『LLR伊藤の大家族に生まれて良かった!』第2回:食事は2部制! 10人兄弟12人家族が暮らす“家事情”と独自のルール
10人兄弟、12人家族のなかで育ったお笑いコンビ・LLRの伊藤智博。にぎやかな暮らしを送ってきた彼が、自身の半生を振り返りながら大家族ならではのエピソードを綴る連載っ!
僕が育った大家族の“家事情”をお話します
“大家族”と聞いて、やっぱり気になるのは「どんな家に住んでるの?」ということだと思います。
僕の記憶にある1番最初に住んでいた家は、アパートでした。細かい間取りはまったく覚えていないのですが、アパートの2階に住んでいて、兄弟で川の字になって寝ていた記憶があります(川じゃ済まない人数でしたけど)。
僕の兄弟構成は1番目の長男、2番目の長女、3番目の次男、4番目の次女、5番目の3男、そして僕(6番目)、7番目の3女、8番目の5男、9番目の6男、10番目の7男の10人です。たぶん僕のすぐ下の妹(7番目)が産まれるまではそこに住んでいたので、その頃は両親を含めて8人家族だったのですが、どうやってそんな大人数があの広くはない部屋で暮らしていたのかは僕にとっても謎です。
アパートの近くにかなり急な階段を登って辿り着ける公園があったのですが、そこの階段から兄弟の誰かが落ちて怪我をしたという騒ぎがあって、母親が僕を置いて出かけてしまったのが寂しくて、ベランダで「ママのバカー!」と叫んだ記憶だけはなぜか鮮明に覚えています。
アパートから一軒家へ引っ越し! 子ども部屋で過ごした思い出や食事のルール
その次に住んだのは今の実家と同じ場所にある一軒家で、僕が小学4年生くらいの頃に建て直すことになるんですけど、その家に住んでからの記憶は意外と残っています。
その家で僕がおもに過ごしていたのは8畳くらいの子ども部屋で、すぐ上の兄(5番目)と妹(7番目)と3人で川の字になって寝ていました(今度は文字通り川の字です)。その子ども部屋は和室で押入れがあったのですが、上の段には布団、下の段には歴代の子どもたちが遊んできたおもちゃが箱の中にビッシリ詰まっていて、寝る前に誰が片付けるかで揉めてよくケンカになっていました。
大家族の家といえば、障子や襖(ふすま)がボロボロになってるイメージがあるかと思いますが、まったくその通りで、僕らの部屋に設置されていた障子はいつも穴だらけでした。どんなに気をつけて行動をしていても、なぜか破いてしまうんですよねぇ。親にバレないようになるべく綺麗に戻して裏からセロテープで貼ってごまかすという涙ぐましい努力をよくしていました。たまに父親が障子を張り替えてくれるときに、「古い障子を思う存分破いてもいい」との許可が出ると、それはもうテンションが上がって穴を開けまくりましたね。父親が丁寧に障子を張り替えるのを見ていたのに、仕上がった途端にすぐに穴を開けてしまって怒られるというのもあるあるです。
その家に関して、僕が過ごしていた子ども部屋での出来事は記憶がちゃんとあるのですが(とにかくプラモデル『ゾイド』をたくさん組み立てていました)、上の兄弟達がどんな部屋で暮らしていたのかはあまり覚えていません。4番目までの兄弟(長男、長女、次男、次女)は僕のなかでは大人というか雲の上の存在というか、一緒の家に住んでいるのに謎が多かったです。当時はそれが当たり前でなんとも思っていませんでしたが、今となっては不思議な感覚です。
ちなみに、我が家では家族全員が揃って食卓を囲むということはほとんどなく、朝は起きてきた順にそれぞれパンを焼いて食べたり、コーンフレークを食べたり、卵かけご飯(僕は小さい頃卵アレルギーだったので食べられず、憧れの食事でした)を食べたりと、自由な感じでした。そして、夕食は年少組と年長組に分かれた2部制が敷かれていました。年少組が先に食事を済ませるのですが、お肉や餃子などのメインディッシュが大皿で「ドン!」と出てきて、放っておくとすぐに食べ尽くされてしまうので、明確に「ひとり何個まで」というのが決められるようになり、しっかりした指揮系統が出来上がっていきました。
余談ですが、初めて友達の家で夕食をいただいたときに、ひとり分のハンバーグが乗ったお皿を目の前に出されて、「え? これをみんなで分けるの? 少なくない?」と思ってしまいました。そのハンバーグが自分のためだけのものだと知ったときには、メチャクチャ感動したものです。
その頃、家の外には車1台分の駐車スペースがあって、そこで家族でバーベキューをやることもありました。その奥に小さいながらも庭があって、そこに兄が産まれたときの記念に植えた柿の木があったのも覚えています。その柿を干し柿にしてみんながよく食べていたんですけど、僕は干し柿の見た目が気持ち悪すぎて食べることができなかったです。今思うと、家で自家製の干し柿が食べられるなんて贅沢ですよね。
さらに家族が増えたことで、家が建て直しに……!
その家も子どもが9人にまで増えると手狭になってきたということで、取り壊して建て直すことになります。いったん近所にある借家に引っ越して、家が取り壊される様子をちょこちょこ見に行ってたんですけど、「新しい家ができるんだ!」というワクワクと「今まで暮らしてた家が壊されてしまった……」という寂しさが入り混じった複雑な気持ちを、今久しぶりに思い出してエモくなってます。取り壊されていく過程で最後まで形になって残っていたのが2階のトイレで、それがなぜかおもしろく感じてずっと笑ってたのも同時に思い出しました。
そして、現在の実家となる新居が完成し、初めて部屋割りを決めるところから参加することができた……のですが、下っ端の僕の意見が通ることはほとんどなく、あっという間に部屋割りが決まっていました。ほぼ屋根裏みたいなところにふたつあった部屋をふたりの姉がそれぞれ使うことになり、その屋根裏へ行くために通らなくてはいけない部屋が長男の部屋(ひとり部屋!!)、僕はすぐ上の兄(5番目)とのふたり部屋、あとは次男(3番目)と妹(7番目)の部屋(変な組み合わせですね)があり、下のちびっ子ふたり(末っ子はこの時点でまだ産まれていません)は寝室で親と一緒、というフォーメーションです。
それまではずっと布団を敷いて寝ていたんですが、ついに憧れの2段ベッドが投入されてテンション上がりまくりでした。お風呂も自動給湯になり、風呂掃除担当だった僕は前の家ではよくお湯を止め忘れて、風呂からお湯をあふれさせてしまうというミスをよくやってしまっていたのですが、その心配もなくなり快適度は格段に上がりました。
なによりも、それまではテレビが1台しかなく、家でゲームをやることなんて夢のまた夢だったのですが、引越しと同時に寝室にもテレビが増えて、そっちのテレビはほとんどゲーム専用みたいな感じになったので、それが嬉しかったです。ただ、当たり前のように上の人間の優先順位が高いので、僕は長男がドラクエをやっているのをうしろで見て、一緒に物語が進んでいく気持ちになるので精一杯でした。
僕が暮らしてきた大家族の“家事情”はこんな感じです。ほかにも、部屋を散らかしすぎて床が服で埋まって、その下からしっぽが白と黒の縞模様のネズミが出てきたり、兄が机の引き出しでコウモリを飼っていた時期があったり、長男の部屋に飾ってあるプラモデルを壊してしまって焦ったり、親に取り上げられたゲームボーイが寝室のクローゼットの中に隠されているのを見つけて、また取り上げられて違うところに隠されるのを繰り返していたり……と思い出がたくさんあるのですが、これから少しずつ紹介していけたらと思います。次回も楽しみにしていてもらえたら嬉しいです!