「メンバーを食わせるまではやめられない」フラチナリズム・モリナオフミが語る33歳の自分【連載/33歳マン】

連載・コラム

[2016/11/23 12:00]

10代、20代でのさまざまな葛藤や苦悩を経て、今なお人生を奏で続けようとする30代のミュージシャンたち。この連載では耳マン(33マン)のサイト名にかけて、“もう30歳でもないが35歳でもない”絶妙な年齢と言える33歳のミュージシャンたちに話を聞いていく。水物とも言われる音楽界で強く生き抜く彼らから授かる金言の数々は、前向きに人生と向かい合っていくためのヒントになるはずだ。

第2回に登場するのは、独自のエンタメ性を追求しながらメジャーデビューを果たした4人組バンド、フラチナリズムのボーカル・モリナオフミ。モリは“手売りでCDを1,000枚売るまで八王子で共同生活”“北海道に強制移住”“大木凡人がバンド加入→すぐ脱退”などさまざまな話題を振りまいてきた同バンドのフロントマンであり、ものまね番組などでも活躍する類稀なるエンターテイナー。ここでは、そんな彼の深部に迫っていく。


「売れる!」って信じてる18歳のときの気持ちのまんま

――僕もバンドやってたときにフラチナリズムと一緒にイベントに出たりしてまして。

そうですよね。懐かしいわぁ。

――2012年とか2013年くらいでしたけど、ふんどしになったり素っ裸のアーティスト写真を出したり、「この人たちどこに向かうんだろ?」って思ってて(笑)。

ふはははは(笑)。あのときはまだふんどし素人でしたけどね、もうふんどしのプロでやらせていただいてますわ。ぶっちゃけあのあたりからバンドの様子がおかしくなりまして(笑)。

――(笑)。30歳になったときって何してたんです?

八王子で共同生活させられることになったのが2013年10月27日で、誕生日は10月7日だから……八王子に行くか行かないかの瀬戸際に立たされてた頃ですかね。そんな30歳。意味がわかんないっすねぇ(笑)。

――八王子での共同生活って辛かった?

どっちかって言うと嬉しかったですね。29歳まで鳴かず飛ばずのマックスだったんですけど、ちょうどその頃にテレビ(J:COM八王子)のレギュラーが始まったりして。共同生活もそのテレビの企画だったんですけど、「そろそろメシ食えるようになるんじゃない?」って希望がみえてきた感じでしたね。夢をもって18歳で上京したときみたいな気持ちでした。

――ぶっちゃけ、20代で売れなかったら音楽辞めるみたいな気持ちってありました?

正直、音楽でメシ食うのは無理かもって思ってたときもあって。だから28歳で就職したんです。ずっとバイトしてたところで。そこで店長になったんですよ。

――何の店?

ガソリンスタンドと車屋が一緒になったみたいなところですね。自分で車屋の部門を立ち上げて店長になったんです。それで働きながら音楽やってて。結局、31歳まで働いてました。

――ギリギリのところで希望がみえた?

本当にそうですよ。20代の頃なんてびっくりするくらい売れなかったですからね!

――30歳の自分ってどんな感じだって想像してた?

バンドで売れたいってずっと思ってたから、そりゃあスターになってると思ってましたよね。絶対スターやなって。まぁ、フタ空けてみたら目も当てられないくらい売れてなかったですよね(笑)。ふはははは(笑)! こんなに売れないことってありますぅ?みたいな。でもね、びっくりしたのが、30歳になって売れてない現状があったにも関わらず……「俺、売れる!」って信じてる18歳のときの気持ちのまんまだったんですよね。

――アツい。

僕ね、ふんどしとかになってますけど、どっちかって言うとバカではないので……

――確かに、絶対頭いいなって当時も思ってました(笑)。

自分のなかにある程度の計算式があって、答えが導き出せる脳みそはあるタイプだと思うんですよ。そんなやつがですよ! ぜんぜん30歳のときの自分を計算できてなくて! しかも思い描いてたのとぜんっぜん違うのにそれがまたオモロなってきてもうて。何よコレ!みたいな。こんなギャップありますぅ?っていう。まったく計算できてへん。30歳になってから余計オモロいですわ。歳とっていけばいくほどオモロいです。

――最後の詰めが甘かったんですかねぇ(笑)。

途中までの計算は完璧なのにね、最後の=がなかったみたいな。でもイメージとは違いますけどね、人生で今がいちばん楽しいからね! 30歳がいちばんオモロい、31歳がいちばんオモロいっていう。で、33歳がいちばんオモロいっすわ。

――めっちゃ希望にみちあふれた33歳。

そうなんですよね。33歳で希望に満ちあふれてるなんてめっちゃ気持ち悪いですけどねぇ(笑)。

――素敵だと思いますよ。

その気持ち悪さで平然といられるのが自分でもオモロいですわ。

あの一瞬の景色だけで苦労したことが全部なしになっちゃう

――30代になってからもいろんなことに挑戦してきたみたいですけど……いちばんキツかったのは?

圧倒的に北海道移住ですね。あんなんね、頭おかしくなりますわ。テレビとかいろんなおかげもあって、2014年に八王子で2,000人のホールを満員にできたんですよ。でもそのライブの最後に事務所の社長から北海道移住の宣告をね……。

――そのときまで知らされてなかった?

ホントに知らされてない。『電波少年』の世界ですよ。ライブの終わりにスクリーンが降りてきて、「フラチナリズム、メジャーデビューします!」って。で、会場もウワー!なって。でも、「ただし条件があります。1月から4月まで北海道に住んでもらって、2,000人規模の会場を満員にできたらメジャーデビューできます!」とか言われてね。聞いた瞬間、頭真っ白ですよ。

――もはや芸人(笑)。

あとから「何で北海道?」って社長に聞いたらね、「何となく修行っぽいやん」って。普通ね、そんな企画やるならね、知り合いがいる地域とか地元のメディアをおさえてるとか、そういうのあるじゃないですか! でも、まったくそんなんナシ。

――でも、結局2,000人埋まったんですもんね。

正味、3ヶ月半くらいの活動のなかで200本くらいのライブとか流しをやって、テレビ10本くらい、ラジオにも20本くらい出られて。それを全部、自分たちで勝ち取っていったんですよね。「2,000人を呼ぶ方法」っていう企画書を書いて、このときまでに〇人、このときまでに〇人っていう式を出して、それをデッカイ紙に印刷してね。1日ごとにこれ達成!ってやっていくんですよ。本当に0から。流しをやらせてくれる場所を探すところからですよ!

――すごい……。

奇跡でしょ、奇跡。絶対埋まらへんと前日まで思ってましたから。でもね……バンドマンのよくないところが、あの一瞬の景色だけで苦労したことが全部なしみたいになっちゃうでしょ。

――わかりますわかります。

辛いよ辛いよ〜ってずっと言ってたのに、お客さんでいっぱいになってる会場みると全部なかったことになっちゃうじゃないですか。あれ、よくないですわぁ(笑)。

――ホントにすごい経験ですよね。メンバー全員で足並みを揃えていく大変さってのもあったんじゃないかなって思うんですけど。

それはないですね。僕がやるって言ったら絶対にやるんで。絶対王政(笑)! 圧っ倒的な絶対王政ですわ。独裁国家!

――(笑)。今度ほかのメンバーに話を聞きたいなぁ。

取材、絶対しないでください……。でも、僕がほかのメンバーより年上とか、フロントマンだとかそういうのだけじゃなくて、高知県で結成して上京するにあたって「大丈夫!絶対音楽でメシ食わせるから」って言って連れてきてるんですよ。それをまだ信じてもらってるんだと思います。だいぶ時間は経ってますけど(笑)。

――でも本当にそうなってきてますもんね。メジャーデビューもしたし。

こないだ同い年のグドモ(グッドモーニングアメリカ)の金廣(真悟/ボーカル、ギター)と話してて、「33歳で音楽やってて、音楽が好きっていう気持ちを度返ししたときに何が残る?」って話になって。そのとき僕が思ったのって純粋に責任感だけだったんですよ。メンバーを食わせるまではやめられないっていう責任感。

――これまたアツい。

それと同時に、成功できるかっていうプレッシャーに一番ビビってるのも僕だし、一番自信ないのも僕なのかもって思ったんですよね。だからこそめちゃくちゃいろいろ考えてるのかなって。外面はポジティブにやってるけど、いろいろ考えながらやってるのって自信がないからなのかもしんないなって。

――そういうことを考えられるようになったのも30代になったからこそなんですかね。

気付くことばっかりですわ、30代になって。ほんっとに。

2年で武道館は間違いなくいきます。これは言い切りたい。

――結婚願望とかってないんですか?

個人としては結婚願望バキバキにあるんです。子どもほしいですわ。でも、今は彼女もいないし、プライベートはすさんでます。

――彼女もいないんですか。

実はね、6年間同棲してた彼女がメジャーデビュー決まったときに僕のもとからもデビューしていったんですよ。

――ははは(笑)!

この現象をダブルメジャーデビューと呼んでるんですけど(笑)。

――「デビューしたからもう安心!」みたいにはならないもんなんですねぇ。

「まだやんのかよ」ってなったんでしょうね(笑)。ワンちゃんも一緒に暮らしてたんですけど、ワンちゃんも出ていっちゃってね。もう毎日ずっと泣いてますわ。『耳マン』で彼女募集してほしいですわ。

――どんな子がいいです?

絶対、ハーフ美女(笑)。

――(笑)。さてさて、バンドとしてはやっぱり目指すのは武道館?

そうですね。中野サンプラザ(11月19日)を成功させて、次は武道館に向けた2年間くらいにしたいなって思ってて。2年あれば武道館いけると思ってるんです。でも、あそこでやるには何かしらのもっと大きいヒット作が必要。自力で広げて作っていけるのって3,000人とか5,000人くらいキャパが限界なんですよ。10,000人っていうのは外的な要素が加わってこないと無理だから。そのためにどう動いていこうかって。そういう2年間になると思います。でも2年で武道館は間違いなくいきます。これは言い切りたい!

――11月16日にはニューシングル『涙の雨がやむ頃に/ズコ☆バコ』をリリースしましたね。

両A面なんですけど、これは“両極端”の“両”なんです。『涙の雨がやむ頃に』は聴かせるバラード、『ズコ☆バコ』はただ女子に「ズコバコ」って言わせたくて作ったしょうもない曲(笑)。

――本当に両極端。

『涙の雨がやむ頃に』は2011年くらいに作った曲なんですけどね、実は半年くらい歌詞が書けなくて。でもそのときに大震災が起きて、そのあとに15分くらいで書いたんです。バカみたいなことだけじゃなくて、こういう曲もちゃんとできるってところを聴いてほしいです。

――『ズコ☆バコ』は……?

そっちは……どうでもいいですわ(笑)。でも、ただ下ネタ言ってるだけじゃなくて、実はがんばってる人を応援する応援歌なんですよ。MVで最後に僕がふんどしになってますけど、こんなに恥ずかしいヤツかいるんだからみんな大丈夫だっていうメッセージです。ふははは! 底辺は僕! そう言う気持ちで作りました。

――2年後の武道館めっちゃ期待してます。どんなライブになるんでしょうね。

武道館でやってみたいですわぁ……しょうもないコント(笑)。

プロフィール

もりなおふみ●1983年10月7日生まれ。高知県高知市出身。ものまね番組やテレビのレポーター、イベントMCなどでも活躍するエンターテイナー。高知県で田村優太(ギター)、都築聡二(ドラム)と前身バンドを結成し、18歳で上京。2011年からフラチナリズムのバンド名で活動し、同年にタケウチカズヒロ(ベース)が加入。バンドは宴会的なノリで繰り広げるパーティーサウンドでジワジワと人気を博し、2012年からは彼らの代名詞とも言える“流し”活動を八王子にて開始(現在は八王子観光PR特使を務めている)。地道な活動を経て2015年に念願のメジャーデビューを果たした。これまでに“手売りでCDを1,000枚売るまで八王子で共同生活”“北海道に強制移住”“デビューアルバムを2週間で5,000枚売らないと解雇”などさまざまな無茶ぶり企画をこなし、2015年にはなぜか大木凡人が加入した(わずか16日で脱退)。11月16日には両A面シングル『涙の雨がやむ頃に/ズコ☆バコ』をリリース。同月19日には中野サンプラザホールでのワンマンライブも成功させた。

[Oh!!ビーフ]