【特別コラム】大槻ケンヂの『泣けるほど笑えた思い出ばなし』〜忘れられないドリフターズのコント〜

連載・コラム

[2020/5/8 17:00]

大槻ケンヂの『泣けるほど笑えた思い出ばなし』

新型コロナウイルスが世界中で猛威をふるい、外出自粛を余儀なくされている昨今。おうちで過ごすみなさまに少しでも楽しい時間をお届けすべく、ミュージシャンの大槻ケンヂさんに『泣けるほど笑えた思い出ばなし』をテーマに特別コラムをご執筆いただきました!

大槻ケンヂ

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忘れられないドリフターズのコント

 人生で一番笑ったときはいつか?と思い返してみたところ、それは間違いなく小2くらいのときに観たザ・ドリフターズのコントですね。「なんだテレビか」と50数年も生きてきてそれこそ笑われそうだけど、笑ったんだから仕方がない。泣くほど。

 細かく言うならドリフの中でも仲本工事さんといかりや長介さんのコントだった。『ドリフ大爆笑』であったのかもしれない。仲本が息子、いかりやが母親の設定で、着物に女カツラのいかりやがごはんを作っていた。仲本が母にブーたれる。「ね〜母さ〜ん、もっと栄養のバランスのとれるご飯作ってよぅ」「え? なんだい栄養のバランス?」「そう、バランスのいい食事だよ。子どもの健康を考える親ならそうしてよ」「バランスねぇ、はいはいわかりました」「たのんだよ」「はいはい、バランスね、バランスバランス」

 と、ここでセットが変わる。映し出されたのは、お茶の間に延びた1本の平均台であった。その上を、母親姿のいかりやが、その長い腕を左右に広げ、ヨロヨロと歩いてくる。彼(彼女?)の両手には、味噌汁を入れた茶碗と、白米を入れた茶碗とが、左右それぞれに握られていた。
 「ハイハイ、バランスのいい食事、持ってきたよ」
 母(いかりや)の足元はおぼつかず、味噌汁ははねてこぼれ息子(仲本)の顔面、特に眼鏡を、容赦することなくピシャ!ピシャッ!ピシャーン!!と濡らしたものだ。「ウプッ!母さん!!」「ハイハイ、バランスだろ、バランスが大事なんだろ」「そうさ、バランスさ! だけどこれ母さんちょっと!」「バランスバランス、バランスだよ……ああ」
 母(いかりや)の足元がさらに揺らいだ。そのまま落下したかは記憶にない。テレビの前で私は腹をかかえ涙を流しあまつさえゴロゴロころげまわって笑った。しかし今思うと何がそんなにおもしろかったのだろう?

大槻ケンヂ

おおつきけんぢ●1966年生まれ、東京都出身。1988年、ロックバンド筋肉少女帯のボーカルとしてメジャーデビュー。同バンドのほかにロックバンド特撮、ソロプロジェクト・オケミスなどで音楽活動を展開。作家としても活躍し、1994年『くるぐる使い』、1995年『のの子の復讐ジグジグ』にて優秀なSF作品に贈られる星雲賞を2年連続で受賞。おもな著書に『ステーシーー少女ゾンビ再殺談』『グミ・チョコレート・パイン』がある。