TAKEMURA(SNAIL RAMP)『43歳のバンドマンチャンプ』【引退試合を振り返って(part.16)~作戦成功~】

連載・コラム

[2016/8/2 12:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのメンバーでありながら、キックボクシングの日本チャンピオンに上り詰めたTAKEMURAの自伝的連載!


左ミドルキックと見せかけたストレート

左ミドルキックを蹴った俺に対し、腕でブロックするのではなく足で上手にカット(防御)してきた相手。

レベルが高くない選手はミドルキックを腕で受けてしまい、何発か蹴られるうちにその腕を痛めて使い物にならなくなったり、ひどいときには骨を折られてしまう。しかしこの対戦相手はきっちりと足でカットしてきた。

「おぉ!やるな」と感心したが、同時に次の作戦が閃いた。

「これはどうだ?」

右利きの俺は、左足前・右足うしろの「オーソドックス」に構えるため、左ミドルキックを蹴るには左右の足を前後に一瞬入れ替えて蹴る。そのときはオーソドックスとは逆、右足前・左足うしろの「サウスポー」に一瞬だけなるのだが、入れ替えた瞬間に左足で蹴るのではなく、サウスポーの形で左ストレートを出すというテクニックで攻撃してみることにした。

1~2秒前の攻撃で左ミドルを蹴られている相手は、俺が同じ足さばきをしたら本能的に「左ミドルが来る!」と判断し、蹴りに対する防御や体勢を取る。そこに左ストレートのパンチを差し込んでやろうというフェイントからのコンビネーションだ。

かくして結果は……あっけないほどキレイに左ストレートが当たった。「うわぁ、やっぱこれ入るんだな」と、パンチをもらい顔面が跳ね上がった相手を見ながら他人事のように思った。

ただ本来利き手ではない左でのパンチのため、倒すまでには至らない。俺は野球でいうと右でも左でも打席に立てる「スイッチヒッター」だが、やはり左打席でホームランは打てない。しかし攻撃の糸口を掴むには充分、ダウンを奪うべくそのままパンチでラッシュをかけ始めた。

びっくりするくらい冷静だった俺

「ワァァアア!」と歓声が後楽園ホールに吹き上がった。それまであまりにディフェンシブな闘いをする俺に溜め込まれた観客のフラストレーションが、その歓声とともに溶け出していく。それが闘いながらでも感じ取れた。

しかしダウンを奪うまでには至らない。相手はカウンターを狙うべくパンチを振るってきた。

俺は深追いせずに、ラッシュの手をゆるめた。すると形勢を挽回すべきと思ったのか、対戦相手は左ボディフックや膝蹴りで前へ出てくる。今度は俺がコーナーを背負う形になった。効いた攻撃はなかったが、試合はもう後半。ゆっくりしてたらあっという間に試合終了だ。

相手はというと、手を出し続けてはくるが打ち疲れからか集中力が落ちてきてるように見える。

「ここでもういっちょだな」

機を見た俺はジャンプするように飛び込みながら左フックをぶつけた。それは相手のガード上を叩いたが、思わぬ間合いから詰めたからか相手には一瞬の躊躇が見えた。

「勝負だ!」

そう思うと同時に同じ左フックから入り、そのまま再度パンチのラッシュに入った。相手は俺のパンチを被弾しながらも、反撃のタイミングを計っているのがわかった。しかも右ストレートを当てたがっている。

「カウンターだけはもらわないようにしないと」

このときの俺はびっくりするくらい冷静だった。ラッシュの途中から俺は自然にサウスポーになりパンチを連打していた。こちらをうかがう相手に右ジャブを数発出して、誘ってみる。すると起死回生の右ストレートを打つべく、ググッと前に出てきた。

「来る……!」

<次回更新は9月6日(火)予定!>

【著者紹介】

TAKEMURA(竹村哲)
1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中だ。

[耳マン編集部]