m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第7回〜恩人!中川勝彦!

連載・コラム

[2019/12/20 12:00]

 審査員の方々が有名な音楽評論家で、ラジオで番組を聴いていたような方々が東京からたくさんいらしていた。「イイトコみせよう!」って気持ちが悪〜い感じで伝播しちゃったのかなぁ。終わったあとに審査員の方のところへ連れて行っていただき、ご挨拶させていただいたのだけれど……落ちたな〜。そのときはプリンスのメイクをかなり薄くして真似していたんだけど、有名な女性の音楽評論家の方に「かっこよかったわよ〜おかまちゃん。音は残念だったわね〜」とか言われて最悪でしたわ〜。30年くらい前のことなのに覚えているものですね。こういうのは。

東京へと旅立つ若きA・T

 そのあとも新しい曲でコンテストに挑戦。表に音が出ないということも二度となく(笑)、評判も上々で、勝ちゃんとも親交を育み続けていた頃、「東京に来ればいいじゃん。俺んところに居候すればいい」と彼said。絶対無理だと思っていた東京への挑戦、勝っちゃんのひと言が俺の背中を押してくれたことは間違いない。

 その後、サヨナラライブをやったりしていよいよ東京へと旅立つ若きA・Tでありました。ち・な・み・に、のちに勝っちゃんと仲のいいミュージシャンから聞いたんだけど、勝っちゃんは全国のイキのいい若いミュージシャンと出会うと、才能のありそうなやつには「東京へ来て、居候すればいいよ!」と愛の手を差し伸べていたそう。さすが! そして、本当に上京して居候したのは俺だけだったという事実(笑)! なんちゅうか、恥ずかしい感じ(笑)。

 この頃、後輩から借りた機材がローランドの『JUNO-106』。ポリフォニックシンセが安く、アマチュアにも広がるきっかけともなったシンセ。入門機のようでしっかり使える名機でした。

JUNO-106

m.c.A・T

1993年に『BOMB A HEAD!』でデビュー。ライブ活動と並行してプロデューサーとしても活躍し、DA PUMPのプロデュースを手がけて一世を風靡する。現在もさまざまアーティストへの楽曲提供/プロデュースワークを行う傍ら、ライブ活動を展開している。