【社長と音楽】「70歳までにデビューしたい」……バンド活動のために起業!? 音楽愛あふれるアーバンシステム株式会社・小柴社長を直撃!

特集・インタビュー

[2022/3/18 12:38]

東京・神奈川・埼玉・千葉を中心にマンションの清掃やリフォームなどの事業を展開しているアーバンシステム株式会社。そんな同社の社長・小柴卓人氏は幼少期から楽器に関心をもち、高校・大学時代はプロを目指してバンド活動に熱中。そしてなんと、音楽活動を続けるために会社を起こしたという音楽愛にあふれた社長である。今回は、そんな小柴社長にたっぷりとお話をうかがってきました!

アーバンシステム株式会社小柴卓人社長

Charに憧れ長髪&白スーツでステージに上がった高校時代

――小柴社長が音楽に興味をもつことになったきっかけを教えてください。

両親が社交ダンスをやっていたんです。その影響で幼稚園の頃からラテンの音楽を聴いていて、パーカッションの音にすごくしびれまして。親父が音楽をかけるとそれに合わせて缶などを並べて叩いていたことがきっかけです。父の影響が大きいですね。

――自宅に楽器もある環境だったのでしょうか?

いえ、楽器はなかったのですが、当時大きいステレオがあったのと、僕が缶を叩くものですから、両親がお鍋などを買ってくれて、それをドラム代わりに叩いていました。楽器といえば楽器ですね。そんなところからパーカッションの音にしびれてドラムというものを知り、中学の頃からドラムを始めました。

――憧れていたドラマーは誰になるのでしょうか?

父の影響でザ・ベンチャーズが好きになって、ドラムのメル・テイラーが当時の私のヒーローでしたね。

――メル・テイラーのどのような特徴に惹かれたのでしょうか?

おそらく彼はめちゃくちゃ上手いジャズドラマーだったと思うんです。ジャズのドラムにはいろんな技があるんですけど、それを速いビートのうえで、ここ一番のタイミングで入れるスネア中心のフィルインにしびれました。

――高校時代にはバンド活動に熱中されていたとのことですが、当時はどんな活動をしていたのでしょうか?

私の母校の埼玉県立朝霞高等学校は音楽が盛んで、文化祭などへの出演をかけたオーディションに向けてとにかく練習をしていました。校内に上手いフォークバンドがいて、私たちのロックバンドはいつも二番手だったのですが、他のバンドと切磋琢磨して楽しかったです。学外でのバンド活動もしていて、当時は年に5、6回ほど楽器店が主催するコンテストも受けていました。それほど良い結果は出せず「外の世界にはもっと上手い人がいっぱいいるんだな」ということを痛感したのを覚えています。

――当時の小柴社長は見た目もロックな少年だったのでしょうか?

ドラムと並行してギター&ボーカルのバンドもやっていたのですが、高校時代はCharさんに憧れていたので、髪も長くて。普段は学生服でしたけど、ステージ上では白いスーツを着てスカーフを巻いたりしていましたね。私生活もそんな感じでした。制服のとき以外は。ははは(笑)。

学生時代の小柴社長。ドラム、ギターを弾きこなす姿がクール! ファッションもオシャレです!

すべてはバンド活動のために

――高校卒業後は大学に通われたのでしょうか?

高校卒業後は青山学院大学の経済学部に通いました。高校2年の終わりから3年の頃に出てきたサザンオールスターズがものすごいインパクトで。原田真二さんが出てきたのも、確かにこの頃だったんですよ。この方々が青学だったんですね。「青学に行けばこういった方々とバンドができるかもしれない」「彼らがいたサークルなどの仲間になれば、自分の腕を磨けるのかな」と思い青学を目指しました。

――その理由で選んだんですか(笑)!?

そうなんです(笑)。そのために、本当に真剣に勉強をしました。実際に入学してみたら、音楽のプロを目指している人が多かったので、すごく刺激になりましたね。

――小柴社長自身もプロになりたいなという思いで大学でも音楽活動をされていましたか?

本当にプロになりたいと意識し出したのはその頃でしたね。今思えば幼稚ですが、大学の頃には自分なりに納得できる曲を友達と作ったりしていましたし、プロ志向でしたね。大学時代にはほかのバンドからドラム演奏の依頼を受けて演奏したりもしていました。ドラマーが足りなかったみたいで、引っ張りだこだったんです。学園祭のときには3つか4つのバンドをやっていましたね。しかし練習がきらいだったので、ついていけなかったり、また女性問題(彼女の取り合い)などで、すぐにクビになることも多かったです(笑)。

――大学を卒業してからはどのように音楽活動をされていたのでしょうか?

大学を1年留年しちゃったんですよね。親には言えなかったですけど……留年しちゃった理由にはバンド活動をもっとやりたかったというのが半分あって。結局、5年間大学にいたんですけど、そろそろ自分としても「やばいかなあ」と思って、一応髪の毛を切って就職したんですよ(笑)。

――(笑)。

でも会社に入ったら日大出身のミュージシャンがいて、「音楽をやらないか」って話になって(笑)。そして、小さいMTRを買って2年間ぐらいはずっと曲作りに専念していました。ただ、会社勤めで時間もなかなか厳しかったですし、いただけるお給料は悪くなかったですが、なかなか自分の思うように活動はできませんでした。その後、アーバンシステム株式会社を起こすことになったのは、バンドをやりたかったからなんですよ。

――ええええー(笑)!

起業したのは時間と資金が欲しかったっていうのが根本で。ですから、バンド活動は私の人生に多大な影響があるんです。

――かっこいいです。

そういえば、会社員時代には仲間うちのパーティーとかでライブをよくやっていました。年末のクリスマスイベントだとか、ここではやりたいコピーばかりをやって、悦に入っていました。その会社のあとは掃除の会社に転職しまして。

――掃除の会社ですか?

というのも、「掃除屋だとバンド活動をしやすいな」と考えて。要は髪の毛を伸ばせたんですよ。

――なるほど(笑)!

掃除の会社では、ちゃんと仕事さえやれば、どんな格好でもよかったんです。髪の毛を伸ばせて、金髪でもよくて。

――ミュージシャンにとって髪型は重要ですよね。

求人募集には「ロック可」って書いてあって(笑)。「ロック可」っていうと、当時の私たちの共通用語で「ロン毛OK!」ってことで。

――(笑)。髭も生やして良いみたいな感じなんですね(笑)。

そうです(笑)。掃除の会社に転職してからは、やはり社員仲間にミュージシャンが多かったのでそこでもいろんな繋がりができて、おもしろかったです。当時の生活はもうハチャメチャで、昼夜逆転しているようなときもありましたけど。

――その頃になるとどのあたりのドラマーに憧れていましたか?

この頃はよりシンプルなスタイルのドラマーに魅かれていました。本当はすごいテクニックがあるのに、あえて基本リズムに徹したプレイがカッコよかったりした、ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツやボン・ジョヴィのティコ・トーレスが好きでしたね。ティコ・トーレスは激しいテクニックではなく、スネアドラム一発で決めるのがかっこよくて、彼の重いリズムが好きでした。

――ご自身もこだわりのスネアを使っていたり?

ラディックのドラムが好きで使っていて、当時はツーバスだったんです。今でもスネアだけは持っているのですが、家のどこかに眠っているんですよ……。最高の音とは言わないですけど、なかなかいいですよ。硬い音で。

――ビンテージとして価値がありそうじゃないですか?

当時、友達から中古で買ったんですよ。彼はハワイで買ったらしいんですけど。50万円ぐらいで買ったというやつを値切って、10万円で売ってもらった覚えがあります。思いっきり叩きまくっていたからボコボコなんですけど。

――それはぜひ掘り起こしていただきたいです!

何年か前に会社でやった新年会ライブのときに引っ張り出してきましたけど、一式出すのが面倒で。ははは(笑)。

社会人になってからのバンド活動時のショット。こちらでもドラムを担当
からの新年会ライブで歌う小柴社長! かっこいい!

「70歳までにデビューしたい」小柴社長の今後の展望に迫る!

――小柴社長が音楽でプロになる夢を諦めたのはいつ頃だったのでしょうか?

初めにハッキリ申し上げておきますが、私はまだその夢を諦めていません(笑)! のちほどこの件には触れさせていただきます……。とはいえ先ほども少しお話しましたが、バンドをやるために会社を起こそうと思いまして、そのために掃除の会社に就職をして2年間ほど修行をしたんです。その後、アーバンシステムを立ち上げたのですが、33歳ぐらいのときにお客様にもだんだんと認めていただいて、規模も大きくなりまして。子どももできて、会社の従業員たちも増えてきたので、ちょっと真面目に軸足をバンドから会社に移そうかなと。ただ当時は並行して原宿のホコ天にも出たりして少しはファンもつくようになっていたので、正直、悩みました。そこでコイントスにすべてを託し、その結果「引退します!」と宣言しました。あはは(笑)。

――音楽活動を真剣にやってきたなかで、今の仕事とはどういう面で繋がっていると感じますか?
自分の考えていることを表に出せる術を身につけると、自分の仕事の発想にも繋がってくると感じますね。私の場合は自分が好きな音楽を作っていましたが、人にウケるような曲を作ろうとする人には基本的に「自分をアピールしよう」という思いがあるはずですので、それがいい形になって営業に繋がってきたり。

――なるほど。

あと、これは大きなポイントだと思うのですが、同年代の人と接するときには、音楽が意外と話の種になる。特にロックはかなりキーワードになって、繋がってくるんですよね。ですから、仕事の相手先に音楽好きの方がいたら「ラッキー!」と感じます。私のビジネスでは、すごく役立っています。

――それでは今後の会社としての展望を教えてください!

現在、弊社の従業員はパートさんも含めて120人ぐらいなのですが、200人ぐらいの規模までは、今のビジネスモデルのままでいけると思っているんです。売り上げにしますと80~100億円程度でしょうか。そこまでは今のスタイルを崩さずに、マーケットを拡大しながら建物管理+リフォーム・リノベーション工事中心でいこうと思っています。5、6年程度でいけるんじゃないかなと思っていまして、そこまではひたすら走るってところでしょうか。

社員のみなさんとのショット。音楽好きな方がたくさんいらっしゃるそうです!

――素晴らしいですね! 音楽好きな個人としての今後の展望は何かありますか?

70歳までにデビューしたいなと思っていまして。

――おおー!!! かっこいいです!

実際に今ね、改めてドラムを学び直してるんですよ。週に1回レッスンに通っていて「意外と俺、叩けるじゃん!」と思ってきていまして。

――素晴らしいですね。

若い連中のバンドに入れてもらって、デビューしたいなと思ってます。本気です!!

――社長、かっこ良すぎます!

ははは(笑)。本気本気(笑)!

――本当に素敵だと思います! 最後にお聞きしたいのですが、アーバンシステムさんの募集要項は「ロック可」ですよね!?

……さすがにちょっとそこはね……(笑)!

――ダメですかー!

(自分の髪型を指しながら)これぐらいはOK! これぐらいはね(笑)!

(おわり)

エネルギッシュな音楽好き社長!

学生時代の音楽活動や起業エピソードから、音楽を純粋に愛し続けてきたことがよく伝わってくる小柴社長。今も変わらない音楽への情熱をもち、「70歳までにデビューしたい」という言葉が自然に出てきたときには、あまりのかっこよさにグッときました。それまでには仕事が忙しくなかなか行けていなかったというライブにも、50代を越えてからコロナ禍にさしかかる前までにはたくさん足を運んでいたようで、ローリング・ストーンズやディープ・パープル、はたまたボブ・ディランなどのライブを楽しんできたそうです。さらに、「バンド活動のために会社を立ち上げた社長にはどのような苦労があったのでしょうか?」とお聞きした際に、社長はきっぱりと「苦労はなかったです」と回答。仕事に誠実に取り組む毎日で、金銭的にあまり余裕がない時期でも音楽があったことで心が満たされ、苦労には感じなかったといいます。音楽愛にあふれていてチャレンジ精神も忘れない社長、とっても素敵でした。ありがとうございました!

プロフィール

こしばたくひと●1960年生まれ。父の影響でラテンやロックに目覚め、学生時代はバンド活動開始に明け暮れる。1984年ソフトウエア会社に入社、プログラマー・SEとして従事。ロックユニットWaiting for executionの活動を開始。1986年清掃会社へ転職し、ビル管理・住宅管理の基礎を学ぶ。1988年立花クリーン創業、妻とロックバンドALIVEを結成、原宿のホコ天でも演奏。1990年アーバンシステム株式会社を東京都練馬区に設立。その後、一都三県に事業展開中。2020年周年事業として、リノベーションブランド『Remote Lovers(現Renovation Lovers)』立上げ。2021年女性だけの建物管理チーム『4Ls’』をスタート。現在も音楽活動をライフワークとし、夢は70歳までにメジャーデビュー。

アーバンシステム株式会社
https://www.urban-system.co.jp/

[耳マン編集部]