TAKEMURA(SNAIL RAMP)『43歳のバンドマンチャンプ』【勝利のアナウンスが鳴り響いたあの日(part.3)】

連載・コラム

[2015/12/15 12:15]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのメンバーでありながら、キックボクシングの日本チャンピオンに上り詰めたTAKEMURAの自伝的連載!


つい数日前に引退試合を終えたばかりの竹村です。13年間という現役生活が送れたのも、みなさまの応援あってのことと深く感謝しています。本当にありがとうございました。

本来ならここで引退試合当日について書くべきでしょうが、タイトルマッチの続きが途中なので、まずはそちらから。


厳しくも温かい鬼コーチ
渡邉信久会長のもとを尋ねて……

タイトルマッチに何とか勝ちチャンピオンになったのはいいが、「カッコ良く喜ぶ」ことができなかったイケてない俺。勝者のコールを受けたあとは、そのままリング上で王者認定とベルトの授与式があった。その頃には気持ちも少し落ち着き、涙も止まっていた。

ただ何だかボーッとしているままにリング中央に引き出され、気付いたら団体トップの渡邉信久会長が俺に向かって「このタイトルマッチに勝利した竹村をNKBウエルター級新チャンピオンと認定する」と認定証を読み上げ始めていた。

この渡邉会長は、俺のジムの会長ではない。よって直接の師弟関係ではないのだが、始めてのタイトルマッチに敗れた2011年10月、「敗けたけど、いい試合だった。出稽古に来るか?」と声を掛けてくれた。

それまではうちのジムが所属する団体のトップ、雲の上の人と言ってもいい位に距離感のある人だった。今までも渡邉会長のもとへ出稽古に行くチャンスはあったが、正直ビビッて行けなかった。

強い名選手を何人も育てあげ、業界の中でも有名人だったが、「あそこの練習は地獄だ。鬼のように厳しい」と聞かされていたし、「渡邉会長はとにかく強権的で厳しい。潰される選手も多い」とも聞いていた。なんだったら業界からも「怖い。偏屈なオヤジ」との評だった。

そんなおっかない会長がいるジム、とてもじゃないが行く勇気など出なかった。しかしタイトルマッチでこっぴどく敗けてみると、「今までの練習だけではダメだ、さらなる何かをやらないといけない」と気付き、渡邉ジムの門を叩く決心をした。

“カッコ悪い大泣き”の裏にあった
知られざるエピソード
出稽古の初日は朝から気分が重たかった。「どんなキツイ練習をするんだろう……」「身体、壊れちゃうかもな……」とデビューして9年経ったベテランとは思えないビビりよう。ジムは古いビルの4階。そこに上がる薄暗い階段の途中で、何回引き返そうと思ったか。

そしてその日から渡邉会長との練習が始まった。自分のジムが定休になる週1回、毎週毎週とにかく通い続けた。行ってみれば恐れるような練習ではなかった――ならいいが、やっぱり練習は厳しかった。ジム内では「バカ野郎!この野郎!」と何回も怒鳴られながらの練習で、帰り道は疲労でヨロヨロしながら帰った。

でも、渡邉会長はとても優しかった。指導中の言葉は荒いが、それは悪意からくるものではまったくなかったし、選手としてすでにトウが立った俺のコンディションを常に気遣いながらの指導だった。

会長自身60歳後半という高齢だが、自らミットを持ち、時には自分の身体をそのまま打たせ、文字どおり身を削りながら、俺を強くしていった。「自分を犠牲にする」まさにそういう姿勢で渡邉会長は俺に接してくれていた。

しかもそれだけの労力と時間を俺に割きながら、ただの一度として「練習費」や「指導料」といったものを俺に求めることはなかった。出稽古に行くときの慣例として、俺も何かしらのちょっとした手土産を持っては行くが、それも毎回ではない。

ジムによっては出稽古スパーだけでも、普通に「月謝」を請求されるところもある。しかし渡邉会長は3年間、そんなことは一切求めず、ただ俺を強くするためだけにその高齢の身体を張って、教え続けてくれた。

「お前は練習をやり過ぎなんだ!もっと休めバカ野郎」

「お前はバカだ。でもお前みたいにバカになれる奴が、キック界にはもういないんだ」

「(後輩選手に)いいか、お前らもこういうバカになるんだぞ」

渡邉会長は「バカ」という言葉を使ってはいたが、罵倒の意味はほとんどなかった。それによって俺は「自分を信じる」という自信と、「渡邉会長のためにも絶対やってやるんだ」という覚悟を強く持つ。

そして勝った。勝ってチャンピオンになった。今、リング上でその渡邉会長がチャンピオンの認定証を読み上げている。中立なコミッショナーとしての立場もあるから、何喰わぬ顔をして読み上げてはいる。

しかし……。

そこには何かの感情を奥に秘め、認定証を読み上げる会長の姿があった。それが笑顔なのか涙なのかはわからなかったが、何か湧き出る感情をこらえているのはわかった。

その瞬間、恥ずかしさも何もかも忘れ、俺は泣き出していた。ビデオを見返すと、43歳のおっさんが顔をクッシャクシャにして「あぢがとうございます、あぢがとうございます」と繰り返しながら泣いていた。渡邉会長にマイクを向けているリングアナが、優しい目をして俺を見守っていてくれたのが唯一の救いだが、とてもじゃないがかっこいい画とは言えなかった。

しかし「人によってはあれを感動的と捉えてくれた人もいたのではないか、いや、いてほしい! じゃないと俺恥ずかしい!」との希望を抱いたが応援に来てくれていた友人女性から、「あんなに泣いてる大人の男の人、初めて見たわ」と後日言われ、顔が熱くなるのがわかるほど恥ずかしくなった。

結局、最後の最後までカッコ良く喜ぶことはできなかった俺だが、試合の2日後に渡邉会長のもとへお礼の挨拶に訪れた。

会長は開口一番、「竹村、よくやったな! あの晩は興奮して朝まで眠れなかったぞ!」と言って労ってくれた。この道何十年、直弟子を何人もチャンピオンにしているにもかかわらず、外弟子の戴冠を寝付けなくなるほどまで喜んでくれるとは……。

ここまでくるのに12年もかかってしまったけど、ベルトを獲れて本当に良かった、そう思えた夜だった。

<次回更新は2016年1月5日(火)予定!>

【著者紹介】

TAKEMURA(竹村哲)
1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行ない、見事勝利を飾った。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中だ。

[耳マン編集部]