一部だけでも済まさなければ、つくケジメなどない。

ジャッジペーパーの集計が終わり、リングアナが宣言する。

「判定の結果を発表します」

「50-49、青コーナー竹村!」

よしっ!まずひとりの支持を得た。自陣セコンドや応援してくれている観客のみなさんがドッと歓声を上げる。しかしやはり僅差。非常に危ない橋だ。

そしてふたり目のジャッジ。

「49-49、ドロー」

会場、そして両陣営、両応援団から漏れる溜息。これはマズい。ジャッジの好みが分かれている。これで3人目のジャッジがチャンピオン支持だった場合、3者3様のドロー。結果としては引き分けだが、挑戦者の俺はタイトルを賭けた勝負には負けることになる。

そして、リングアナは最後のジャッジを発表した。

「50-46……」

は?そんなにポイント差が!? やはり、だ。ジャッジの好みが分かれたのだ。ということは、恐らくチャンピオン支持。またもやドロー。あぁ、俺はタイトル奪取に失敗したんだな……。12年間打ち込んできたが、とうとうベルトを巻く夢は叶わなかった。俺もこれで引退か……そう思った瞬間、リングアナは続けてコールした。

「青コーナー、竹村!」

このあとから、しばらく記憶がない。

映像を見返すと、2~3歩フラフラと歩き、そのまま四つん這いに突っ伏していた。そして「……勝った!……勝った!……勝った!」と泣きながら、ただただ叫んでいた。

気付くとリングサイドにいた各紙のカメラマンたちがカシャカシャと、這いつくばっている俺の表情を撮っている。我に返り、急に恥ずかしくなった俺は立ち上がり、自陣コーナーへと戻っていった。

何のスポーツでもそうだが、勝利の瞬間にかっこいい喜び方をする人と、それができない人がいる。俺は完全に後者だった。今思えば「勝ったあとのことをシミュレーションして、どう振る舞うか、どう喜びを表すのか」をきちんと考えておけばよかったのだろうし、それをやっておく人は実際多い。

それは「計算高い」みたいなことではなく、人さまに観ていただくプロスポーツである以上、むしろ当たり前にやるべきことだ。それができなかったのは、試合までの激しい練習と減量でそこまで考えられる余裕がなかったことと、単純に自分がチャンピオンになる場面が想像し難かったからだと思う。

結局「実際にチャンピオンになってみるまでその考えには至れなかった」というのが事実。端的に言えば、タイトルマッチを勝ったのにダサいチャンピオン、それが俺だった。

そして俺のイケてなさは、この直後のチャンピオン認定式、ベルト授与でも遺憾なく発揮される。(続)

<次回更新は12月1日(火)予定!>

【著者紹介】

TAKEMURA(竹村哲)
1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なう予定。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中だ。

[耳マン編集部]