竹下幸之介『ニシナリライオット』第35回:「セリエAでプレイしていたかもしれない男、玉田のおっちゃん」
DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!
2007年09月12日
421話『闘莉王』
今日ね~友達とサッカーやってると謎のおじさんが
「おっちゃんもサッカー入れて」
その人はなかなか紳士そうな人で一緒にやることにしました(^o^)
すると上着を脱ぎいかにもスポーツおじさんの格好に(下はジーパン)
この人が異様にうまい!!
それでみんなテンションがあがりものすごい好勝負に(゜-゜)
試合後「もしかしてJリーグの選手だったのですか?」
と聞くと
「おっちゃんの時はまだJリーグとかなかったからな。あったらな。今は桃山学院でやってるだけや。」
だと...
しかも左利き(o^-‘)b
学生時代は神の子って呼ばれてたらしい!!
もっと秘密があるおじさんだと思います(笑)
2007年09月19日
428話『シュートで終わろ~!! 』
今日ももちろん学校が終わってからサッカーをやったわけですが張り切りすぎてズボンが真っ二つに...ビリッ...
夢中になりすぎてて10分ぐらい気付かんかった(>_<)
みんなも教えてくれよ(T_T)
まあそんなハプニングも思い出です(o^-')b
そして一週間ぶりにおっちゃん登場(詳しくは先週の日記を見てください)
やっぱうまいです(^-^)
今日は控えめでウィングでパスを出していました(~▽~@)
コントロールが中村俊輔くらいすごいので立っているだけでヘディングを決めれます!!
サッカー教室ひらいてほしいです(笑)
<あのアイドルグループにまつわる都市伝説……MVに映し出されるふたつの“眼”>
小学生の思い出を書くには、絶対外せない人物。それがこの玉田のおっちゃんである。地元の同級生には会うたびに、
「あのおっちゃんのことはコラムで書けへんの?」
と、質問を受けていた。無論、書きたかったのだが当コラムは当時のブログの時系列に沿って振り返っているため、なかなか登場してくれなかったというのが、実際のところ。
改めて知りうる情報をここに記す。
名前は玉田のおっちゃん。年齢は当時の推定で50代くらい。西成の工場で働いており、仕事が早く終わると、公園にフラッとやってきて、錆まみれになった作業着を脱ぐと、1980年代くらいのサッカーユニフォームが姿を現し、下はジーンズのカジュアルスタイルでプレイに参加する。
当時から頭髪がかなり後退しており、
「ヘディングやりすぎたら、おっちゃんみたいになるで!」
が、得意の掴みだったようだが、子どもの我々が逆に気を使って笑わなかったので、ものすごく変な空気になったことを覚えている。当時もまだ桃山学院大学サッカー部OBとして、学生たちに混じってプレイをしていたらしく、プレイは今考えてもかなりうまかったと思う。
地区の代表に選ばれる子もグループのなかにはいたのだが、玉田のおっちゃんのボロボロのスパイク(スポーツ博物館とかに展示されてるようなやつ)に吸い付くようなドリブルが一度始まると、アンチェイン玉田と化し解き放たれたおっちゃんは、小学生相手にごぼう抜きにしていく。今でもネットの動画などで有名サッカー選手が、学生相手にテクニックを披露しているのを見ると、このときのことを鮮明に思い出すのだ。
「イタリア行くか、桃山行くか悩んだんやけどな。みんなは後悔せえへん道選べよ!」
それがおっちゃんの口癖だった。
だがそんなアンチェインとの別れは一瞬だった……。
その日、空には少し雲が張っていていかにも夕立ちが降りそうな天気。いつもならば、早めに引き上げて、誰かの家でカードゲームをして遊ぶのに、この日は玉田のおっちゃんもいるし、もう少しだけサッカーをしようということになった。
あのとき、引き上げていれば……。
いつもどおり、おっちゃんのプレイに必死に食らいつきながら、これがセリエAでプレイしていたかもしれない人間の足さばきか、と感心していると……。
「おーい。俺たちも混ぜてー」
そうだ。ここは、ミラノでもローマでもなく西成のど真ん中だ。
高校生のチンピラたちが一緒にサッカーや野球に参加してきては、負けたチームがお金を払うといった悪質な賭け球技が当時の西成では流行っており、もちろん小学生が高校生の集団に勝てるはずもなく、ほぼカツアゲ状態であった。逃げたら逃げたで、家まで追いかけてきたり、暴力を受けた子がいるという噂があったりで避けることはできない。
そんな我々にもこの日は一筋の光が見えていた。
「俺たちには玉田のおっちゃんがいる」
「今日はこいつらに勝てるんちゃうか」
「おっちゃんのドリブルは西成一!」
みんな心のなかでさまざまな想いを交錯させながら、おっちゃんに熱い視線を送ると。
「用事思い出したから帰るわー」
自転車にまたがるやこちらに一目もくれず走り出す。汗が滴る額からは一筋どころか大きな光源を発しながらも、ものすごいスピードで消えて行く。まるで峠を走る車のブレーキランプのように、期待という名の光の残像を残しながら。
この日の帰り道みんなで半泣きになりながら、
「おっちゃん、逃げたな」
と口々に言っていた。
その後、玉田のおっちゃんが我々の前に現れることはなかった。今も元気にボールを蹴ってくれていたら、それでいい。月日が経つと、そう思えている自分がいることに気づいた。