TAKEMURA(SNAIL RAMP)『43歳のバンドマンチャンプ』【引退試合を振り返って(part.19)~引退の10カウントゴング~】
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのメンバーでありながら、キックボクシングの日本チャンピオンに上り詰めたTAKEMURAの自伝的連載!
会長のまさかの涙
「竹村へ長い間のご声援、まことにありがとうございました」
NKB日本キックボクシング連盟のトップである渡邉会長の挨拶が始まった。
「竹村とは今から4年前、出稽古に来たことから指導が始まりました」
そう、俺は40歳でようやく初のタイトルマッチに全身全霊をかけて臨んだものの、2ダウンを奪われる大差の判定負けを喫し、あえなく敗れた。
「しかしすでに竹村の身体にはいくつもの古傷があり、特に膝は靭帯断裂という大怪我で何度も手術をし、その度にカムバックして参りました……」
ん? 言葉を忘れちゃったかな……。ドキッとしたが挨拶は続いた。
「そこから竹村に合った打ち方蹴り方、角度を半年、1年かけて教えてきました……。それでも……、……」
再び止まった。
渡邉会長らしくないなと思った瞬間、会場から「会長、頑張れ!」と声が飛んだ。横にいる会長を盗み見すると唇を噛み締め、涙を堪えているのがわかった。自身の愛弟子の引退式でも涙ひとつ見せたことのない会長が、外弟子の俺のことで涙を流してくれるのか。その姿を見た瞬間、俺も感情を抑えることができなかった。
結局、渡邉会長は用意していたはずの挨拶はそこでやめてしまった。そして照れ笑いをしながら「ま、取り敢えずご苦労さん!」と無理やり挨拶に区切りをつけた。
しかしそのまま、観客にではなく俺にマイクで喋り続けた。
「色々(言葉が)あったんだがな、(胸が)いっぱいになってしまったよ。だけどようがんばったった。これからは後輩たちを指導してやってくれ。怪我も克服して、泣き言もいわずようがんばった。改めて、長い間ご苦労様でした」
渡邉会長はそう言って、俺の肩をポンポンと2、3度叩いてくれ、リングを降りていった。
数日後、お礼の挨拶とチャンピオンベルトの返還をしに渡邉会長のもとを訪れたときには「いやー、あんなこと初めてだったな。どんな選手も淡々と送り出してきたけどな、お前には思いがあったんだろうなぁ。胸がいっぱいになってしまった」と笑いながら引退式の挨拶の件を話してくれた。
支えてくれた妻への想い
そして引退式、リングアナから「それでは最後に竹村選手から皆さまへのご挨拶がございます」とマイクを渡された。普通こういう場合は、事前に挨拶内容を考えそれを話すものだろうが、物の覚えが極端に悪い俺はフリートークでいこうと決めていた。上手い挨拶ができなくとも、そのときの思いや感情をそのまま話そうと。ただ冒頭だけは決めていた。
「日本キックボクシング連盟 ケーアクティブ所属 第12代NKBウエルター級チャンピオン 竹村哲です」
俺は話し始めた。最初は軽い気持ちでジムに入ったが、キックにのめり込んでいったこと。加齢による衰えから満足いく練習ができず、その姿を後輩たちに見せるのはプロとしてよくないと判断したこと。それから応援してくれたみなさん、所属ジムの会長、外弟子でありながら我が弟子のように面倒をみてくれた渡邉会長にお礼を述べた。そしてもうひとり、どうしても最後に感謝を伝えねばならない人がいた。
自分のかみさんだ。
結婚して子どももいる、そんな40男が生活を差し置いてキックボクシングに打ち込むなど普通はあり得ない話で、本人は良くても割りを食う家族にしてみたらトンデモないことだ。
それを「キックを辞めろ」と言うどころか本当に文句のひとつもこぼさず、最大限のサポートをし続けてくれた。だから43歳になってからでもチャンピオンになれたし、44歳まで現役生活を全うできたのだ。
だから引退式の挨拶で「俺にとっては日本一の女房だと思っています」と言ったし、当然今もそう思っている。
この挨拶は細かいことを決めずに臨んだため、思ったよりも長くなってしまったが、みんなに最低限のお礼は伝えたかったし、挨拶の最中も純粋に感謝の気持ちしかなかった。
そして挨拶も終わり、引退の10カウントゴング。マイクを持っている間は感情的になってしまう瞬間もあったが、このときはもう晴れやかだった。本当に晴れやかな気分だった。
ゆっくり鳴らされるゴングを聞いていると、それまで常に付きまとっていた「現役選手」ゆえの常在する闘争心、緊張感がシャワーで洗い流されていくように感じていた。
とうとう、俺は13年間の現役生活を終えた。
<次回更新は10月18日(火)予定!>