ジャケットに関してはドーピングである〜アリリオ・ディアス『朱色の塔/近代スペイン・ギター曲集』〜平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)連載
音楽と絵画を愛するお笑い芸人・平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)が美術館の館長となり、自身が所持する数々のCDジャケットのなかから絵画的に見て優れているもの、時に珍しいものをご紹介する連載。
第37回:ジャケットに関してはドーピングである
今回ご紹介するのはこちら。
アリリオ・ディアス『朱色の塔/近代スペイン・ギター曲集』(2005年)
やっぱりギターが好き!
弦を弾いたときのあの耳ざわりのよさ。表現の幅広さ。また奏者によってまったく異なる表情を見せてくれる無限ともいえる可能性。そして見た目のかっこよさ。そしてテレキャスターは人を殴るのに最適(byキース・リチャーズ)。
あらゆる音楽ジャンルで重宝されている楽器であるが、ギターそのものの楽しみ方にジャンルは関係ない。僕のなかでの好きなギタリストに順位をつけるのであれば、ロックやブルースギタリストが上位を多く占めてしまうなか、クラシックギタリストであるこのアリリオ・ディアスは確実に上位組に食い込んでくるくらいに大好きなギタリストである。まあ僕自身クラシックギターにそこまで造詣が深いわけではないが、この人を入り口に師である巨人セゴビア(アンドレス・セゴビア)など何人かを聴いてきてその素晴らしさを知ることができたという感じだ。
おそらくものすごい素人意見になるのだろうが、まず単純に全曲ギター1本のみで演奏しきっているのがすごい。それもまるでオーケストラさながらの音の厚みと音数だ。かつてあのクロスロード伝説で有名なブルースマン、ロバート・ジョンソンの演奏を聴いたキース・リチャーズがふたり弾いていると勘違いしたという出来事があったようだが、その点でいえばディアス、というかクラシックギタリストはロバート・ジョンソンの比ではない。おそらく普段ロックギターなどに耳が慣れている人がクラシックギターを聴いたら同じようにまずその音の厚みに驚くことだろう。
そしてその技術はもちろんのこと、ディアスの演奏に対して感じられるのは、歌心がありストーリー性があるということだ。曲によってはわずか4~5分の演奏のなかでまるで1本の映画を観たような気持ちにすらなる。
そんなディアスの歌心あふれる演奏を味わえるこのアルバムは、2005年発売とあるが、録音自体は1965年のものである。このときディアスは40代。表現者としても若さと成熟の両面を兼ね備えていた最高の時期だったと思う。
そしてこういったクラシックCDのジャケットでは、実在の風景写真や既存の絵画などがそのまま使われているパターンがやたら多い。オリジナリティのあるデザインとはちょっとかけ離れているため、反則といえば反則である。名作絵画などを使われた日にはちょっと批判しづらいではないか。
しかし、そこへきてこのディアスのCDはというと………名作絵画である。画家はアントワーヌ・ヴァトー。18世紀フランスの優美なロココ様式を主体とする画家で、絵のタイトルは『愛の賛歌』。若い男女が森で仲睦まじげに音楽を楽しんでいる。穏やかで何気ない日常的な風俗が描かれている。
これをジャケットに使われて誰がダサいなどと言える? 反則である。ドーピングである。まあ実際テーマやディアスのスタイル的にも調和してるのでしっかり考えられた上でのチョイスなのだろうし、見る側からすればいいジャケットであることに越したことはないのだが、やはりこれはずるい。ドラッグをやっている。ヴァトーという名のドラッグを。
たまにはクラシックもメタルのジャケットみたいにオリジナルの下手でダサい絵などを使ってみてはどうか。
例えばハロウィンみたいなジャケットでモーツァルト・・・・・・・
・・・・・・うん、聴かないね。