【取締役と音楽】YMOマニアのヴィンテージシンセコレクター! 彼らから学んだクリエイティブな生き方

特集・インタビュー

[2018/3/23 11:30]

取締役はヴィンテージシンセコレクター

貸し会議室検索サイト『会議室.COM』の運営や、システム開発などの事業を展開しているアスノシステム株式会社の取締役に、ヴィンテージシンセサイザーを収集している方がおられるらしい。しかも、YMOにただならぬ思いを寄せているとか。これはなかなかDEEPでDOPEな話が聞けそうだ! 早速、同社の取締役の須貝氏にお話をうかがってきた!

アスノシステム株式会社取締役・須貝嘉典氏
取材のために持ってきていただいたProphet-5。1978年から1984年にかけてシーケンシャル・サーキット社から発売されていたアナログシンセサイザー。高級感があってカッコイイ!

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──このProphet-5って100万円以上するんですよね……?

新品のときには確かにそれくらいしたみたいですね。数が少ないから中古も価値が上がっているらしくて、40万〜50万円くらいするみたいです。Prophet-5は坂本龍一さんがYMO時代から今でもずっと使っていて、見た目もかっこいいんですよね。今はバーチャルアナログ音源がメインの時代ですが、このシンセは人気で復刻品も販売されているんです。教授(坂本龍一の愛称)はオリジナルと復刻品の両方を使っていますよね。僕が持っているのはオリジナルになります。

──こんな本格的な機材を買うということは、須貝さんも音楽活動をされていたのですか?

コピーバンドもしていましたが、音楽関係の仕事のお手伝いをしていたこともあって、そういうときに使っていました。

──ほかにもたくさん機材をお持ちだと聞きましたが……。

シンセだとProphet-T8、Polymoog、Jupiter-8、ARP ODYSSEY、Emulator II、mini KORG、KORG 800DVだったり、電子ドラムではSDS-Vとか、リズムマシンではLinnDrumやピコ太郎が使ったことで話題にもなったTR-808も持っています。ほとんど倉庫に眠っていますけど(笑)。

Prophet-T8。1983年に発売され、発売当初の国内定価はナント250万円!
Jupiter-8。YMOのアルバム『テクノドン』(1993年)で使用されたことで知られる
TR-808。数十万で取引されており、現在はかなり入手困難な様子

──やはりYMOメンバーが使用していた機材が多いようですね。

やっぱり大好きですから。「○○のツアーのときの教授のセット」みたいな感じで所有していたりします。

──いやぁマニアですね……。どのあたりのお店で購入したものですか?

原宿のFive Gさんや、えちごやミュージックさん、ネットでも一時はポチポチっと……。

──ポチポチで買える額ではない気もしますけど……。

本当ですよね……(笑)。最近はぜんぜん買っていないですけど、やっぱりすごく好きだったので。もったいないことにほとんどが倉庫に眠っているので、誰かに譲ってもいいかなって思ってるくらいです。

──ほしい人たくさんいますよきっと! ちなみにYMOの音楽との出会いは?

YMOの結成年だったと思います。歳の離れた従姉妹がYMOの曲を聴いていて、今まで聴いた音楽とは明らかに違うメロディアスな「ピコピコ音」を耳にして、衝撃を覚えたんです。その従姉妹に聴かせてもらっているうちにYMOの名曲の数々がリリースされて。小学校の高学年くらいからどっぷりハマったのですが、中学校1年生のときに“散開”になってしまって……。

──残念ながらライブを生で観る機会には恵まれなかったんですね……。

その「散開」のライブ(1983年)、行きましたよ!

──おお!

12月12、13日に行われた2日間の武道館公演のうち、2日目のほうに行きました。ただ、22日に行われた本当のラストライブには行けませんでしたけど。ライブ音源はそのあとテレビ放送などで聴くことができたのですが、どれも数曲足りなかったりして完全に全曲聴ける音源って発表されていないんですよね。NHKが完全な音源を所有しているという噂もありますが……。

IT業界の社長や役員にYMOファンが多い?

──それにしても小学生でYMOの魅力に気づくって早熟ですよね。YMOにハマった世代というともう少し上な印象もあります。

いや、同年代でもYMOファンは多いですよ。特に、IT業界の社長や役員で活躍している人たちにファンが多いと思います。

──成功者に多い!?

テクノポップというジャンルを開拓したという点や、斬新なレコーディング方法を取り入れたこと、独自の活動スタイルなど、「斬新で新しいものに挑戦していく」という部分が刺激的だったんだと思います。そんな彼らにハマったファンが、音楽だけでなく彼らの考え方、姿勢、物事への取り組み方などにも影響を受けて、それを仕事に活かし、成功に繋げているということなのかもしれません。

──確かに、YMOのファンの方はいろんな意味でハイセンスな方が多いように思います。

衣装もすごくおしゃれでしたし、テクノカットだったり、ファッション性もかなり高かったですからね。

──YMOが好きであることが今の仕事に良い影響を与えていることはありますか?

そもそもYMOがなかったら今の自分はいなかったと思います。これは大きなフォント&太字で書いてほしいくらい(笑)!

──(笑)。YMOとの出会いがすべてを変えた?

そのくらいの存在です。仕事に影響している部分では、企画、デザイン、設計、プログラミング、保守などの提案、それらの仕事をするうえで、相手の要望や意見を耳でしっかりと「聞く」こと。細野晴臣さんのように、新しいことにチャレンジする際、個性的なメンバーを「束ねる」こと。物事への取り組み方やコンセプトについて「戦略を練る」こと。これらの大切さがYMOの音楽や、彼らの言動から自然と自分のなかに浸透していて、仕事でもそういう部分を意識しています。また、彼らが今でも常に前進してくれていることも自分にとっては嬉しいことです。

──確かに、常に新しいことに挑戦していますもんね。

そういうところも自分にとってはすごく刺激的なんです。これからまだまだ自分も前進していきたいと思っています!

言葉の端々からあふれ出るYMO愛!

常にクリエイティブであるということ

あふれんばかりのYMO愛&シンセ愛を語ってくれた須貝氏。音楽に関わる仕事をしていた時期もあるという同氏は、当時YMOのメンバーに会い、一緒に仕事をする機会にも恵まれたという。それだけではなく“4人目のYMO”とも言われるシンセサイザープログラマー・松武秀樹氏とも20代の頃に会ったことがあり、今ではなかなか会えないもののSNSを通して連絡を取り合っているとか。そんな須貝氏は、現在の仕事のなかでも常にクリエイティブであり続け、優秀な人材を育成していきたいと語ってくれた。自身がYMOからインプットしたことを、今度は後進にアウトプットしていきたいという思いなのだろう。各地に存在しているというYMOファンの社長や役員を集めて、いつか座談会を開催してみたいですねこれは! 今日は本当にありがとうございました!

プロフィール

すがいよしのり●1971年生まれ、株式会社アスノシステムWEBビジネス部担当取締役。1991年に3Dコンピューターグラフィックスを制作する会社に入社後、数社での開発経験を経て、株式会社オン・ザ・エッヂ(後のライブドア)に入社。アウトソーシング事業部担当取締役に就任。上場した2000年、副社長に就任。2002年に同社を退社しシステム開発会社を設立したのち、2011年にアスノシステムに入社し現在に至る。

[綾小路 龍一]