TAKEMURA(SNAIL RAMP)『43歳のバンドマンチャンプ』【最終回〜引退のとき〜】
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのメンバーでありながら、キックボクシングの日本チャンピオンに上り詰めたTAKEMURAの自伝的連載!
セレモニーを終え、13年間の現役生活に幕
引退式で最後の挨拶をして10カウントゴングを鳴らしてもらい、俺は13年間の現役生活を終えた。セレモニーとしてはここまでだが、あとはリング上での公式記念撮影があった。
まずは渡邉会長をはじめとするNKB日本キックボクシング連盟所属ジムの会長さんたち、スタッフの方たちと。次に俺の所属ジム「ケーアクティブ」の会長、ジムメイトたちと。そして、忙しいなかわざわざ駆けつけてくれたベイビーレイズJAPANのメンバーと。
ただ彼女たちの所属事務所としては(非公式の)スマホなどでの撮影はNG。そこでリングアナから「皆様の携帯などでの撮影はご遠慮ください」とアナウンスを入れてもらったが、そのタイミングがちょっと遅くもあり、アナウンス後もお客さんはまったく気にも留めずにパシャパシャと撮影。思わず「おい、みんなガン無視じゃねーかよ」と俺が言ってしまい、メンバーたちと笑っていた。彼女たちとの写真はそのタイミングで撮影されていたようで、あとで見返すとみんなが笑って写っていた。
最後にはわざわざ鹿児島や長崎から応援に駆けつけてくれた、かみさん方の親族一同のみなさんとも撮影。俺なぞのために、遠いところから時間とお金をかけて20~30人もの人が来てくれた。かみさんの家族だけでなく、親戚、その周囲の方も。生まれも育ちも東京の俺には、親族とはいえ義理上の関係である俺にここまでの繋がりを持ってもらえるのが素直な驚きで、このときも「本当に良い家族、親族に入れてもらったなぁ」と深く感謝した。
これで引退式の一連の流れはすべて終了した。
家族のもとへ帰るチャンピオン
リングを降りると、駆けつけてくれていた友人、知人、キックボクシングファンが待っていてくれてた。本当はみんなと記念撮影をしたり、話したり、直接お礼を言って回りたかったが、すでに後楽園ホールの撤収時間になっていた。
「もう清掃の時間です。みなさん、速やかにお帰りください」というホール係員の声には抗うこともできず、「ごめんねぇ、落ち着いたら連絡する!」と来てくれていたみんなに言うのが精一杯だった。
控え室に戻り着替えると、いただいたたくさんの花束や差し入れ、記念品などをジムメイトたちに手伝ってもらって車に積みこんだ。びっくりするほどの量で、自分の車だけでは乗り切らないものもあった。
車内にはかみさんと子どもふたり、そして俺。試合の帰りに家族だけというのも初めてだった。そのせいか試合後の異様な興奮も冷めてきて、家族で行ったスーパーの帰りのような雰囲気すら感じた。
今まで、特にこの5年間はキックボクシング最優先の生活を送ってきた。仕事もそうだが、家族すらも置き去りにしてキックに打ち込んできた。
「これでようやく家族のもとへ帰るんだな……」
帰り道の車内でふとそんなことを思った。
2002年12月14日、31歳でプロデビュー。43歳でNKBウエルター級チャンピオンになり、2015年12月12日、44歳で引退。生涯戦績は20戦9勝6敗5分(2KO)、このレコードを見てもわかるように俺は極めて平凡な選手のひとりだった。
ただ、ただただキックボクシングが好きなゆえ、きついトレーニングも歯を食いしばり乗り越えてきた。あれを思えば、この先のほとんどの苦労は乗り越えられる自信がある。
人生とは本当に不思議なものだ。俺はバンドマンになり、そしてキックボクサーになった。
さあ、次は何になろう。 (終)
読者の皆さま、約1年間お付き合いいただきありがとうございました。キックボクシングというマイナー競技の話し、しかも超真剣に競技に取り組んでいたのでクソ真面目に書くことしかできず、おもしろ要素もゼロでした。読まされているみなさんは正直退屈だったと思います。ほんとスミマセン。
このコラムも今回で終了です。またこの『耳マン』、もしくはどこかでお目に掛かる事が出来れば幸いですが、どうでしょうね。最新の情報はtwitterアカウント @TAKEMURAAKIRAをフォローしていただけると、竹村がいかにいい加減な人間かがわかるかと思います。
あ! このコラムの感想などあれば、それもぜひTwitterで教えてください。この1年、拙文をお読みいただき本当にありがとうございました!