テレビでも話題、管理者養成学校の校長がすごい音楽家だった!【社長と音楽】
“地獄の訓練”の校長が実は……!?
ジャニーズグループA.B.C-Zによるバラエティ番組『ABChanZoo』をはじめ、さまざまな番組で紹介されている管理者養成学校。企業、団体、法人のビジネスマン・管理者を対象に、社会人としてのマナーやビジネスの基本を徹底的に叩き込む“地獄の訓練”の模様をテレビで視聴し、戦慄した人もいたかもしれない。そんな管理者養成学校の校長であり、同校を運営する社員教育研究所の社長・元橋康雄氏が実は優れた作曲家であったことが判明! 数々のビジネスマンを鍛え上げてきた校長の輝かしい音楽遍歴とは!?
校長、社長……そして音楽家
――最近、『地獄の訓練』が立て続けにテレビでも紹介されていますが……すごいですねあの訓練……。
ハハハ! ぜひご参加ください(笑)。
――僕には耐えられなさそうです……(笑)。テレビを観た人はまさか管理者養成学校の校長が音楽家だとは知らないと思いまして。
確かにそうでしょうね。
――今回はぜひ元橋社長の音楽家としてのお話を聞かせていただければと思います。元橋社長は小さい頃から作曲家になりたかったのでしょうか?
音楽に興味をもったのは中学からです。本当は野球をやるつもりで荏原中学校(現・日本体育大学荏原高等学校)に入学したのですが、音楽の先生がなぜか私に声をかけてくれて、高等部の音楽部の練習に連れて行ってくれたんですね。そこでハーモニカのアンサンブルをやっていて、それがすごくおもしろいなと思い、音楽部に入部することにしたんです。
――音楽の先生との出会いが運命を変えたんですね。
そうなんです。その先生には弟子がたくさんいましてね、弟子の人たちに音符の読み方だったり、理論を教えてもらったりしました。それでどんどんおもしろくなっていって、音楽にのめり込んでいきました。
――その後、日本大学芸術学部音楽科の作曲専攻に進学されたようですが、『新人演奏会』でご自身の楽曲が演奏されたんですよね?
読売新聞社主催の『新人演奏会』は音楽家の登竜門で、若い演奏家たちの憧れの舞台ですが、大学4年生の頃に開催された『新人演奏会』で私が作曲した曲が演奏されました。この演奏会は基本的には演奏家のための舞台なので、どうせだったら仲間も一緒にデビューさせたいと思い、ピアノと歌の曲を書いて仲間に演奏してもらったんです。
――元橋社長のおかげでふたりもその場に立てたということですね。
そのときに歌ったのが今の家内なんです(笑)。
――わぁ、ステキなお話ですね! 大学生の頃から作曲家として活躍されていたんですね。
大学を卒業する頃にNETテレビ(現・テレビ朝日)が開局することになりまして、その記念番組のための曲も作らせていただきました。自分が作った曲が日比谷公会堂で演奏されて、その様子が生中継されたんです。ビデオもない時代なので映像が残っていないのが残念ですが、とても嬉しかったですね。
数々の校歌や社歌を手がける
――素晴らしいご経歴ですね。その後も音楽家としていろいろな活動をされて、校歌や社歌なども手がけられていますね。
初めて校歌を作ったのは長男が通っていた横浜市立新吉田小学校でした。大学卒業後はドラマや報道番組などいろいろな番組の曲を作らせていただいていたのですが、そういったことが口コミで地元小学校のPTAの会長さんに伝わったようで。当時まだ校歌がなかった新吉田小学校の校歌の作曲をぜひお願いしますと言っていただいて。その後、近所に新吉田第2小学校が開校することになり、初代の校長先生が作詞、私が作曲しました。その学校には、長男は5年生から、次男は1年生から通うことになります。父親が作曲した校歌をクラスメートと歌うという、なかなか普通では体験できないことだったと思いますよ。
――校歌はどのように作っていくんでしょうか?
詞を読んでイメージを膨らませていき、メロディを作っていきます。最初に校歌を作ったときは学校から「歌詞はお任せします」と言っていただいたのですが、知り合いが児童文学作家の吉田としさんを紹介してくれたんです。それで吉田さんに地元に来ていただいて作詞していただき、仕上げました。
――日本体育大学荏原高校の応援歌も作曲されていますね?
荏原高校は私が音楽に興味を持つきっかけを与えてくれた学校ですので、大学を卒業してプロの作曲家になれたらぜひ何かの曲を作らせてもらいたいと思っていたんです。校歌はすでにありましたから、せめて応援歌を作らせてもらえないかなと思い連絡したところ、快諾いただきました。
――素晴らしい恩返しですね!
作詞もやらせていただいたのですが、歌詞に出てくる“強く、明るく、フェアに”という言葉は学校のキャッチフレーズにもなっているんですよ。嬉しいですね。最近も同校の110周年の記念歌や、4月にオホーツクで開校される日本体育大学支援高等学校の校歌も作曲させていただきました。
――社歌に関してはどのように作曲されるのでしょうか?
社歌もこれまでに50曲ほど作らせていただいていているのですが、やっぱり詞を読んでから作っていきます。会社の雰囲気も感じたいですし、社長さんとは何度もお話させていただきます。
――なるほど。企業の社長さんとお話をしている感覚がなくなってきました……。
音楽の話になると止まりませんね(笑)。
30歳で社員教育研究所を設立
――社員教育研究所はどういった経緯で設立されたのですか?
大学に通っていたときのアルバイト仲間が社員教育研究所を一緒に立ち上げた財部(たからべ)一朗なのですが、私が28歳のときに彼から音楽付きのビジネス教材を一緒に作ろうと誘われました。その頃はまったくそういったものがなく、最初はイメージもわきませんでしたが、彼の熱意に押されましてね。その後、ふたりで1年半ほどかけて取り組み、30歳になったときに1作目ができたんです。そのタイミングで社員教育研究所という会社をつくりました。その後、社員教育研究所でビジネス教材をつくりながら、管理者養成学校を設立することなったんです。
――管理者養成学校の設立はどんな理由からですか?
ビジネス教育にも音楽教育と同じような“できる”というテーマが必要だと思ったんですね。音楽教育のなかでは、例えばピアノが“弾ける”だったり、歌が“歌える”といった、“できる”という部分が重要です。ですが、ビジネス教育では“できる”ようになるための学校がない。そこで設立したのが管理者養成学校です。
――なるほど。それであんなに厳しい訓練が……。やはり管理者養成学校の校歌も手がけているんですよね?
校歌や式典歌など、もちろん作っています。訓練歌の『セールスガラス』はカラオケにも入れていただいているんですよ。
――教育と音楽がまさに一体となっていますね。元橋社長の今後の目標を教えていただけますか?
実は社員教育研究所の社歌がないんです。管理者養成学校の校歌が社員教育研究所の社歌のようなものなのですが、2017年に弊社は50周年を迎えるので、社歌を作っているところです。私も仕上がりが楽しみです。
――まだまだ現役で作曲されているんですね。
もちろんです。これまでずっとやってきた指揮者の活動もまだやっていますから。社員に怒られない程度に音楽活動も続けていきますよ。
ホンモノの音楽家だった
ここでは紹介し切れないほどさまざまな作品を残してきた元橋社長。厳しい“地獄の訓練”のイメージに反してその口調は大変穏やかで、自身が手がけてきた作品の経緯や、音楽に対する信念、愛情を丁寧に語ってくれた。学生時代から一切の妥協もなく音楽と向かい合い、壮大な好奇心をもってそれを体得してきた氏の言葉にはどれも説得力があり、この社長だからこそあの厳しい“地獄の訓練”が提唱できるのだと実感した。実際に訓練の受講者のほとんどがそれを機に人生を一変させているようだが、こんなに説得力がある社長が実施する訓練なら受けてみたい(かも)! テレビはもちろん、本インタビューでさらに管理者養成学校に興味を持った人はぜひホームページを確認してみてください! 元橋社長、ありがとうございました!
プロフィール
もとはしやすお●1937年生まれ、東京出身。1959年に日本大学芸術学部(作曲専攻)を卒業し、1967年に財部一朗とともに、株式会社社員教育研究所を設立。1979年に管理者養成学校を開校し、校長に就任。2005年、株式会社社員教育研究所代表取締役社長に就任する。音楽家としては(音楽家としての活動時は元橋康男の表記となる)1959年に読売新聞社主催『新人演奏会』で楽壇デビュー。大学在籍時/卒業後にさまざまなテレビ番組の作曲、音楽制作に携わる。おもな作品は交声曲『勧進帳』(NETテレビ開局記念番組にてテレビ中継)、日本楽器のための協奏三章『京琴』、『日本楽器のための二つの楽章』、組曲『面』(第22回芸術祭奨励賞受賞)。そのほか多くの校歌、社歌も手がける。日本合唱指揮者協会会員、日本音楽集団団友。
株式会社 社員教育研究所 管理者養成学校
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