その精神はブルースそのものだと思う~Cocco『ラプンツェル』~平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)連載

連載・コラム

[2020/9/23 12:00]

音楽と絵画を愛するお笑い芸人・平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)が美術館の館長となり、自身が所持する数々のCDジャケットのなかから絵画的に見て優れているもの、時に珍しいものをご紹介する連載。


第112回:その精神はブルースそのものだと思う


今回ご紹介するのはこちら。

Cocco『ラプンツェル』(2000年)

<あの海外セレブの背後に偶然ロバートが写り込む奇跡>

個人的にかなり思い入れの強いアーティストである。実際1990年代のJ-POPシーンにおいて彼女は明らかにほかとは一線を画す異質な存在だった。ある種の怨念すらも感じるドロついた歌詞の世界、痛みを吐き出すような強烈な歌、そしてたまーにテレビなんかに出演した際の独特のキャラクター。距離を置いたところから見ると作為的なものにも見えてしまうかもしれない浮世離れした個性をもった謎多き表現者。しかし彼女の歌に向き合って聴くとそれらの個性が決して作られたものではなく、すべて彼女の心の奥底から真っ直ぐに放出されているものであることがわかる。あまりにも正直すぎるゆえ、およそ商業的な世界とは無縁の存在のように思えるが、なぜか売れてしまった天才。

「天才」などという言葉を今使ってしまったが、「天才」「純粋」そんな言葉ひとつで語れるような存在ではない。というより言葉ごときで語れる存在でもない。「知れ」、このひと言で本当は充分なのだ。しかし本当にそのひと言で終わらせたらギャラ泥棒として大炎上すると見せかけてそこまでのネームバリューもないのでそこそこの文句を言われて終わるという一番哀しい感じになるのは間違いないので、何とか言葉で可能な限り語らせていただきます。

そもそも売れた理由のひとつとして、シンプルに彼女をいちミュージシャンとして見た場合の圧倒的な作詞作曲能力の高さがあると思う。デビューするまで音楽経験などほとんど皆無に近かったようなので、それも彼女にとっては魂に導かれるまま形にしただけのことなのかもしれないが、ロングヒットとなった『強く儚い者たち』をはじめ、シビアな内容を歌っていてもメロディは一度聴いただけで好きになれるわかりやすさがある。

精神がそのまま表現に出る彼女のアルバムのなかで、サードアルバムに当たる『ラプンツェル』は彼女の「痛み」と「優しさ」が最も絶妙なバランスで表れているアルバムだと思う。シングルカットされた曲が多いだけあって楽曲の充実度が半端じゃなく、1~2曲目にあたる『けもの道』『水鏡』の最強の流れだけでアルバムのとてつもない完成度を予感させられる。トラウマを吐き出す初期の頃を彷彿させるヘヴィな『雲路の果て』や幻想的で美しいメロディをもつ『樹海の糸』、郷愁感のある『ポロメリア』ほかアルバム曲も名曲揃いである。

ジャケットは毎回、彼女自身が担当している。こちらは当然童話のラプンツェルがモチーフとなっているが、アルバムとの関連性はよくわからない。多分彼女のお気に入りの童話なのだろう。ちなみにその絵の才能が評価され絵本も出版しているが、故郷である沖縄への愛が詰まった幻想的で素敵な絵本だった。

彼女の音楽はよくオルタナティブ、あるいはグランジとしてカテゴリーされることが多い。確かにサウンドはグランジ、オルタナティブのそれに近いが、その精神はブルースそのものだと思う。それも批判覚悟で言うならジャニス・ジョプリンをすら超えるほどの。まあそれもあえて音楽ジャンルに当てはめるならの話で、彼女が表現する痛みや愛などすべてをひっくるめてひと言の言葉で表すなら、やはり「祈り」が一番近いのだろう。

一曲として見たとき、活動休止前のラストアルバムとなる次作『サングローズ』の『焼け野が原』を超えるものは僕のなかで今のところない。しかし活動再開後はポップで健康的な音楽をやるようになったことに関しては、きっと今幸せなのかななんて勝手に想像して何だか良かったな~と思っている。

なんだかんだでいつもより文字数多くなりました。ちゃんと仕事したよ。

平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)

ひらい“ふぁらお”ひかる●1984年3月21日生まれ、神奈川県出身。2008年に新道竜巳とのお笑いコンビ“馬鹿よ貴方は”を結成。数々のテレビ/ラジオ番組に出演するほか、『THEMANZAI2014』『M-1グランプリ2015』の決勝進出で大きな注目を集める。個人では俳優やナレーターとしても活躍。音楽・映画観賞や古代エジプト、恐竜やサンリオなど幅広い趣味を持つ。