【社長と音楽】クラブ経営でどん底を経験した社員教育会社のパワフル社長

特集・インタビュー

[2019/7/25 12:00]

10代でクラブを起業したハウス大好き社長

今回の『社長と音楽』で紹介するのは、新入社員、中堅社員を対象とした社員教育を実施している株式会社ディプレの中西誠社長だ。仕事を擬似体験しつつ他者と“競争”していくことで自己成長を促すという独自の研修プログラムは、IT、不動産、美容業界を中心に好評を博し、これまでに1万人以上の受講生を輩出している。そんな同社の中西社長は、なんと10代にしてクラブを起業した経験をもつパワフルすぎる人物。バイタリティの塊のような中西社長に、クラブ活動&ハウスミュージックと仕事の関係性(!?)について聞いた!

株式会社ディプレ中西誠社長

——経歴を拝見させていただいたところ、「10代の頃にクラブミュージック、ハウスミュージックに夢中になり、19歳でクラブを起業」とあり非常に興味深いのですが、まずはこのあたりの話を聞かせていただければと思います! 中西社長は昔から音楽が好きだったのでしょうか?

中学3年生までは病弱だったんですが高校で一気にデビューしまして。バスケ部に入ったんですけど、そこから黒人文化への興味が高まってダンスを始めたんです。それで黒人っぽい角刈りにしたりとか、当時やっていたバルセロナオリンピックのロゴを頭に剃って入れたりとかして(笑)。

——かなりファンキーな高校生だったんですね(笑)。

当時はネットもないので知り合いにビデオを借りたりして、ZOOとか初期TRFのダンスを真似したりしてました。当時は大阪にいたんですけど、六本木ではクラブが盛んだってことを知って憧れてましたね。

——音楽というよりもクラブカルチャー全体が好きだったんですね。

そうなんです。高校生のときに初めてやったバイトも夜の盛り場的なところだったので。『an』に「ホールスタッフ1000円!」っていう求人があったので面接に行ったら即採用になって。北新地にあるストリップバーみたいなところだったんですけど、そこにはDJもいて、ハウスをガンガンかける感じのところでした。芸能人もたくさん来ていましたね。

——そのときのバイトの経験を生かして自分でクラブを起業することになったんですか?

当時、バブルが崩壊して北新地も人がどんどん減ってきてる感じで、その店も閉じることになってしまったんです。でも、そのお店のオーナーがすごいお金持ちで新しいバーをオープンするって言うので、そのバーでバイトすることになったんです。それでいよいよオープンするっていうときに阪神大震災ですよね。被害は少なかったんですけど、それで決定的に人が少なくなった。でも店はオープンすることになって、なんとか1年弱くらいやったときに、ある会社の社長がお客さんで来たんです。結局その人に人生最大の教訓を学ばされましたね……。

——どういうことでしょうか!?

その社長に「福島(大阪)でお店やらない?」って言われたので、最初は屋台がたくさん出ている広いスペースの一角でバーをオープンすることにしたんです。でもどんどんほかの店が撤退していって……結局僕の店だけが残ることになって。最終的に僕がその広いスペース全部を使ってクラブをやることになったんです。130坪くらいあったかなぁ。250人以上は入る感じで。

——すごい展開ですね。

そうなんです(笑)。それで前のバイト先のDJとか、音響とか照明とか料理人とか仲間を集めてクラブを始めたんです。福島はライブハウスがあったりして若い子で賑わう場所で、デビュー当時のBONNIE PINKとかEGO-WRAPPIN'とかもライブをやってくれてました。DJやダンサーもいろんな人がショーをやってくれて、ジョー・クラウゼルの初来日もうちの店でしたし、ダンスで憧れだったTEDDY DANさん(※ソウルダウンスの重鎮)も来てくれてましたね。

左が当時の中西社長。イケイケ!

——かなりアツそうなクラブですね。

でも経営は正直、厳しかったです。収益の計算もまともにできなかったし、お客さんの声に耳を傾けようともせず投資もまともにしていなかったので、どんどんセコい経営になってしまうんですよね。それである日、いきなりスタッフ全員が消えて音信不通になるみたいな。

——漫画みたいな話……。

結局、多額の負債をひとりで抱えることになってしまって。漁船の荷下ろしをしたり、土木作業をしたり、ラブホの掃除をしたり……。なんとか2年で返済しました。その期間で人間について知ることができたので、結果的にいい経験だったと思っていますけど。

——ポジティブすぎです……。その後、人材派遣会社の営業マンとして活躍したのち独立し、現在のご活躍に至るようですが、またクラブをやりたいと思う気持ちはありますか?

完全に道楽になると思いますが、リベンジの意味でいずれはやりたいですね。やっぱり人生チャラにしていかないと!

トークがめちゃくちゃ軽快!

——それは期待大です! クラブで過ごした日々が現在のお仕事に繋がっている部分ってどんなところだと感じますか?

エンターテインメントの世界って結局はめちゃくちゃ鍛錬の世界じゃないですか。それって結局どの仕事でも一緒ですよね。全然鍛錬しないDJとかって本当にクソみたいだったですから(笑)。鍛錬してても食えない人が多いなかで、食べれるようになるっていうのは相当な鍛錬が必要なんです。どんな仕事でも結局、鍛錬が必要ですよね。そういう職業観については彼らからかなり学んだところは大きかったです。あとはビジネスでよく使うプラットフォームっていう言葉をハウスから学んだかもしれません。

——プラットフォームですか?

当時、感銘を受けたDJがジャズとか民族音楽とかいろんなジャンルの音楽を四つ打ちとミックスしてプレイしていたんです。四つ打ちの上ではどんな要素を入れてもハウスになる。これってまさにプラットフォームじゃないですか。

——なるほど。

ほかにもあって、DJたちが「流行ってる曲をかけてフロアをワイワイさせたいだけのヤツは軽い。ひとりが身体を揺らしてくれるために曲をかけられないとダメ」みたいな話をよくしていたんですけど、その考え方って社員育成にも当てはまるなって思います。ひとりをしっかりと育てられなければ、たくさんの人を育てることなんて絶対にできないですよね。今の仕事をしていてよくそういうことを考えたりします。

——音楽から学んだことがたくさんあると。

ちょっと強引ではありますけどね(笑)。いまだにハウスもよく聴きますし、いつまでもハウスからは離れられないですね。

(おわり)

「新しいことが好き」な社長による最新鋭研修がますます気になる!

身振り手振り、ときにはタブレットに文字や図などを描きながら当時のことを語ってくれた中西社長。若い頃から幾多のお酒の場を経験し(たぶん)、今では多くの講演などもこなしている社長だけあってそのトークスキルはすさまじく、笑いの絶えない取材となった。インタビューでは割愛させていただいたが、人材派遣会社の営業マン時代にはまだ珍しかったパソコンのスキルもいち早く取得し、そのスキルをもって多くの受注を獲得していったという。「新しいことが好き」と嬉しそうに語ってくれた中西社長が生み出した最新鋭の社員研修がなおさら気になるところだが、その詳細は同社ホームページなどで確認してみてほしい! 中西社長、今回はお忙しいところありがとうございました! ダンスも今度ぜひ披露してくださいませ(高身長&手がとても大きかったので絶対かっこいい)!

プロフィール

なかにしまこと●1976年3月30日生まれ、大阪府出身。19歳のときに大阪でクラブを起業するも事業に失敗し、多額の負債を抱えることに。しかし、不眠不休でアルバイトに励み2年で返済を終わらせる。その後、創業期の株式会社ウィルグループに営業として入社。20代では派遣スタッフの採用から育成、さらに拠点展開、営業チームのチームビルディングで実績を残し、2006年には株式会社ディプレを起業。これまで1万人以上の受講者の成長に携わっている。

株式会社ディプレ
http://www.deple.jp/

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