自分と大事な人を守ろうぜっ!~m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第14回

連載・コラム

[2021/1/21 12:00]

ボンバヘッ!でお馴染みのヒット曲『Bomb A Head!』のほか、DA PUMPの育ての親としても知られるm.c.A・T。日本屈指のプロデューサーの自伝的連載がスタートだぜっ!


久しぶりの更新だぜっ!

新型コロナウイルスの登場でとんでもないことになった2020年、さようなら。

仕切り直したいなぁの2021年、こんにちは。ってのにまた新型コロナが暴れております。変種になってますます感染力を強めているそうですので、みなさん、くれぐれもつるんで遊び回ったりは控えてくださいね。ちょっと軽視されてる方が多いように感じるのが怖い。知り合いに感染された方が増えてきて他人事じゃなくなっているのを目の当たりにしているので、ここはひとつ一丸となって耐えましょうね! 自分と大事な人を守ろう!

昨年も自粛中は制作ものが多かったのだけれど、年末年始も正月返上で作り続けております。いつもやってる正月の新年会も親戚にご高齢が多いから集まれなかったし、ライブもかなり飛んじゃって。ほ〜んと残念だけど最近つくづく思うのは、踊ったり歌ったりするのも大好きだし、ズ〜っと籠もって作業したり歌詞を書いたりするのも好きだなぁ〜ってこと。どっちも好き。どっちも好きでよかったな。昨日も徹夜だったけど、いい歳こいて(笑)。

あ、そうそう、ちょっと思い出した。最近、後輩とかもっと下の学生さんとかと話す機会があると結構な確率で言うことがある。

「どんな職業を選ぶとしても、自分がやって楽しい仕事を選ぶことが長続きするし精神的に健康に生きられるってことだよ。親のためとか世間体を職業選びのファーストプライオリティに持ってきちゃうと結構きついと思うよ。自分が主人公の人生でいいじゃん。その副産物で親とかまわりを安心させたり、社会に貢献できればいい。俺が思うのは、自分が楽しい仕事だと徹夜も苦にならないってことさ、がんばれるってことさ」

なんつて(笑)。でも本心でね、マジでそう思う。自分を大事にできる人がきっと別の人を大事にできるんじゃないかな。はい、独り言おしまい。

さて、なかなか進まない本題にいきましょかー!

え〜っと、大手レーベルのディレクターさんに食事をご馳走になり、腹を壊して大変な目にあったA・T青年(まだまだデビュー前)だったが、その当時住んでいたのが新中野のアパート。アパートといっても、大家さんの家の1階の一室にドアをつけて貸してたようなもので、友人宅に近いのと家賃の安さで選んだのだけれど、いやはや音楽人には大変だった。

雑なイラストで申し訳ありません(笑)。玄関というか鍵付きのドアを開けたらすぐシンク、そして畳の6畳。和式のトイレがあって腹痛の夜はトイレに這って行けたのはとっても助かった……。畳に直に楽器を置いて、あぐらや時には正座で作曲していたっけ。以前書いた高野寛くんが訪ねてくれた部屋もここだった。東京で初めての自分の城!なので嬉しかったけど、やっぱり東京のイメージとはかけ離れていた。

それまで勝っちゃんの素敵なマンションに間借りさせていただいていたときとは一変のアパートだし、何せ大家さんが2階に住まわれていたのでいわゆる筒抜け(笑)。だからヘッドフォンで作曲していたんだけど、俺って夜中に作曲してて上手くできないときに独り言を言うみたいで「がんばれ〜! 絶対できるよ!」「てんさ〜い! すご〜い!」とか高い声で言ってたみたい。そうしたらコンビニに行く途中で大家さんと会ったときに「基本ね〜、女の子とか連れ込まないでね〜」って言われてびっくりした。ひとりだっつ〜の(笑)!

そんなこんなで、この6畳の部屋でガツガツ曲を作り始めた。風呂も電話もないこの部屋で。当時は携帯もなかったし、家電話を契約するのにものすごくお金がかかった。バイトもいろんなところを面接で落とされて、結局、塾の先生→家庭教師がメインに。夢見て上京したA・T青年(まだまだデビュー前)さてさてこの後どうなるのか! つづく!

m.c.A・T

1993年に『BOMB A HEAD!』でデビュー。ライブ活動と並行してプロデューサーとしても活躍し、DA PUMPのプロデュースを手がけて一世を風靡する。現在もさまざまアーティストへの楽曲提供/プロデュースワークを行う傍ら、ライブ活動を展開している。