お世話になるレコード会社が決まったぜっ!~m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第15回

連載・コラム

[2021/3/5 12:00]

ボンバヘッ!でお馴染みのヒット曲『Bomb A Head!』のほか、DA PUMPの育ての親としても知られるm.c.A・T。日本屈指のプロデューサーの自伝的連載がスタートだぜっ!


 温暖化だの、花粉だの、新型だの、最近の問題は目に見えない敵が多いことですな。「お〜っ! いい天気ぃ〜っ!」なんつって外で深呼吸や伸びをしたら、もう鼻水やくしゃみ、眼の痒みとかすごい。人間の五感をフルに発動させて、危険をしっかり察知していきましょう。

 歩いていても、運転していても、もちろん仕事のときも自分はかなり「感覚」を使って過ごしていますが、最近は帰宅するとやたら疲れる。たぶん相当いろんな感覚を使って生きているのだろうな。スマホ見ながら歩いてる人も多いし、スマホ見ながらヘッドフォンして自転車乗る人も多いし、スマホ見てないけれど突然立ち止まるご老人も多いし、こちらがしっかり準備していないと大変! 五感が疲れる前に「第六感」とか「超能力」とか発動してくれるといいのにね〜。もっと疲れるかな(笑)。 おっと! 脱線確実なのでここらで自主規制(笑)! 上京デビュー物語の続きに行きましょーっ!

ついに「K」社にお世話になることになったぜっ!

 6畳の部屋でガシガシ曲を作っていたA・T青年。いよいよ面倒を見てくださるメーカーが決まりつつあるのだった。まだ実績もないしライブも観ていただいてないし、不安だらけの毎日だったけれど、前向きにやってる自分をとても真剣にみてくれてるディレクターさんと話が合い、「K」レコードさんにお世話になることに。お世話になるといっても、いわゆるディレクターさんが目をかけてくれてこれからなるべく早く良きタイミングでデビューするべくがんばるアーティストの卵的な存在っていうこと。

 「やってやるぜ〜っ!」て旭川でサヨナラライブをやって、コンテスト荒らしだった自分としては「また卵からか〜」みたいな気分もあったけれど、それでも1歩、いや10歩くらい前進した実感はあった。会社に連れて行っていただき、偉い方々にご紹介されるたびに「よっしゃ! がんばんべ〜!」と自分を奮い立たせていた。

 今もおおよそは変わっていないとは思うけど、大体特別なケース(大御所アーティストのお子さんが鳴り物入りでデビューとかの案件や、今で言えばアマチュアなのにライブ動員が武道館並とかYouTubeで何千万回アクセスしてるとか)を除けば大体デビューまでの道のりって下記のような感じ。

①メーカー、レーベルのディレクターさんが全国でおもしろいと噂になっているアーティストを探す
②噂のアーティストと交渉、相性や条件が合えばそのメーカー、レーベル預かりのような形で仮契約
③担当ディレクターさんと「売れる曲」作り
④自信有り!な曲ができたらディレクターさんが会社の会議などでデビューに向けてのプランを立ててプレゼン
⑤会社が推してくれたら、売り方のイメージやデビューの日程等いろんな会議(タイアップを探すとかの)を経て
⑥デビュー前に全国のレコード屋さん(今はどうかな?)、メディアの方々をご招待してお披露目ライブ
⑦宣伝の方がデビューにあたり一生懸命にテレビ、ラジオ、雑誌に載せてもらえるようにひたすらがんばってくれて
⑧デビュ〜!

 ざっくりこんな流れ。①にひっかかり②まで行くのがまず大変。俺の場合は「K」社のブラックミュージック的な実績と一緒にやりたいと言ってくださったディレクターさんの熱意、そこに自分のやりたいことをすり合わせるまでにやや時間がかかった。というのも北海道時代から「かっこいい〜!」って思う日本のアーティストはほとんど「S」社だったので、業界の内側も知らず憧れだけで言えばそこに入りたいな、という気持ちがあった。ただ、俺が仮契約したのは「K」社内にあるアーティスト事務所だったようで、実はその事務所には「K」社の事務所でも「S」社からガンガンヒットを出しているアーティストが何組かいた。これはかなりなやる気スウィッチオン! 要するに事務所とレーベルは別ってことを知らなかった。無知って怖い(笑)。

 ②の段階までやっとこさきたが、俺の場合はこの時点ではお金が派生することはなく(仮契約料の記憶がありません。間違ってたら訂正しますが多分この時点ではなかったはず。もらえるところもあるみたい)、塾講師をやったり家庭教師をしながらの6畳音楽生活は続いた。まぁ、大変だったけれどそれまでとはモチベーションがグーンと上がったから! ますます夢見がちな毎日になっていくわけです。

m.c.A・T

1993年に『BOMB A HEAD!』でデビュー。ライブ活動と並行してプロデューサーとしても活躍し、DA PUMPのプロデュースを手がけて一世を風靡する。現在もさまざまアーティストへの楽曲提供/プロデュースワークを行う傍ら、ライブ活動を展開している。