TAKEMURA(SNAIL RAMP)『43歳のバンドマンチャンプ』【引退試合を振り返って(part.17)~フィニッシュブロー~】

連載・コラム

[2016/9/6 18:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのメンバーでありながら、キックボクシングの日本チャンピオンに上り詰めたTAKEMURAの自伝的連載!


初めて相手の動きがスローに見えた

ここが勝負どころと判断し、パンチでラッシュを仕掛ける俺。通常はオーソドックスの右構えだが、動きの中で自然にサウスポーになっていた。こちらのパンチを被弾しながらも、そこに右ストレートを合わせようと狙っている相手選手。

「これはもらわないようにしないと」

そう考え、右ジャブを突きながら展開を見たそのとき、相手の右肩が動き出したのが見えた。

「来る……!」

相手選手の右肩が動き、右肘が上がる。そこから右ストレートが放たれるのが見えたが、それはスローモーションだった。キックの試合において、相手の動きがそんな風に見えたというのは初めての経験だったが、本当にゆっくりと見えた。

自分に向かって飛んでくる右ストレートを、身体をうしろにそらして避けるスウェーバックで防いだあと、片手を相手の身体に引っ掛けて左膝蹴りを出した。身に染み付いているといった類の技ではなかったが、このときは身体が勝手に動いた。

「当たったな」とは思ったが渾身の一撃とはいかなかったので、「追撃を」と思った瞬間「ウグァア!」という相手の呻きとも叫びともつかぬ声が聞こえ、その身体が崩れ落ちた。

それと同時に、お客さんたちの足を踏み鳴らす音や歓声がごちゃ混ぜになって後楽園ホールにこだました。俺は「ダウンか」とは思ったが「これで勝てるかも」とも思わなかったし、嬉しくもなんともなかった。ただ何かにイラつき、闘争心が収斂(しゅうれん)していく気配を感じることすらできなかった。

相手は意地でも立ってくるだろう。そしたらすぐ追撃だ。効いているボディを打つと見せて顔面かロー、それからのボディ。気持ちは熱かったが頭は冷静だった。

仕留めるプランを組み立てながらダウンカウントを聞いていたが、レフェリーはカウントを途中でやめた。そして大きく両手を振り、俺のKO勝ちを宣告した。

勝利の咆哮とともに消えていく、さまざまな思い

ドッと歓声がうねり、気づくと俺はリング上からホール客席に向かい咆哮していた。思えば試合数日前から不本意な状況に置かれることも多く、試合中に至ってもその闘い方は理解されず、引退試合というのに野次、罵声を浴びながらの試合でもあった。自分の中でも憶いがあったのだろう。それがこの咆哮となって表れ、咆哮とともに消えていくのを感じた。

そしてレフェリーから勝ち名乗りを受け、リング上では勝利者インタビューが始まった。しばらく答えていたが、倒れたままだった対戦相手が起き上がるのが見えた。インタビューの途中ではあったが、思わず駆け寄り「最後に対戦してくれて、ありがとうございました」とお礼を言った。

対戦相手のマサ・オオヤ選手とは過去にも対戦し、そのときはドロー。その後も彼はベテランとして頑張りながらもタイトルマッチまで辿り着けてはいない。しかし年齢を重ねたなかで現役生活を続ける辛さは俺もよくわかっている。

引退試合はどうしても勝たなくてはいけなかったが、その反面「オオヤ君が俺に勝ち、その後のタイトルマッチに繋げてくれたらいい」との気持ちもあった。だから引退試合の相手にオオヤ君を指名したのだ。

そして彼のセコンド陣、八王子FSGのトレーナーや選手達にもお礼を言い、言葉を交わした。俺は相手セコンド4人の内3人との対戦経験があり、その後も友好関係にある仲だ。その彼らと抱擁し「長い間、お疲れさまでした」と言われると、それだけでこみ上げてくるものがあった。

しかし今はインタビューの中断中。まずはリング中央に戻り、インタビューを最後まで受けた。試合としてはこれで区切りが付いたが、リング上ではそのまま引退式が始まろうとしていた。

<次回更新は9月20日(火)予定!>

【著者紹介】

TAKEMURA(竹村哲)
1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中だ。

[耳マン編集部]