竹下幸之介(DDTプロレスリング)『ニシナリライオット』第38回:「いつか西成の夜空に向かって鉄球を投げたい」
DDTプロレスリングの未来を担う若き逸材・竹下幸之介。そんな彼が自身の昔のブログを読み返しながらつづる、地元・西成のお話!
2007年10月09日
450話『フィールドを駆け抜けろ!! 』
昨日の陸上大会を今日は書きたいと思います(^-^)
ボクは第二競技場だと思っていたんですが世界陸上や日本代表戦が行われるメインスタジアムだったのでビックリ(゜-゜)
会場入りした時はムードと迫力にのみこまれました...
そしてすぐアップして陸上は競技開始の30分前に集合しないといけないんでその間がもの凄い緊張に襲われます...
順番が回ってきてクラウチングの体勢になった時は集中を意識していたんですが真っ白になりました(^^;)
予選は14秒51で突破しました('◇')ゞ
まわりは陸上クラブで毎日鍛えてる強豪揃いだったんでまさか勝てるとは思いませんでした(^^ゞ
リレーは夏から練習してたバトンがうまくいきこれまた予選突破!!!
運を使い果たした感じでした(笑)
で2時間あいて100m決勝(´ー`)
さっきの順番待ちは友達がいたんですが他の子は予選突破ができなかったためまわりは知らない人ばかりでこれまた緊張(-_-)
六年の男子は180人も参加していたので予選突破できただけでも充分だったのですが限界に挑戦しようと思い全力で駆け抜けました!!
男子100m走は14秒17で3位
二位との差は0.04
一位は13秒5で圧勝でした(^_^;)
リレー決勝はボクが二番手で3位でバトンをもらい1位になったのですがアンカーが抜かれ惜しくも6位になりました(>_<)
久々にもの凄い悔しさがありました(T^T)
みんなもかなりの悔しさがあったと思います(*'-')
負けはしましたがすごくいい経験させてもらいました(o^-')b
みんなおつかれ!!
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竹下は中学高校と陸上競技部に属すわけですが、小学生でも高学年になると部活に属さないといけません。部活といっても、週に一度放課後に集まって練習をしたりするだけの優しいもの。4年生のときと、5年生のときはテーブルゲーム部に所属しており、"リバーシの申し子"として、6年生での部長の座は確実視されていたのですが、その頃ある一冊の本と出会いました。
その本こそアントニオ猪木氏の自伝であり、図書館で見つけた竹下少年はプロレスラーになるためのヒントをその本から探すのです。
そこには猪木氏が学生時代、ブラジルで砲丸投げに打ち込んでいたことが記されており、またブラジル大会で優勝して力道山先生にスカウトされたと書いてありました。そこに一筋の希望を見出します。
(小卒でメキシコに行って、ルチャ・リブレのライセンスを取りに行く夢は親に止められてしまったけど、砲丸投げで成績を残せばプロレス団体からスカウトがくるかもしれない!)
さらにその自伝には、練習生時代の猪木氏は家族と離れ、日本で寂しく辛い思いをしたときはブラジルの夜空に向かって、鉄球を投げていた。と綴られており、その一文が竹下少年の心にズドン!ときたんです。
(かっこいい。おれもいつかアメリカ行ったら、西成の夜空に向かって鉄球を投げたい)
そして、6年生では大阪市立南津守小学校の陸上競技部に入部。テーブルゲーム部に激震が走ったことは言うまでもありません。しかし、優先すべきはプロレスラーへの道。私はバックギャモンをプレイする仲間たちを、一度も振り返りもせず陸上部の門を叩きました。
入部初日はさまざまな体力テストが行われ、このときで175cm、62kgと体格に恵まれていた私は小学校の体力テストとしてはエグいスコアを出していました。それを見た顧問のN村先生も、いい素材が入ってきたなという感じで、初日にも関わらずいきなり大会の参加をぶち上げるのです。
南津守小学校として初の大会参加ということで、かなり気合が入るなか、
「先生! 僕は砲丸投げで出たいと思ってます! 優勝します! よろしくお願いします!」
と声高々に宣言するも、
「竹下、小学生には砲丸投げはないよ」
け、け、計画が狂った〜!!
仕方なく100m走とリレーにエントリーして、前述のとおりの結果だったわけですが、このことがあったからこそ中学校で陸上部に入部したと思うし、念願の砲丸投げで活躍できたのでよしとしましょう。
一応、補足しておきますと寂しいときがあっても、まだプライベートで夜空に向かって砲丸投げをしたことはありません。そもそも危ないですから。良い子はマネしないように。