「SNAIL RAMPの作り方18・ロサンゼルスと石丸」タケムラ アキラ(SNAIL RAMP)『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマン・タケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
ここ数回、ちょいとゲスい話しをさせてもらったこのコラムだが、今回は久しぶりに本題『SNAIL RAMPの作り方』に戻ろう。ドラムを募集していたSNAIL RAMPだったがようやく石丸と連絡が繋がり、当時原宿にあった『ロサンゼルス』というリハスタで石丸と初めてのスタジオに入った。
このロサンゼルスは原宿のど真ん中、明治通り沿いにあり、今だとH&M原宿店の2軒隣りのビル(ブックオフが入っているビル?)のなかにあった。スタジオにある小さなロビーで待ち合わせた俺たちは早速スタジオに入り、決めておいた課題曲『A PIZZA ALREADY』と『SHE'S SO NICE』を合わせてみた。
プレイしながらも俺は石丸のドラミングに驚愕を覚えた。
「こ、こいつは……」
「なんて可もなく不可もないプレイをするんだ……!」
上手いでもなく下手でもない。決定的にダメな部分はないが、別段光る部分もない。ただ、曲のスピードが速かったのか石丸が力んでしまったのか、曲が終わるとえらいハアハアしている。「こいつ大丈夫か……?」とも思ったが、まあこういうのは慣れだ。
ここまで書いたところでふと「当の石丸はどういうことを思っていたんだろうか」と気になった。このスタジオでの出来事は1995年の年末か1996年初頭のはず。もう俺の記憶が曖昧なのは否めなく、それを補完する意味でも聞いてみたい。
俺は早速石丸にLINEをしてみた。
午前2時33分になんのためらいもなくLINEする俺。返事は翌日のお昼だった。まったくナメた奴だ(←ヒドい)。
さすが石丸。入ったスタジオの場所までしっかりと覚えている。確かに店舗に入って左側にあった部屋だった。そしてやっぱりだ! 「曲が速い」「曲を追いかけるのに必死だった」「バンドがやれれば誰でもよかった」と供述する容疑者・石丸。だってあいつ、曲が終わる度にマジで「ハアハアハア……(まだやるんですか……?)」みたいな顔してたもん。そりゃ俺も「こいつ大丈夫か……?」と思うでしょ。
でもそんな石丸を見ても休憩を入れるでもなく、次から次へと演奏の繰り返しを指示する俺。曲を繰り返すたびに疲れが溜まっていっている様子の石丸だったが、そのプレイは相変わらず可もなく不可もないものだった。
「石丸、悪くないじゃん」
演奏を続けながら石丸への評価が高まっていった。そしてスタジオは終了。石丸はヨロヨロしながら竹下通りを原宿駅方向に登って行った。残った俺とギターの太郎は石丸をどうするか決めねばならなかった。
タケムラ「もう、あの石丸でいいんじゃね?」
太郎「うん、誰でもいいよ」
満場一致のテキトーさをさらに煮詰めた感じで、石丸をSNAIL RAMPのドラムとして迎え入れる意向が決まった。この後に石丸にそれを伝え、俺たちは一致団結してSNAIL RAMPとして活動していく、俺の記憶はこうだった。
しかし石丸からのLINEを見る限り、そうでもないようだ。
は〜!? このとき石丸はすでに4つバンドをかけ持ちしてるだとぉ? この時点で「石丸、ナメんな!」と激怒すべきところなのだが、こちらはこちらで「5個目大丈夫でしょ?」という何とも軽いノリで石丸を誘い入れている。完全に「満腹? 5個目大丈夫でしょ、このおにぎり小さいから」のノリだ。しかもこの「5個目大丈夫でしょ?」の言葉、間違いなく俺が言っている。自信がある。いや自信じゃない、確信だ。
「いくつバンドをやっていようが、カンケーない。必然的にほかのバンドは辞めることになるだろう」という、妙な自信がある高慢チキな奴が、当時の俺だったのだ。恥ずかしいったらありゃしないが、ある意味これくらい根拠のない自信をもっていないとバンドなんて怖くてやれない。
しかももっと怖いのは、そのとおりに石丸は次々とほかの4つのバンドを辞め、SNAIL RAMP1本に絞ったのだ。自分を過信するというのも、こういう時期には必要なのかもしれない。
兎にも角にもSNAIL RAMPはボーカル&ベースのタケムラ、ギター&ボーカル太郎、ドラム石丸という布陣で動き出した。が、俺はそれを良しとしなかった。実は4人目のメンバーを探していたのだ……。