竹下幸之介(DDTプロレスリング)の『ニシナリライオット』第34回:「幸せビッチな私の幸福論」
DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!
2007年09月07日
415話『今日一日悪くなかった』
今日の学校は朝から二時間裁縫…体力的にも精神的にも疲れました...
やっと第一段階終わったと思ったら第二段階はもっとややこしいんですわ(+_+)
ヤマモが「ハッピなんか別に つくらんでも買えばよかったのにな」
と言った時には疲れがガクッときました(~_~;)
まあ給食にはブルーベリージャムが出てきたので幸せでした(^^ゞ
学校終わってから二日分遊んだぜ~!!!
サッカーやって人生ゲームやってサッカーやって喋ってetc...
(あとどんなことをやったかと言うと人生ゲームを抜いて3回繰り返してもらったらいいです)
もう体がボロボロになって帰宅m(_ _)m
帰り道に大好きなグレープフルーツジュースを買って飲みましたが...
おいしかったです...
今ダイアナの真実を見てるのですがものすごい睡魔が襲っているため惜しくも寝ることに(-_-)zzz
もしできたら結末はどんな感じだったか教えてくださいね(o^-')b
探偵ナイトスクープはビデオとろf(^_^)
追記 かまいたちの夜攻略本を見ましたがクリアできました(^-^)
やった!!!
<「幸せ無限大だぜぇい」スギちゃん、ふたりの息子とのほっこりスリーショット>
このなんともない日常を記した当時の日記。給食にブルーベリージャムが出てくるだけで、とてつもない幸福に包まれていた小学生時代。大人になった今、好きなときに好きなだけ、ブルーベリージャムを買うことはできるが、果たして幸せだと堂々と言えるのだろうか。
ちょっと私の幸福論について述べたくなってしまった。戯言だと思って聞いてほしい。
先日、ツレがこんなことを言うのだ。
「幸せってわざわざ言う人って、絶対幸せじゃない人やん」と。
私は幸せを感じるとすぐに「幸せやわ」と、言ってしまう。
その習性は子どものときから変わっていないようで、昨日も前々から図書館で予約していた本の順番が回ってきたメールが届いたときに、
「やっと回ってきた! 幸せやわ!」
と大きな声で言ったし、なんならフカフカのベッドに毎晩飛び込むたびに「うれしい! たのしい! しあわせ!」と思っている。すぐに幸せを感じてしまう、幸せビッチな人間がこの竹下幸之介なのである。よく見たら名前にも“幸”の字が入っている。
この日記を綴っていた頃は、毎日友達と遊んだり、喋ったりすることで幸福感を得ていただろうし、今はプロレスをすることで幸福感を得ている。形は違えど、そこに大小はなく、幸せか否か。それに尽きるような気がする。
だから「私は幸せだ」と、思えばすでにあなたは勝ったも同然で、毎日がいい方向に向かっていくに違いないのだがここで気をつけなければいけないのが、
大人になること=自由になること
自由になること、其即ち幸せを感じ辛くなるということ。子どものときはお菓子を買ってもらったり、ガチャガチャを1回やらせてもらうだけで嬉しかったのに、大人になるとそうはならない。なぜなら自由だから。
だから私はいまだに童心をもって、マンガ1冊買ったらめちゃくちゃ幸せを感じるようにしているし、なるべく身の丈に合った生活を送りながら、たまにの贅沢で幸せを感じるようにしている。つまり、幸福をコントロールしているのだ。
物事に対してどう見るか・どう捉えるかが重要で、ほとんどの事象がプラスにもマイナスにも受け取ることができる。だったらできるだけ、プラスに感じることで、幸せになれるんじゃないか、これが私の考えです。
最後に1時間前に起こった私の体験談を話しましょう。
ジムでトレーニングをしていると、何かすごく視線を感じた私は、それでも黙々と鍛錬に勤しんでいました。トレーニングを終え、ジムを出ると先ほどまで私に熱い視線を送っていた、ゴリゴリマッチョの男性が私の前に立ち、自らズボンを下ろしてイチモツを見せつけると、走り去って行ったのです。
嫌なものを見せられて、不快な思いをした。と、思わずにここはなんとか踏ん張って、貴重な経験ができた。と、幸せに浄化することができました。ありがとう。
私は幸せです。