【イカ天ロゴTシャツ制作記念】和嶋慎治(人間椅子)が語るバンドシーンの変遷「当時はバンドが時代の最先端でした」
元タレントの田代まさし氏が展開していたブランド『マーシーズ』の復刻、1990年代にティーンのあいだで流行したファッションブランド『エンジェルブルー』の復刻などノスタルジック&エモーショナルなアパレルアイテムをプロデュースしている『耳マン』がこのたび、1980年代後半から1990年代の空前のバンドブームに火を付けたオーディション番組『平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国』(通称、イカ天)のTシャツを制作させていただくことに! イカ天Tシャツの完成を記念して、同番組で活躍し現在でも第一線で音楽ファンを魅了し続けているロックバンド・人間椅子の和嶋慎治氏にインタビューを敢行。イカ天Tシャツをバッチリと着こなしていただきつつ、当時を振り返ってもらいました。和嶋さん、めちゃくちゃかっこいい!
若い人には一周して新鮮なTシャツでしょうね
——イカ天ロゴTシャツ、さっそく着ていただきましてありがとうございます! 番組のロゴをフロントに、番組の象徴だったイカのモチーフをバックにデザインさせてもらいました。
柔らかくて着心地がいいですね。僕はあまり白いTシャツは着ないですが、今回は白を選んでみました。上にシャツを着てインナーにするのもよさそうですね。最初は「イカ天のロゴのTシャツって大丈夫!?」って思いましたけど、若い人には一周して新鮮でしょうね。
——とてもお似合いでかっこいいです! 今回、懐かしいシリーズでイカ天のTシャツを作らせていただいたのですが、人間椅子のイカ天の出演時を振り返っていただければと思います。まず、出演の経緯を教えてもらえますでしょうか?
イカ天が始まる1年前くらいだったと思うんですけど、大学3年生か4年生くらいの頃から人間椅子としてのバンド活動をやるようになったんです。でもライブをやっても友達しか来ないような状況が続いてしまっていて。動員が全然増えないから「コンテストに出てみようか」みたいな話を鈴木君(鈴木研一:人間椅子のベース&ボーカル)ともしていた頃にイカ天の放送が始まったんですよ。自分たちと同じようなアマチュアバンドも出演しているし、僕らも運がよければ出られるんじゃないかと思って。それで応募してみたら出演できることになったんです。
——出演後の反響はどうでした?
僕らはキング(※番組に出演したバンドは前回放送のチャンピオンバンド=キングと対決、勝利したバンドがキングとして次回にも出演する)にはなれなかったんですけど、審査員から高評価をもらえたんです。それで放送の次の日、当時住んでいた高円寺を歩いていたら「昨日イカ天で観ました」ってすぐに声をかけられて。怖かったですよ、正直。たった1日で知らない人から声をかけられるなんて思ってもいなかったですから。
——その後も人間椅子は定期的にイカ天に出演していたんですよね。
本当は負けたら出られないんですけど、番組内でやっていたバンドの人気投票でいつも上位に入っていたので、特番があると呼んでもらえたり、ちょっとしたレギュラーみたいな感じになっていたんです。番組もすごく人気だったのでバンドをやってる人はみんな僕らを知ってくれているような雰囲気もあって、ちょっと勘違いしちゃってましたね……。「有名になった!」みたいなおごりがあったと思います。あの頃、イカ天に出てた人たちはみんなそうだったんじゃないかな。
イカ天のおかげで今の僕らがあるのは間違いないですね
——やっぱり当時のバンドブームはすごかった?
やっぱりすごかったです。バンドが時代の最先端でしたから。で、当時のバンドブームといえばビートロックが主流だったと思いますけど、そんななかでイカ天に出ていたバンドは“イカ天”っていうジャンルみたいな感じだったと思います。本当に何でもありで、いろんなバンドがいましたから。でもライブハウスだったりホコ天(当時の原宿の歩行者天国のこと)でがんばっていたバンドからすると、イカ天のバンドってぽっと出みたいなところもあったから「ロックじゃない」みたいに言われることもあって。のちに「イカ天出身は恥ずかしい」みたいな風潮も出てきましたね。
——それでも人間椅子にとってイカ天は大切な場所だった?
僕らみたいな重いハードロックに日本語をのせるみたいなスタイルは当時の主流と全然違いましたけど、そんな僕らでも結果としてデビューできたのはイカ天に出たからですしね。イカ天のおかげで今の僕らがあるのは間違いないですし、本当に感謝しています。
——印象に残っているイカ天時代の思い出は?
イカ天に出ていたバンドで地方に巡業に行くことがけっこうあったんですけど、それが楽しかったですね。ライブをやって夜はみんなでどんちゃん騒ぎ。番組が人気だったので僕らもモテましたよ(笑)。ホテルに戻ると女の子がいっぱい待っていたりして……(笑)。
——泊まってるところもバレちゃうんですね!?
不思議ですよね。いきなりモテちゃって驚きました。当時のバンドマンはみんなそんな感じだったと思います。あまり詳しくは言えませんけど(笑)。でも僕は「ブームは去るだろうな」って感じていました。これがいつまでも続くとは思ってなかったです。
——でも環境が一気に変わったんですね。
とくかく急に忙しくなって、バイトも辞めました。当時はバンドをやりたかったから嬉しかったですけど、学園祭だけでも相当数やりましたよ。お金は正直あまりもらえていなかったですけどね……(笑)。今でも忙しくさせてもらっていますけど、ライブはイカ天に出ていたときのほうがやってたかもしれないです。
昔はみんなちょっと尖ってたかも
——当時のイカ天バンドで今の若者にもオススメしたいバンドは?
やっぱり「たま」でしょうね。たまはすごいと思います。僕らも若かったからまわりのバンドにライバル意識をもってましたけど、たまには完敗だと思いました。全然敵わないって。詞もいいし曲もいい、オリジナリティがあって、すごくアートですよね。ロックというサウンドではないけど、迎合していない雰囲気があってとにかくほかとは一線を画していました。
——やっぱりライバル意識はあったんですか?
当時はそういう気持ちがあったと思います。そういう気持ちが励みになってがんばるわけですから。だからたまとはあまり仲よくはなれなかったかな。
——最近のバンドシーンって昔ほどバチバチしていないみたいな話を聞くこともありますが、和嶋さんはどのように感じますか?
確かに昔のほうがバチバチしていたかもしれませんね。最近は尖ってるバンドが少なくなったっていうか、昔よりも真面目になったような気がします。もちろんどこかではハメを外してると思いますけど、打ち上げもあまりやらないみたいですし、酒もあまり飲まないとかタバコは吸わないとか、不良っぽいこととかってあまりしないイメージがありますよね。みんないい人で真面目に音楽をやってる。もちろんそれは悪いことではないですけどね。あと、最近のバンドは挨拶をみんなしっかりする(笑)! 昔のバンドってお互いにけん制しあってましたもん。
——逆に今も昔も変わらないと感じる部分は?
やっぱりアウトサイダーな人がバンドやるわけだし、みんなどこかそういう空気は感じますよね。挨拶をちゃんとしたり表面上では接しやすいけど、深く入れない感じっていうか。あと、今も昔も病んでる感じの音楽をやっている人はいますけど、病んでる感じは今のほうが強いと思う。別な意味で尖ってるのかなぁ。
——そんななかで打ち解けることができた最近のバンドっていますか?
もちろんみなさん仲がよくなったら打ち解けてくれるんですけど、[ALEXANDROS]の白井くん(白井眞輝:ギター)が人間椅子を好きだって言ってくれてから話しかけてくれる若いミュージシャンが増えましたね。最近だとフェスで一緒になったキュウソネコカミのギターのオカザワくん(オカザワカズマ)とは友達になれる予感がしています。
——音楽フェスが増えたことで昔よりもバンドのコミュニケーションが増えたみたいなところがあるんですかね。
それはあると思います。世代が関係なくコミュニケーションがとれるようにもなりましたからね。そもそも僕らは最近までフェスに出られなかったので、若いバンドに勉強をさせてもらう気持ちで出演させてもらっています。
——解散をしているイカ天出身バンドも多いなか、30周年を迎えた人間椅子が今でも第一線で活動できている秘訣って何ですか?
僕らがずっと活動できているのは常に時代の主流じゃない音楽をやっているからっていうところがあると思います。音楽的に時代に寄り添っていないので続けられるんです。あと、こんな言い方するとアレですけど、爆発的に売れなかったことも大きいと思います。大きなゴールにたどり着いたら燃え尽きちゃうと思いますけど、僕らは燃え尽きようがないんですよね。ゴールにたどり着けていないので。だから今でも好きな音楽をやれているんだと思います。階段をのぼるようにこれまでやってきたことを続けて、40周年、50周年を迎えることができたらいいですね。