TAKEMURA(SNAIL RAMP)『43歳のバンドマンチャンプ』【引退試合を振り返って(part.2)】

連載・コラム

[2016/1/5 13:20]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのメンバーでありながら、キックボクシングの日本チャンピオンに上り詰めたTAKEMURAの自伝的連載!


特別扱いの引退試合
自分でもまったく理解できない厚待遇

引退試合の模様

44歳の身体は自分が思った以上に劣化していた。特に持久力、回復力の劣化は著しく、自分はチャンピオンでありながら、最近デビューしたばかりの選手よりも練習面のスタミナに劣っていた。

高強度の練習を短時間しかできず、それは練習不足になる可能性を意味していた。実際自分のピークに比べれば、その練習量は半分以下にまで落ちていた。

「こんな状態で試合に臨んで大丈夫なんだろうか」との不安にも襲われたが、反面「あぁ、やっぱりすでに限界を通り越しているんだ。ここまでやってきたんだな」と悔いなく引退を迎えられることに、安堵の気持ちも抱いていた。

この引退試合が行われる興行は普段と違った。俺の引退式を執り行うために、普段は4試合ほど行う5回戦(5Rで戦う試合)も俺以外はたった1試合のみ。「12月12日は竹村の引退興行だからね」と明言する関係者もいる程の特別扱いだった。

そもそも俺程度の選手は、引退式で送り出してもらえることなど本来あり得ない。まずランキングに入るまでがんばり、そこから王座につけるかは実力と運に左右される。どうにかこうにかチャンピオンになれても、引退するときはひっそりとそのときを迎える王者がほとんど。

その証拠にきちんとしたフルメニューの引退式が執り行われたのが、最近では2002年、2009年の2回だけだが、13年の間に誕生した王者は6階級で20人は下らないだろう。

しかし正式な引退式で送り出された王者はたったふたり。そして3人目が俺という、自分でもまったく理解できない厚待遇が用意されていた。それは同時に怪我、病気、不意のアクシデントによるものでも、試合の欠場は絶対に許されない状況でもあった。

1R KO負けーー
考えたくもない展開に不安の日々
万が一自分が出場できなかった場合は、興行自体が成り立たない。そんな責任重大な立場。しかし日常の練習でスパーリングもするし、古傷の膝も常にギリギリ、毎日が不安だった。

それは所属ジムの会長とて同じだったよう。普段、試合前の選手にユルい練習は許さない会長も、俺には「自分のペースでやればいいぞ」と今回ばかりは寛大だった。

出稽古先の渡邉会長も細心の注意を払いながらシゴいてくれ、少しの異変でも見逃さずに練習強度をコントロールしてくれていた。

「これが現役最後の試合前練習か……」、そう思うと若干の寂しさもあったが、同時に「他の現役選手達と互角にスパーできるのも、これが最後」と気づき、積極的に他ジムの選手たちと交わるようにもした。

初めて交わった選手もいたし、随分昔に練習したっきりになっていた選手もいた。昔は他ジムの選手とのスパーとなると、自分が未熟なこともあり完全ガチ、ただただ強い攻撃を当てようとしていたが、テクニックレベルが上がり余裕が出てきた今は、相手の出方を見ながら緩急つけられるようにもなっていた。

「完全にベテランの闘い方じゃないですか!」と冷やかされながらも、加齢による著しい体力の低下と共存するためにはこうするしかなく、「試合もこうなるかもなぁ」と漠然とその展開を意識しだした。

おまけに相手のマサ・オオヤは俺の苦手なパンチャー。1発もらうとKOされてしまう可能性もあり、特にパンチに目が慣れていない試合立ち上がり、1RでKOされてしまうことも充分に考えられた。

引退試合を観に来てくれた大勢の人たちの前で、1R KO負け。考えたくもない展開は不安となり、試合前夜までたびたび俺を苦しめた。(続く)

<次回更新は2016年1月19日(火)予定!>

【著者紹介】

TAKEMURA(竹村哲)
1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中だ。

[耳マン編集部]