夢を掴むまでは友達はいらないと思っていたぜっ!~m.c.A・T『なんて言うんですか、こんな音楽感』第19回

連載・コラム

[2021/10/29 12:00]

ボンバヘッ!でお馴染みのヒット曲『Bomb A Head!』のほか、DA PUMPの育ての親としても知られるm.c.A・T。日本屈指のプロデューサーの自伝的連載がスタートだぜっ!


 この原稿を執筆している時点で、もうすぐ緊急事態宣言が解除される様子。9月頭とかものすごい感染者数だったからね。ワクチン接種や行動の自粛とかみんな頑張ってくれた結果だと思います。自分も含めてご協力ありがとうございました。解除後もしっかり気を緩めず対策していきましょう。ところでみなさん、ワクチンの副反応、大丈夫でしたか。若い人、女性に比較的強目の副反応があると聞いていたのですが、どちらにも当てはまらないのに結構大変でしたよ〜。特に2回目。弱い頭痛と倦怠感が10日間くらい続きました。へとへとになりやした。インフルエンザにもかからず、ワクチン打ったら高熱出るというタイプなのでなんとなく予想はしていましたがね……。これから打つ方は仕事が詰まっているときは避けたほうがよろしいかと思います。そろそろ薬も出るとの噂もございます。がんばりましょう!

やっぱり大切なのは友達だった

 さて、そんなこんなでじわじわとデビューに向けて匍匐前進を続けるA・T青年。実際金銭的にはギリギリでやっていたけれど、毎日好きな音楽に没頭できることは大変楽しゅうございました。この「楽しい日々」を支えてくれていたのが、東京でできた音楽仲間だった。

 上京したてのときは「夢を掴むまではお友達はいらんのじゃ〜!」くらいの勢いだったけれど、さすがに毎日いろいろある。勝っちゃん(中川勝彦)や北海道から東京に来ていた友人のおかげで精神的ピンチを乗り切れたし、本当に感謝しています。ひとり暮らしを始めてから出会った友達はアマチュア、もしくはセミプロの音楽系の友人が多かった。どうやって出会ったんだろう……うっすらとした記憶では、高円寺や荻窪あたりの友人が多かったので、多分ライブハウスに行って少しずつ友達ができてった感じだったような。

 なんせ東京にはライブハウスがたくさんある。中野の近辺にもたくさんのライブハウスがあって、東京で初めて行った高円寺のLive Music JIROKICHIさんには今もお世話になってるし、大先輩のミュージシャンもガンガン出ている老舗。こんなライブハウスが中央線沿線にはごまんとあって。曲作りばかりの毎日も決して辛くはなかったけれど、やっぱりライブハウスは興奮する。仕事や事務所の紹介で出会えたプロのミュージシャンの方がライブハウスで演奏されるということで、お邪魔した先で出会えた友達も多かったなぁ。アマチュアの音楽友達でもかなりプロのミュージシャンと仲のいい人が多かった。やっぱり東京というところはいろんな意味でレベルが違うなと感じたものさ(笑)。

 ライブハウスで出会ったそんな友達たちはやっぱりロック系の人が多かったと思う。目指すジャンルは違っていても、ライブ後の打ち上げでいろいろ話したり、真面目に質問したり、たまに飛び入りで歌わせてもらったりもしたっけ。そこで仲よくなった友人からまた別のバンドを紹介してもらって新宿のライブハウスに観に行ったり。今でも覚えている、名前も知らないバンドの曲があるもんなぁ。今はどうしてるんだろう。

 ロック系の友達が多いなか、打ち込みが得意なファンク好きの男の子もいた。自分が持っていない機材もたくさん持っていて、おまけに原宿に住んでて。バイトをしているような匂いもしないようなスマートさで、今でも彼がどうやって暮らしていたかわからない。坊ちゃんだったのかなぁ(笑)。俺とは違うメーカーのシークエンサーを使ってたんだけれど、ためになる打ち込み方とか教わったような気がする。曲もカッコよかったけれど歌は俺のほうが勝ってたかな(笑)。だからデモテープの説得力は俺のほうがあったのかもしれない。彼がプロになったって噂は聞かなかったので気にはなってたんだけれど、当時は携帯もない頃だから、次第に連絡も取れなくなってしまった。この後、俺は横浜に住むことになるのだけれど、一度レンタカーで遊びに来てくれて会ったのが最後だった気がする。今は何しているかな。会いたいなぁ。

 今回はこんなところで終わりますが、どこに行っても友達ってやっぱり大切だし必要なんだな、と改めて思います。友達はいらないと決めていたって、自然に仲よくなればそれは友達。いろいろ教えてもらったし感謝しています。誰かが言っていたけれど「哺乳類は集まって生きる動物なのにこのコロナ禍は厳しすぎる」って。俺はツルんで生きてきたわけではないけれど、この気持ちがよくわかります。早く会いたいときに会いたい人に会えるようになりますように。がんばりましょう!(つづく)

m.c.A・T

1993年に『BOMB A HEAD!』でデビュー。ライブ活動と並行してプロデューサーとしても活躍し、DA PUMPのプロデュースを手がけて一世を風靡する。現在もさまざまアーティストへの楽曲提供/プロデュースワークを行う傍ら、ライブ活動を展開している。