m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第5回〜コンテスト荒らしだった俺っ!

連載・コラム

[2019/10/17 12:00]

 バイトをしていたバーには音響や映像のシステムもあってとても勉強になった。好きな曲ばっかり聴けたしね。その頃は特にプリンスに心を奪われていて、アルバム『1999』(1982年)で成功した彼を映像でもたっぷり観ることができて嬉しかった。それ以前の彼のPVも初めて観ることができたし、自分が知っていたどのアーティストにも似ていないプリンスに本当にぞっこんだった。『Purple Rain』で一世を風靡したあとはなおさらバーでプリンスの映像を流しっぱなしだったけど、女性客には「気持ち悪い」って不評だったんだよなぁ。

MTRを駆使してコンテストで優勝しまくり

 プリンスの影響を受けていたその頃。オリジナル曲が15曲くらい貯まってきたから10曲入りのカセットをライブ会場で売ろうと決めた。土日は結構ライブもやっていて、気にしてくれる方もじわじわと増えてきていた。俺のほかにギター(男)、シンセドラム(女)、そしてMTRからの音源という、当時誰もやってなかったバンドスタイルだったことも注目を集めた要因だったのかも。
 カセットは当然全部手作りで、ダビング、ラベル貼り、歌詞のコピー、ビニール袋の用意など、100セットを作るのに何日もかかった。ライブ会場で1,000円で販売したんだけど、初回の土日くらいで即完したっけ。嬉しかったけど100本追加するのにまた時間がかかって、ちょっとイライラ……。コンビニでコピーをしたりしてたから意外に経費もかかっていたし、儲けもほとんどなかったから結局200本で打ち止めにしたんだ。プレミアム感も出るかなって思いもあったしね。
 でもカセットを作ってよかった。いろんな人の耳に届くものだから。ネットがない時代、ライブでお客さんを驚かせて、そこで音源を買ってもらうってことは重要だったんだよね。曲は今聴くとこっぱずかしい未熟なものだけど、俺のベーシックなクセ、特徴は出来上がっていたような気がする。絶対に聴かせませんけど!
 その頃、コンテストにもたくさん出ていたんだよね。コンテストは俺とギターのふたりで出ていたけど、それでもMTRの力は強力で、たったふたりでヘビメタ全盛のあの時代に優勝かっさらって本当に爽快だった。そんなこんなで自分の知らないところで“コンテスト荒らし”の噂が一人歩きしたりもしてて……。
 さて、この頃多用していた機材は、もうご紹介済みだけどローランドの『αJUNO-2』。特にシンセブラスはファンク、とりわけプリンス好きには欠かせないからとてもお世話になった。今もソフトシンセにRolandのINTEGRA-7を混ぜるのはやっぱり好きな音だからなんだよね。

αJUNO-2

m.c.A・T

1993年に『BOMB A HEAD!』でデビュー。ライブ活動と並行してプロデューサーとしても活躍し、DA PUMPのプロデュースを手がけて一世を風靡する。現在もさまざまアーティストへの楽曲提供/プロデュースワークを行う傍ら、ライブ活動を展開している。