『BRADIOのファンキーハンター』【第3回:カッティングギターの神アル・マッケイ編】

連載・コラム

[2016/2/29 13:00]

人気上昇中の若手ファンキーロックバンドBRADIOが、より“Funky!!”なバンドを目指すべくファンキーなヒト・コト・モノに出会いに行く連載! Photo by Masanori Naruse(ライブ写真)


Hi!Funky Party People!! BRADIOボーカルの真行寺貴秋です! 最近はインフルエンザが大流行してるみたいだけどみんなはファンキーにらしくやってるかい!? 今回のインタビューは世界的バンドの重要人物のひとりでもある男が率いるバンド。行くところすべてがダンスフロアになっちまうぜ、アル・マッケイ・オールスターズだ!

アル・マッケイ・オールスターズ

アース・ウインド&ファイアーのギタリスト
このバンドの中心人物アル・マッケイは、日本国内でも絶大な人気を誇り、6度のグラミー賞受賞、そしてロックの殿堂入りも果たしているファンクミュージックバンド、アース・ウインド&ファイアーの元ギタリスト。切れ味抜群のファンキーなカッティングギターで知られている! 聡一(BRADIOのギター)もよくこの奏法をやってるぜ! 同バンドに在籍した1973年から1981年のあいだに、言わずと知れた名曲『セプテンバー』や『宇宙のファンタジー』などの作曲にも貢献。まさにアース・ウインド&ファイアーの黄金時代を支えたと言っても過言ではない!

アル・マッケイ

彼が生み出すグルーヴには知らず知らずのうちに勝手に体が動いちゃうんだよ! 1990年代に入ってからL.A.オールスターズ(のちにアル・マッケイ・オールスターズに改名)で活動再開。アース・ウインド&ファイアーのスピリチュアルを受け継ぎ、ハッピーディスコブームを今に蘇らせるまさにシャイニングスターだ! 今回はギターの聡一とそんなアル・マッケイに会ってきたぜ!

会場はビルボードライブ東京。左がボーカルの真行寺貴秋、右がギターの大山聡一

楽屋前で打ち合わせ。アル・マッケイ好きの聡一はかなり興奮気味!

INTERVIEW

「Hi!!」と気さくに出迎えてくれたアル・マッケイ! スーパーナイスガイ!

貴秋&聡一:今日はよろしくお願いします!
アル:こちらこそ。キミたちの格好、なんだか懐かしくて落ち着くね。
貴秋:ありがとうございます。僕のこのアフロ……何点ですか?
アル:僕も昔はアフロだったけど……キミのはラリー・ダン(アース・ウインド&ファイアーの元キーボーディスト)に近いね。点数は99.5点だな。
貴秋:惜しい……。
アル:ハハハッ! ウィルソン・ピケットの曲(『Ninety-Nine And A Half (Won't Do)』のこと )にもあるだろ?
貴秋:なるほど!
聡一:今日はあなたのことやアース・ウインド&ファイアーのことなど、いろいろ聞かせていただこうと思います。
アル:もちろん、いいよ。
聡一:まず、あなたがギターに興味をもったのはいつだったのですか?
アル:小学校3年生のとき、姉と一緒にエルヴィス・プレスリーの映画を観に行ったんだ。僕はその映画のこともエルヴィスのこともよく知らなかったんだけど、その映画でエルヴィスがギターを弾くシーンがあって、それにクギ付けになってしまったんだ。終わってからも劇場に残って「もう一回観たい!」って。それで9歳のクリスマスのときに最初にギターを買ってもらったんだよ。
聡一:プレスリーがきっかけだったんですね。
アル:B.B.キングに影響されたとか言ったほうがカッコいいかもしれないけどね(笑)。
貴秋:(笑)。あなたのカッティングギターは、ギターを弾けない僕でも思わず弾きたくなってしまうような気持ちよさがあります。どうやってその奏法を身に付けたんですか?
アル:僕は中学、高校ではオーケストラとダンスバンドで演奏の仕事をしていたんだ。でもそこではギターじゃなくてドラムだった。もちろんギターはずっと弾いていたけどね。高校の終わりまでドラマーとして仕事をしていたんだけど、そのあいだにリズムを生み出す楽しさを知ったんだ。それがギターのプレイにも影響されているんだよ。コードをたくさん鳴らしたり、ソロをたくさん取ったりすることじゃなく、みんなを踊らせるために弾くリズムギターの楽しさがあるって気付いたんだ。それからジェームス・ブラウンの音楽を聴いて、彼の音楽に圧倒された。当時の彼のバンドにいたジミー・ノーランの素晴らしいリズムギターにすっかり影響されてね。ジミーは僕が最も影響されているギタリストだよ。キミたちジェームス・ブラウンは聴くかい?
貴秋&聡一:もちろん、好きです!
アル:ハハハ! 若いのにやるね。

貴秋:あなたはアース・ウインド&ファイアーに参加して、代表曲『セプテンバー』も作曲しましたね。
アル:ああ。
貴秋:あの曲はどうやって生まれたんですか?
アル:ツアーのオフのときだったと思うけど、気持ち的にくつろいでいるときにコード進行が思いついて、スタジオでギター、ベース、ドラム、ピアノを簡単に録音してラフを作って、それをモーリス(モーリス・ホワイト/アース・ウインド&ファイアーのリーダー&ボーカル、2016年2月3日に74歳で死去)のところに持って行ったんだ。音源を聴いてニコッとした彼の表情を見て“これは気に入ったな!”って思ったよ。それで「もう一回聴かせてくれ」って言うから曲を流すと、モーリスが歌い出した。そのときに最初に出てきた言葉が「Do you remember」だったんだ。
貴秋:それは、すごい話です……。僕もモーリスにはとても影響を受けているので、彼の訃報を聞いたときはとても悲しくて。音楽はもちろん、彼のスピリチュアルなところも……
アル:キミ、誕生日はいつだい?
貴秋:えっ!? 1983年11月24日です。
アル:いて座だね、なるほど。モーリスもキミと同じいて座だ。
貴秋:そうなんですか! 実際にモーリスはどんな人だったのでしょうか?
アル:モーリスは革新的なミュージシャンであり、偉大なプロデューサーだった。もともとはドラマーで、演奏できるのはドラムとカリンバだけだったけど、とにかく耳がよかった。そんな彼が作る曲ももちろん素晴らしいけど、特に歌詞を書く才能に優れていたと思うね。ボーカリストとしての才能は世界中が知ってるとおりだと思うけど、その才能はステージよりもレコーディングで発揮されていたと感じるね。声のトーンやダイナミクスによる表現、部分的なダブリング……いろいろなアイディアがレコーディングの現場で大いに発揮されていたと思う。バンドのプロデュース力にも優れていて、彼はアース・ウインド&ファイアーをひとつの劇団のようなイメージで動かしていた。ライブのときもただ演奏をするんじゃなく、劇団を観に来たような感動を与えようとしていた。彼の目的意識の高さには、本当にすごいものがあったよ。
貴秋:なるほど……。
アル:僕もアース・ウインド&ファイアーでヒットソングを作ることができて、1981年にバンドを去りはしたけど、何かあればモーリスとコンタクトは取っていたんだ。お互いに恩を感じていたからね。でも、モーリスの病状がそんなに悪化しているとは知らなかった。だから彼の訃報を聞いたときはすごくショックだったよ。パーキンソン病に長いあいだ苦しんでいたのは、完璧主義者だった彼にとっては非常に辛かったと思う。寝ているあいだに亡くなってしまったらしいけど、キミも言うように彼はとてもスピリチュアルな人間だったから……すべてを了解したうえで天国に行ったんじゃないかな。

聡一:とても残念です。いろいろなことを経て、音楽をやり続けるためにはどんなことが必要ですか?
アル:僕はいつでも素晴らしいバンドメンバーと一緒に音楽がやれている。メンバーを大切にしているし、彼らも僕を大切にしてくれる。そういう関係があるからこそ音楽が続けられるんだ。僕のバンドのメンバーは、音楽界の巨匠たちほど演奏力は高くないかもしれないけど、みんな素晴らしい個性をもっている。それを自分たちの音楽にフィットさせてみんなで音楽を作っているんだ。こうやって音楽を続けられことが、本当にありがたいことだと思っているよ。
貴秋:素晴らしいですね。最後になりますが、あなたにとってファンキーとは?
アル:ワォ……難しいなぁ(笑)。シンコペーションだったり、ひとつのリズムをアンサンブルで奏でていくことだったり、マイナー9th系のコードだったり……う〜ん、なんだろう。でも結局はフィーリングかな。

BRADIOとアル・マッケイのナイス!なコミュニケーション!

[耳マン編集部]