余計なことは考えちゃいけないのである〜フェアポート・コンヴェンション『アンハーフブリッキング』〜平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)連載
音楽と絵画を愛するお笑い芸人・平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)が美術館の館長となり、自身が所持する数々のCDジャケットのなかから絵画的に見て優れているもの、時に珍しいものをご紹介する連載。
第40回:余計なことは考えちゃいけないのである
今回ご紹介するのはこちら。
フェアポート・コンヴェンション『アンハーフブリッキング』(1969年)
1960年代後半から1970年代にかけてブームとなったイギリスのトラッドフォークロック。民謡風の曲を現代的なフォークアレンジで聴かせ、しかもそれをロックというカテゴリーに含めてしまうという、よく考えてみれば荒業にも近いようなことをやっているジャンルである。全部ビートルズのせい説(by somebody)を基に考えると結局これもビートルズのせいなのだろう。
そしてその一大ブームとなったトラッドフォークロックはどうやらこのフェアポート・コンヴェンションから始まったようだ。彼らのサードアルバム『アンハーフブリッキング』はこのジャンルにおいて伝説的名盤として語り継がれている。フォークならではの温もりのあるサウンドに違和感なく溶け込むエレクトリックギター。どの曲も民謡のような素朴さを感じさせ、古い絵本の世界に迷い込んだかのように自然と頭に景色が浮かんでくる。そしてこの時期在籍していたボーカル、サンディ・デニーの“ボイス・オブ・フォーク”とも言うべき憂いを帯びた歌声が楽曲により深みを与えている。
さらに、この楽曲の世界観とあまりにもマッチしたジャケットの素晴らしさたるや。門の前にごく普通にたたずむ老夫婦。奥にはリラックスした様子のバンドメンバー。なんてことはない日常の1ページを切り取ったかような素朴さ。伝説的な名盤のジャケットとしてはあまりにも地味に見えるが、それがいい。
すべてのおじいちゃんおばあちゃんは存在そのものが芸術である。そこにいるだけで空気が変わる。このジャケットの場合、もしこのふたりがいなかったらなにか意味ありげなジャケットに見えていただろう。しかしこのおじいちゃんおばあちゃんがそこにただたたずむだけで、見る者に余計なことを考えさせず、ただただ純粋に素朴な気持ちにさせてくれるのだ。
つまりこのジャケットを見てこのおじいちゃんおばあちゃんは一体誰なのか?とか、なぜメンバーがメインで写っていないのか?とか、もしかしてこのおじいちゃんおばあちゃんの記念写真に偶然メンバーが写りこんでしまったのを勝手にジャケットに使っているだけじゃないのか?とか、もしくはこのおじいちゃんおばあちゃんが実はフェアポート・コンヴェンションなのか?とか、じゃあうしろの5人は一体誰なのか?とか、フィンガー5なのか?とか、そうなるとこのアルバムは『学園天国』なのか?とか、むしろ『個人授業』なのか?とか、むしろフォルダー5じゃないのか?とか、逆にV6なんじゃないか?とか、そういう余計なことは考えちゃいけないのである。