竹下幸之介(DDTプロレスリング)の『ニシナリライオット』第12回:「将来は後楽園ホールのある東京に住むぞ!!」

連載・コラム

[2019/7/12 12:00]

DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!


2007年03月10日

198話『時差信号』

今日は昼から暇なので一人でなんばをブラブラしてました!!
闘魂ショップに幼稚園以来に行きましたf(^_^)ムタの赤いコスチュームが無くなってたからちょっとショック!!あれを見に行ったのに...

近所の全然メニューがない吉野家に寄り、帰りました!!
帰りのバスの運転手が異様にいい人V(^O^)いい人っていうか喋る人!!
『最近事故が増えてます。3月にはいって北加賀屋で8人もの人が亡くなってるので、みなさん信号をわたるときは気を付けてください。ご協力お願いします。』とか
『この信号は時差信号です。ご協力お願いします。』とか

こんな運転手さんが増えたらおもしろいのになぁ〜(^-^)/~~


西成区の隣町は中央区という街で、なんばや心斎橋といった繁華街を擁する。西成にはタクシーで1,000円の距離で一気に都会という利便性があるのだ。

西成の学生は自転車で繰り出してはアメ村でホットドッグを買って食べ歩くというシティーボーイスタイル。しかしオシャレな都会で夜ご飯を食べて帰るほどの勇気はまだ持ち合わせていなかったのか、地元の吉野家で食べているところが小学生らしい。ブログに記されているとおり、何故かメニューが牛丼しかない吉野家があった。あれはどうしてだったんだろう。

西成区の交通手段としてメジャーなのが市バスで、住之江区のボートレース場から西成区を縦断して、なんばまで走る路線がある。西成のディープスポットを楽しみたい方には、1日乗車券を購入して市バスツアーを敢行することをオススメしたい。

さすがに北加賀屋という小さな街にも関わらず10日ほどで8人もの方が事故で亡くなっているのは多すぎる気がするが、正直西成も事故は多い。2000年初期のこの当時も、全盛期よりはかなり落ち着いていたというが、暴走族や環状族はまだたくさんいた。高速の出口が西成にはいくつかあり、特に玉出ICの近くは集会所としてよく使われていたようで夜な夜な爆音が鳴り響き「渋いな」と遠くから親父とよく見に行った。

西成の友達でバリバリ180を今も乗り回している男がいて、「心斎橋に服買いに行きたいんやけど足ないねん」と言うと車高下げすぎでほぼ擦りながら迎えに来てくれるのだが、「たけの家おばあちゃんおるから驚かせたらあかんから」と無音で迎えに来てくれる。

しばらく走るとマフラーから爆音が鳴り響き、その音を聞きつけたほかの走り屋が集まってきてイカついことになるのだが、心斎橋で古着買いたいだけやからーと今一度冷静にさせたりする。


2007年03月20日

211話『わかるプロレス』

ずっ〜と気になってた3/14後楽園ホールの宮本裕向VS佐々木貴...
サムライでは、昔の宮本の映像とか、高校の友達、お母さんの心境などの映像を流してたので楽しめました!!

序盤グラウンドの攻防でお互い一方も譲らず。
先に蛍光灯の一撃を受けたのは、宮本の一振りを受けた佐々木でした。
その一撃が、脳天ではなくまぶたに当たりいきなり大流血。
その後も、トペコンやヤンキードライバーや4メートルの高さからのフットスタンプなどラフな攻撃やテクニカルな攻撃を分けてうまく使い宮本で押していました。
だが佐々木は右腕(ラリアット)一発で流れを変えD-ガイストで勝負にでるが2カウント。
そして右足を狙うが、宮本がうまく返し、蛍光灯へのスプリングボードエルボーで流れを引き寄せ、高さ4メートルの立体建設現場からムーサルトプレス!!綺麗にきめたが惜しくもカウント2。
そしてリング下から机をとりだし、佐々木を寝かせまた立体建設現場に登るが、佐々木が息をふきかえし建設現場の上での攻防を制したのはベテランの意地をみせた佐々木が4メートル下の机にむかってD-ガイスト!!
だがこれもカウント2!!
佐々木はここで手を緩めず、蛍光灯の束への新型D-ガイスト(直角にタルドリラーみたいな形で落とす)で3カウントを奪いました...

いい試合だった!!あとプロレスを知らない人!!とくにデスマッチという言葉を知らない人が今の内容みてビックリしてるんだろうな〜!!それからプロレスを見ない僕のお母さんでも、おもしろいところがわかるというか楽しんでいたので、すごいな〜と思いました!!なにがすごいかたというとやっぱり、プロレスって何度か見ておもしろいところがわかってくるっていうところもあると思うので、一発でここまでインパクトを与えられるのは、さすがデスマッチ!!
『デスマッチはやろうと思えば誰でも出きる。そのデスマッチをして怪我をしないのが俺たちプロだろ。』という言葉がよくわかりました!!
『あんな高さから落ちて大怪我をしないのはさすがプロレスラーですね!!

やっぱかっこええわ!!

プロレスラー!!


今読み直すと、「わかったような口聞くな竹下!」と言ってやりたくなるところですが当時の熱量を思い出しました。今でもそのときの感動は覚えてて、この年の年末に初の後楽園ホールでのプロレス観戦に行くのだが、「やっぱり後楽園ホールで名勝負は生まれる!」と信じきった私は「東京に将来は住むぞ!」と西成の地を離れる決心をしたのだった。

小学校の友達の間でもこの試合はかなりの衝撃だったようで(私が録画したDVDは今は何処へ……)、しばらくはこの話題で持ちきりだった。又貸しの旅からなぜか西成のヤンキーの先輩方にもこの映像が届いていて、「プロレスおもろいな!ヤンキー最強や!」と西成の10代の間で一世風靡。

この9年後に宮本さんと私自身もタイトルマッチをするわけですが、場所は後楽園ホールでもなければ、大阪でもなく博多でした。「たけが宮本裕向と試合する!」と西成からも応援団が駆けつけてくれるくらい、この試合は我々の青春だった。

竹下幸之介

1995年5月29日生まれ、大阪府大阪市出身。身長187センチ、95キロ。現役高校生レスラーとして2012年8月の日本武道館大会でデビュー。高校卒業後、日本体育大学へと進学し、学業とプロレスの両立に励み、2018年3月に無事卒業した。卒論のテーマは『ジャーマン・スープレックス』。2018年4月に入江茂弘に敗れるまで、KO-D無差別級王座11回防衛の最多記録を樹立した。地元西成への愛が深く、2018年大みそかの『年越しプロレス』には、「西成魂」の刺繍が入ったオーダーメイドの特攻服をわざわざ作って参戦。“西成のエリートヤンキー幸之介”として愛されている。