アワビ食べ過ぎて地獄みたぜっ!~m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第13回~

連載・コラム

[2020/9/29 12:00]

ボンバヘッ!でお馴染みのヒット曲『Bomb A Head!』のほか、DA PUMPの育ての親としても知られるm.c.A・T。日本屈指のプロデューサーの自伝的連載がスタートだぜっ!


引っ越し先が決まったぜっ!

 今年の夏は遅れてやって来たものの、遅れを取り戻してやる〜ってがんばってくれちゃった(誰が?)おかげでか〜な〜りの暑さでありました。おまけに湿度100パーセントって日もけっこうあったような。「湿度100パーセント!? 風呂か!」と愚痴ってましたよ(風呂とかとは違う計算らしいですが)。

 この東京の暑さ・湿度を毎年体験しているけれど、やはり思い出すのは上京してこの暑さ・湿度の洗礼を受けたときのこと。カラッとして過ごしやすい旭川から東京に来たから相当体にはこたえた。最近でこそかなり気をつけて熱中症対策をしているけど、当時「死ぬかもしれん」と何度思ったことか。そもそも寒い土地に生まれた人と暑い土地に生まれた人って毛穴っつーか汗腺の数っつーか、生まれたときから違うらしい。上京して33年くらい経っているのにまだ慣れないのが先天性ということなら納得ですわな。俺は夏に弱いかもしれない。秋が大好きです。

 さて、恩人・中川勝彦くんのところを離れ、ひとり暮らしを始めようとしたのだが、はてさてどこに住んだらいいのだろう。半年間、東京で過ごしたものの、勝っちゃんの家のまわりと最低限の打ち合わせに行けるくらいの電車移動の知識しかない。そしてどこも家賃が高い! ただ、家具もないし、楽器とちょっとした服などだけの引っ越しだからフットワークは軽かった。

 当時、旭川にいた頃に仲がよかったバンドのギタリストが東京で調理人として暮らしていたのでいろいろ相談にのってもらっていた。そして結局、彼が住んでいた新中野に住むことに決定! 当時の俺はよくお腹を壊していたので、何かあったときも助けてくれそうだったし(笑)。事実、彼の近くに住んだことで本当にいろいろ助かった。腹ペコのときもなにか作ってくれたし、何よりもこれからどうなっていくかわからない俺をいつも応援してくれていた。本当に感謝しかない。人間関係では本当に恵まれていたと思う。

忘れられない思い出 アワビの悲劇……!

 その頃、数社のメーカーさんといろいろな話し合いを繰り返し、3社くらいに絞られていた。自分の夢とのすり合わせや「ここは引けない」という自分の思いをディレクターの方とかなり話し合って、アドバイスもいただいた。みなさん本当にこんな田舎者の夢を自分の夢のように聞いてくださって、ここでも出会ったみなさんに感謝でいっぱいです。打ち合わせのあとに食事にも連れていってくださってだいぶ助かったなぁ。お酒をいただいたりもしたけど、酔っ払ってこの広い東京で帰れなくなっては大変なのでかなり気を遣っていただいていたっけなぁ。

 そんななか忘れられない思い出がある。その日も渋谷あたりで打ち合わせをし、終了後にいい感じの居酒屋さんでご馳走していただいた。そこでお通しに出たのがなんと北海道産のアワビを煮たものだった。めちゃくちゃ美味しくてがっついていたら、ディレクターさんが「さすが道産子だね〜。俺のもどうぞ」とお通しをわけてくれた。記憶ではそのとき3人で食事をさせていただいていて、もうひとりの方も「自分あまり得意じゃないので、どうぞ」と。小鉢ではあったけれど結局3人分いただきそれが悲劇に……。

 1時間半くらい楽しくお話しをしていたところでお腹の調子がおかしくなり、トイレに行って鏡をみたら顔に斑点が。Tシャツをめくったら体にも! 急激に腹痛が悪化してトイレから出れなくなり30分くらい唸ってたなぁ。ようやく席に戻ったけれど「これは帰ったほうがいい」ということになって退店させていただいた。

 財布には3000円くらいしかなかったのでなんとか新宿までは電車で行ったものの、そこで動けなくなってしまってタクシー待ちの列に並んだ。しゃがみ込んでほぼ倒れそうな俺を見て、並んでいる人たちが「先に乗せてやろう」と言ってくださりタクシーに乗ることができた。マジ涙が出そうになりましたよ……。「捨てたもんじゃない! 東京!」って。

 帰宅後、朝までトイレにいたことは言うまでもなく……。翌日、一日中寝ていたら治ったけれど、けっこうこの手の「我慢」で体調不良を直していた頃です(笑)。きっと夢のためにがんばる貧乏たちはこんな感じで医療費を節約していたはず。正しい治療ではないのでオススメはしませんけどね(笑)。

 ありゃ! 今回は音楽の話しがほぼ皆無! すんません! 次回はいよいよメーカーさんと組むことになるでしょう(笑)。

m.c.A・T

1993年に『BOMB A HEAD!』でデビュー。ライブ活動と並行してプロデューサーとしても活躍し、DA PUMPのプロデュースを手がけて一世を風靡する。現在もさまざまアーティストへの楽曲提供/プロデュースワークを行う傍ら、ライブ活動を展開している。