『LLR伊藤の大家族に生まれて良かった!』第7回:珍事件が続々……たくさんの刺激と驚きをくれた同部屋の兄・ブー
10人兄弟、12人家族のなかで育ったお笑いコンビ・LLRの伊藤智博。にぎやかな暮らしを送ってきた彼が、自身の半生を振り返りながら大家族ならではのエピソードを綴る連載っ!
いろいろなことを教えてくれた2歳年上の兄の存在
大家族に限らず、すぐ上の兄弟の影響って大きいですよね。僕にとっては2歳年上の兄(5番目・3男)がそれにあたります。
ちなみに、僕が産まれるまでは男・女・男・女と男女が交互に産まれていて、その流れでいくと僕は女の子のはずだったので、男の僕が産まれて姉たちは「こんなわけない!」と泣いたらしいです。産まれてきただけで泣かれた僕、かわいそうですよね。
話が逸れましたが、そのすぐ上の兄は前回(※)紹介した「ブー」と呼ばれていた兄です。(※第6回:恐ろしいニックネームも!? 大家族ならではの“呼び名事情”)
ブーは僕の面倒をとてもよく見てくれましたし、いろいろなことを教えてくれました。家から小学校までの道順を教えてくれたのもブーだし、トンボの幼虫がヤゴだって教えてくれたのもブーだし、カマキリは交尾が終わるとメスがオスを食べちゃうっていうのを教えてくれたのもブーでした。
ブーとは同じ中学で同じサッカー部だったんですが、僕が1年生、ブーが3年生でした。先輩にブーがいたおかげで、同級生たちや先生方は最初から僕のことを「ジュニア」と呼んで可愛がってくれて、学校に馴染みやすかったので助かりました。高校生のときに千原兄弟さんのことを知って、やっぱり弟って「ジュニア」って呼ばれるんだなーと共感したのを覚えています。
ブーは明るい性格で、積極的にみんなに話しかけるムードメーカーなタイプなのですが、僕はどちらかというと大人しくて受け身でした。サッカーのプレースタイルも、ブーは俊足を飛ばしてガンガンシュートを打つタイプで、僕は足が遅かったので運動量でカバーしてみんなをフォローするタイプ。学校の成績は、ブーはあまりいいほうではなく僕はいつもトップで(中学生の頃です)、まわりからも「兄弟なのに全然違うね」とイジられたりしました。
そんなブーと僕ですが、部屋を散らかしてしまうというのは共通していて、一緒のふたり部屋だったんですけど、常に足の踏み場もないくらい散らかしてしまってました。
ブーとのふたり部屋では珍事件が次々勃発……!?
ここまで読んでもらってなんとなくわかると思いますが、ブーは自然が好きで、虫とか生き物を捕まえたり飼ったりするのが好きでした。家族からは「伊藤家の野生児」なんて呼ばれたりもしてました。
小学生の頃、学校の理科の授業で蚕の飼育をやったりしたと思うんですが、ある日ブーの机の引き出しを開けてみると、引き出しの中で何匹もの蚕が羽化して蛾になっていて、ビビり倒したことがありました。
その数年後にも、ブーの机の引き出しから「なんか妙な気配がする」と思って、恐る恐る開けてみると、なんと中に小さなコウモリが這いつくばっていました。僕はなんか怖くてなぜ引き出しの中にコウモリがいるのか詳しくは聞けなかったのですが、ブーは優しいので、きっとケガしたコウモリを見つけて保護してたんだと思います。
またある日は、相変わらず部屋の床を埋め尽くしていたブーの洋服が、なんかモゾモゾ動いていたので、「なんだろう」と思ってドキドキしながら様子を見ていたら、洋服の隙間から不意に白黒の縞模様の尻尾が見えました。今思うと、そのときの自分は勇気あるなと思うのですが、その尻尾を引っ張り出してみたら、あまり見たことのないハムスターみたいなネズミでした。やはりビビってすぐに手を離してしまったら、そのネズミはまたどこかに隠れてしまったのですが、その後そのネズミがどうなったか詳細は不明です。
このように、ブーは同部屋の僕に刺激と驚きをたくさん提供してくれました。ほかにも、僕が1番好きな漫画の『MASTERキートン』や『シュート!』もブーの影響で読み始めたし、ブーのおかげで三重県の四日市ドームで開催されたドイツの実業団とのサッカーの試合に出場させてもらえたりもしました。今でもちょこちょこ新鮮な魚を送ってくれたり、とても優しい兄で、ブーがすぐ上のお兄ちゃんで本当に良かったです。
ちなみに、ブーの誕生日は1977年12月13日で、ピースの綾部さんとまったく同じ日に産まれてます。