1995年、何もかもが新鮮だったB’zとの出会い〜平井“ファラオ”光のB’zコラム『がんじがらめかといえばそう』第1回〜
バラエティ番組『アメトーーク!』の『B’z芸人2023』にも出演し、音楽好き&B’zファンとして知られる平井“ファラオ”光(馬鹿よ貴方は)がB’zの魅力についてひたすら綴る連載! 毎月第2・第4金曜日の正午に更新!!
B’zに特化した内容の新連載!
どうも、オモシロヒゲメガネです。
さて、このたびリットーミュージックさん管轄の音楽エンタメサイト『耳マン』さんにて新たな連載のお仕事をいただいた。『耳マン』さんには以前も連載『音楽“ジャケット”美術館』( https://33man.jp/category/column/pharaoh/index.html)にてお世話になっていたのだが、今回新たに始まる連載のテーマは“B'z”。そう、まさにB'zのみに特化した内容で進めていくことになったのだ。
読んでくださっている皆様方のなかには、僕が幼少期からのB'zファンであることをご存じでいてくれている方もいると思う。実際『音楽“ジャケット”美術館』でも何度かB'zを取り上げているし、少し前まではYouTubeでもB'zのことを語っていたりもした。
ここではある程度YouTubeの内容とも被るかもしれないが、B'zの作品に対する個人的な感想や思い出、またさまざまな角度からB'zについて書いていこうと思う(※多少お笑い的にイジることもあれば、知識に関しても浅い部分もあると思いますがご了承のほどを)。
ちなみにタイトルはB'zの歌詞にたまに出てくる変な言葉「がんじがらめ」のFIREBALL STYLEで。
1995年、何もかもが新鮮だったB’zとの出会い
さて第1回となる今回は前置きプラス僕がB'zを好きになったいきさつについて書かせていただこう。
そもそものきっかけは小学校6年生のとき。1995年である。J-POP全盛のあの時代、クラスメイトは皆当時の流行歌に夢中になっていた。僕はというと、トランペットを習ってはいたが、別に音楽が好きというわけではなく、当時流行っていたポケモンやミニ四駆もまったく通らず、ヒゲも生やさずクラスの輪に入っていけない暗い少年時代を過ごしていた。そんな僕がさすがにひとつくらいは皆についていける何かがほしいと、当時売れまくっていたFIELD OF VIEWの『突然』(1995年)を突然購入。ただ流行に遅れまいと買っただけのCDだったが、これが予想外にハマり、ここから僕の音楽好き人生がスタートする。
さらに当時売れていたスピッツの『ロビンソン』(1995年)や『涙がキラリ☆』(1995年)、ほかにL⇔Rなんかも好きになったが、ある日学校の音楽の授業で、自分の好きな音楽をジャンル問わず流していい時間があり、そこで出会いは訪れる。
クラスメイトがお勧めとして流した曲は、クラシックだった。壮大な交響曲を予感させる不穏な立ち上がりからストリングスの美しいメロディへ。映画音楽のようだった。素敵な雰囲気に聴き入っていると突然テンポが変わり、平井“ファラオ”光のような声の英語の語り。何を言っているかは全然わからなかったが、ジェットコースターがトップスピードで下る直前のような、まったく未知の世界に足を踏み入れる直前のようなアドレナリンが体の奥底からグツグツ湧いてきているのがわかる。そしてファラオによる「LOVE PHANTOM」の声と共に曲は一気にロック調へ。これまでの短い音楽人生の中では聴いたこともないキレの鋭いハイトーンヴォーカルにハードなサウンド、疾走感、そして予想のつかない曲展開。ポップな音楽しかまだ知らなかったピュアファラオ少年にとっては何もかもが新鮮で、このアーティストがたまらなくかっこいいと思った。
この衝撃の出会いからまさか30年近く経ち、老人となった今の今に至るまでこのバンドが好きでいられるとは当然思っていなかった。それはひとえに彼らが試行錯誤はありながらも常に上質な音楽を届け続けてくれているおかげに他ならないが、そもそもそのクオリティを保ちながら、これほど長く続くバンドにこのとき出会ったことが特別な出来事だったと思う。バンドってのは大抵色々な事情により長生きできないものだし。
とにもかくにもB'zと出会ったおかげで僕はロックという音楽に興味を持ち、ひいては音楽という表現の奥深さなど、いろいろなことを学ぶことができているので、そのあたりについては今後の連載の中でたっぷりじっくり触れていけたらと思う。
ブラザー(B'zファンの呼称)の皆さんもそうでない皆さんも引き続きぜひお付き合いのほどを。