竹下幸之介(DDTプロレスリング)の『ニシナリライオット』第11回:「西成のゲーセンは怖ええ〜」

連載・コラム

[2019/6/28 12:00]

DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!


2007年02月17日

177話『無我夢中』

今日は、昼から学校の友達と遊びました(^-^)/~~

南津で待ち合わせして、ふくちあんで昼飯をバリバリ食いました!!チャーハンうめぇ〜o(^o^)oあと、キムチが食べ放題なので皆モリモリ食べてると、店員さんがの顔が困ってました(^^ゞ

それから、カラオケ チャウチャウに行き、三時間バリバリ歌いました(o^-')bみんなは、最近の歌ってました(=⌒ー⌒=)なんか早いやつ!!
ぼくは、そんな歌知らないので、フォークばっかり歌ってましたf(^_^)
それから、まだみんな暇なんで、ボーリングに行きました(・o・)

友達と、遊んでてもすごく楽しいのですが、プロレスするのが一番ですね!!


大阪でカラオケといえばジャンカラなんですけど、西成人はチャウチャウっていう玉出にあるカラオケボックスを好む。あくまで都市伝説だがこの地域に住む人たちの9割はチャウチャウ or ホテル ボラボラで童貞を卒業するそうだ。

成人式の3次会がこのチャウチャウで開かれたことは記憶に新しい。2次会は40人近い人数でやっていたと思うけど、チャウチャウに来たのは6、7人。残りの30人は2人1組となり15組のペアを作ってボラボラに消えて行った。

悲しいかな。そのひとりに初恋の女の子も入っていたことを知った私は、ベロベロに酔っていたこともあり人目を気にせずにボロ泣きした。かぐや姫『好きだったひと』を嗚咽交じりに歌いきったときには朝陽がチャウチャウを照らしていた。

小学生のときは1970年代、1980年代のフォークソングしか聴いていなかったので友達とのカラオケではいつも場違い感が漂い、吉田拓郎を数曲披露しては所ジョージでお茶を濁してみたりエイジアで英語の歌詞にも挑戦してみたり。

「もうちょっと新しい曲なんか歌われへんのー?」

というリクエストにはアルフィーを歌って場をしのいだ。あまりカラオケに誘われることもなくなっていき、気づけば母のママ友たちとばかりカラオケに行くようになっていったなー。中学校にあがる頃にはこのときの反省を生かしてDef Techを聴き込んで披露するも

「古い!!」

と同級生たちに一刀両断にされてしまい、Def Techで古いのか……と納得いかないものの音楽のトレンドの移り変わりの早さについていけない自分がちょっと嫌いになったものだ。


2007年02月24日

184話『憧れのかぐや姫』

今日はTSUTAYAに、かぐや姫のベストアルバムを買いに行きました!! 40曲入ってる2枚ぐみです(^-^)/~~入ってる曲で、有名な曲は『神田川』『22才のわかれ』『なごり雪』で僕の好きな曲は『うちのお父さん』『赤ちょうちん』『好きだったひと』などなど...
知ってる人は少ないでしょうが(>_<)

いや〜やっぱフォークはいいですな〜o(^o^)o マンガ読んでるときと、プロレス見てるもしくは、やってる時と、フォーク聞いてる時が幸せでございます!!
皆さんも(とくに小学生)フォークに興味をもってみては(o^-')b

いくぞ〜!!ワン、ツー、スリー、フォ〜〜ク!!!


なんと。ここでかぐや姫のCDを買った話が。このCDが何を隠そう生まれて初めて自分で買ったCDとなります。まさかこの10年後に悲しみの『好きだったひと』を歌うことになるとは微塵も想像できなかった。

プロレスにしろ、音楽にしろ、とにかくまわりと趣向が合わなかったのがモチベーションになっていたと今になってみれば思う。プロレスラーになっておれがプロレスはこんなに面白いんだぞって教えてやる!ついでにかぐや姫を入場曲にしてフォークソングのよさも広めていくぞーと本気で考えていた。

考えすぎて「ワン、ツー、スリー、フォ〜〜ク!!!」という締めの言葉まで書いている。

もう少し有名になったらリング上で言えるかな。


2007年02月28日

188話『ゲーセン』

ひっさしぶりにゲーセンに行きましたよ(^o^)頭文字Dの4をやるために(^-^)/~~

めちゃくちゃおもろい!!なんやあのおもろさ!!

なんか、メモリーカードも自分の顔が作れていく免許証になってるから、超興奮しました!!

その内またやりに来よう!!
でも、西成のゲーセンは怖ええ〜…


先述しているとおり西成のゲーセンは怖い。大切なことなのでもう一度言う。西成のゲーセンは怖い。

今はもうネットカフェになってしまったのだが、当時の西成にはプラネットというゲームセンターがあり1FがビデオゲームやUFOキャッチャー、2Fにはメダルコーナーとプリクラがあり、おもに2Fは不良の溜まり場と化していた。

パンチングマシンのランキング1位〜100位は全て999.99kgで埋まり、メダル両替機の前には強面風の男がずっと見張っていて、カーレースゲームの座席はなぜかリクライニングするというこの世の終わりのようなゲームセンターだった。

私はこの頃ある事件がきっかけで、不良たちからも一目置かれていたので怖い目にあったことはほとんどないのだが、カツアゲはもちろん、シンナーの売買や怪しい葉っぱのようなもののやり取りもされていた(らしい)。

UFOキャッチャーのガラスが割られて、ミッキーとミニーのクッションが盗まれるという愛くるしい事件もあった。なぜかアーケード版『闘魂列伝』が置いてあり私もよく足を運んで、暇さえあればスロットを打ちメダルを稼ぎ時間を潰していた。

そんなプラネットは、学校の朝礼で校長先生が「あそこに近づいてはいけません」と毎週言うくらいデンジャラスゾーンだったが、子どもながらにこれはギリギリセーフ、これは全然アウトという境界線を学ぶ場所でもあったんじゃないかと思う。

実際ここには書けないアウトなことばっかりしてたやつはムショ生活してるし、適度にメダルで遊んでたやつはギャンブル漬けになりながらも勤勉にサラリーマンをがんばっている。

西成という地で少年時代を過ごしたことが私を強くしてくれた。それは胸を張って言えるかな。

竹下幸之介

1995年5月29日生まれ、大阪府大阪市出身。身長187センチ、95キロ。現役高校生レスラーとして2012年8月の日本武道館大会でデビュー。高校卒業後、日本体育大学へと進学し、学業とプロレスの両立に励み、2018年3月に無事卒業した。卒論のテーマは『ジャーマン・スープレックス』。2018年4月に入江茂弘に敗れるまで、KO-D無差別級王座11回防衛の最多記録を樹立した。地元西成への愛が深く、2018年大みそかの『年越しプロレス』には、「西成魂」の刺繍が入ったオーダーメイドの特攻服をわざわざ作って参戦。“西成のエリートヤンキー幸之介”として愛されている。