竹下幸之介(DDTプロレスリング)の『ニシナリライオット』第31回:「このまま死ぬんや……と思いながら走馬灯を見ていた」
DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!
先日、東京にいる父と焼肉屋に行った。最初は私が焼肉奉行と言わんばかりに肉を焼いていたのだが、気づくと父が焼き、私はサンチェに巻いてアホな顔をして食べていた。昔からこうやったなー。と、思っているうちに家族でよく行った西成の焼肉屋の話になった。
「〇〇っていう焼肉屋うまかったよな。事故で火事なってもう今はなくなってしまったけど」
と父に言うと、明らかにその顔が曇った。そして、しばらく沈黙が続いたあと、父は肉を焼くトングを置いて、その重い口を開けて話し始めた。
「これはあくまで噂やから、都市伝説のひとつとして聞いてほしいんやけどな。あの火事はあの店の店長さん自身の放火やったらしいわ。店の経営がうまくいかんようになって、店にかけてる保険目当ての火事っていうことやな。実際、そのあと開いた居酒屋は今でも大繁盛。当時の西成の飲食店はそんな噂が後をたたんかった」
西成で15年飲食店をやってきた父は数々の修羅場もくぐり、見てきた。オープン当日の最初の客は真っ白なシャツを、真紅の色で染めたおっさんで、(変わったデザインのシャツやなー)などと呑気に思っていると、見る見るうちにそれが黒く染まっていき、(色が変わるデザインの最新鋭のシャツなんかな。……違う!これは血や! 血がシャツ全体にベッタリついてるんや!)となり、オーダーの熱燗と焼鳥数本をそそくさと出し帰ってもらったというのは、あまりに有名な話。
「あまり多く話すと、俺が消される」と言うが、今後も漆黒の闇に包まれた当時の西成の闇を洗いざらい吐いてもらおうと思う。そうこう話していると、目の前のホルモンが轟々と燃え盛り、あわよくば火事になる寸前だった。
2007年08月08日
384話『海をみつめて... 』
今日は朝から家族で和歌山の奥の方へ!!
磯ノ浦っていう海に行きました(・∀・)
最初は乗り気じゃなかったのですが磯ノ浦にはハマることがあったのです(゜Д゜)
その名は...
ボディボード!!!
なんか大きめのビート板の上にうつ伏せでのってうまく波にのるとズバーンと進むんですわヽ(´ー`)ノ
これがなかなかおもしろい(=⌒ー⌒=)
追記 冷やしておいしいほっとレモンってほっとちゃうやん!!
竹下家は母がアウトドア嫌いで、ほとんど休日に家族で出かけるとなると、ボーリングかゲーセン。この日は珍しく父のゴリ押しで海に出かけることとなった。この日がよっぽど楽しかったのか、今でも海を見るとときどき思い出す。
この日にボディボードをやった楽しい思い出と、もうひとつ忘れられないのが、海釣りに行ったときのこと。あれは私が幼稚園のときまで遡る。父が友人たちと海に釣りに行くと言うので一緒に連れて行ってもらった。4時に起きて行かないといけないと言うので、前の日は17時前に寝床につかされた。
行きの道中にコンビニに寄って、この日コンビニのおにぎりデビューをした。①②③の手順に従ってビニールを剥くことに、とてつもない快感を覚えて、その日から毎日コンビニのおにぎりをねだってはビニールを剥いてエクスタシーしていたので、大人になった今でも特技のひとつとなっている。
それから海について、釣竿、仕掛けなどの準備を終えて小型の船に乗り込もうとしたその時。崖際の藻に足を滑らし、船の淵に腹部を打ちつけ、そのままズルズルと海に落ちてしまった。足はつかないし、泳げないどころか、先ほど腹部を打った衝撃で呼吸ができなくなっていた。
(このまま死ぬんや……)
と思いながら走馬灯を見ていた。5歳までの走馬灯は、あっという間に終わってしまい死にかけたその時、引き揚げられ助かった。おそらく、ほんの一瞬の出来事だったと思うのだが、人生一テンパった瞬間だったと思う。恐怖に包まれながらも、弱音も吐かず、泣き言ひとつ言わなかった。幼稚園児なりの男の子特有のプライドだった。
その後、何事もなかったかのように、釣りを続けて、家に帰ってその命懸けで釣ったワカサギが唐揚げにされる姿を見ながら、思いっきり泣き喚いた。