【社長と音楽】手がけたアーティストを音楽の教科書にまで載せた元・敏腕プロデューサー社長!?

特集・インタビュー

[2019/1/11 17:00]

『ゆうきのうた』の世に広めた名プロデューサー

世に知られていない泣ける曲を紹介する音楽番組『誰も知らない泣ける歌』に取り上げられて注目を集め、小学校の音楽の教科書に掲載されるまでに至った楽曲『ゆうきのうた』。プロデューサーとして同曲を広めることに貢献したのは、現在、ウェブ制作を行う株式会社Colorの社長として活躍している石水朋哉氏だ。もともとは自身もミュージシャン活動をしていたという石水社長を今回は直撃し、その敏腕っぷりにシビれてきました!

株式会社Color 石水朋哉社長

——今回はかなり音楽に精通した社長さんにお会いできるとのことで、楽しみにしてきました!

いやいや、お恥ずかしいです……。

——たっぷりとお話をきかせていただければと思います(笑)! 社長は昔、ミュージシャンだったんですよね?

高校時代にドラムでバンドを始めて、そのあとギターやベースもやりました。ユニコーンとかいわゆるバンドブームの頃のバンドをコピーしたりして。その後、バンドはやめて社会人になり、コカ・コーラに就職したんですけど、ある日、人生を変えた出会いがありまして。

——どんな出会いですか!?

会社の後輩とバーで飲んでいたら、酔っぱらい3人組が急に話しかけてきたんです。「ドラム叩ける?」って。

——そんなことないですよね、普通(笑)。ドラム叩けそうなオーラが出てたんですかね……?

それで「あ、はい……」みたいになっちゃって(笑)。その人たちはバンドをやっててドラムを探してたみたいなんですけど、そのまま2年くらいそのバンドで活動しました。結局そこからまた音楽をやりたくなって、シンガーソングライターになるために愛媛から東京に行くことにしたんです。

——火がついちゃった。

はい。バンドをやりながら個人的に曲を作ってたりもしてたので東京で挑戦してみようかと。20代の後半でしたね。

昔のようにドラムのスティックを持っていただきました! ノリもよくて素敵!

——普通は音楽を辞めちゃったりする年齢なんですけどね(笑)。

そうなんですよね(笑)。8年くらいやってたサラリーマンもすっぱりやめましたから。上京してからは池袋、新宿、吉祥寺あたりで弾き語りをやったり、下北沢のライブハウスに出たりしました。でも結局、自分の歌が薄っぺらいって感じるようになってしまって。詞のセンスというか、その辺でどうがんばってもうまく自分の気持ちを伝えきれないというか。それで、BLANKY JET CITYの何かの曲を聴いたときに「あ、やめよう」と(笑)。

——確かにセンスのクセがすごいですけど……。

それできっぱりやめて、また仕事に没頭しまして。顧客管理業務の仕事をアルバイトから始めて2年くらいで社長になって。でもその頃に、一緒に上京してきた友達に不幸があったんです。さらに仕事のストレスもあって、僕もちょっとうつ病みたいな感じになってしまったんですよ。

——そうだったんですか。

ちょうどそのとき、昔にバーで声をかけてきたバンドの女性ボーカルと、彼女の娘さんたちのバンド“でんしれんぢ”が作った曲『ゆうきのうた』を聴く機会があって。それを聴いたときに、温かい歌詞の世界観に胸を打たれて涙をボロボロ流してしまったんです。それで「この曲を世に出したい!」と、プロデューサーとして世の中に広めるお手伝いを志願したんです。

——そこに繋がるんですか。

そうなんです。それでMVを作ってネットで公開したらNHKから取材要請をいただいて。それがきっかけになってラジオで流していただいたりしているうちに、エイベックスのプロデューサーから「うちからCDを出さないか」とお声がけいただいたんです。

——すごい!

メジャーデビューが決まって、僕はプロデューサー&マネージャーとして本格的に活動させてもらいました。日本テレビの音楽番組『誰も知らない泣ける歌』でも紹介していただいて、小学校の音楽の教科書にも掲載されたんです!

——めちゃくちゃ敏腕プロデューサーじゃないですか……!

教科書に載せるっていうのは僕のなかでゴールとして絶対に叶えたいと思っていたんです。学校をたくさんまわって「この曲を歌ってください!」って各所でお話をさせてもらって、子どもたちが歌っている映像を撮りためて。それで『誰も知らない泣ける歌』で紹介されることが決まったときに、子どもたちが歌っている映像を流させてもらったら、全国の先生方から「楽譜はないんですか?」と500通以上のメールをいただきました。そういう流れから音楽の教科書に掲載していただいたんです。

——でんしれんぢはもう活動していないんですか?

活動を始めたときには娘さんは12歳だったんですけど、進学などもあったので潔く解散しました。

——その後、石水社長はどうしたんです?

36歳のときだったんですけど無職になってしまったので(笑)、就職活動をして営業の仕事をすることになりました。結果、その会社から独立して、ウェブデザインやホームページ制作の会社、株式会社Colorを立ち上げることになりました。

——目まぐるしいですね……。株式会社Colorさんはいろいろなお仕事をされていてCG制作もしているんですよね。

その分野に長けているスタッフがいるので、GG制作も行っています。実は『ワンネス〜運命引き寄せの黄金律〜』という映画のCGを作ったときに、「曲が作れるなら主題歌も作ってほしい」と映画のプロデューサーに相談されて、その映画に曲を提供したりもしました。

——楽曲提供!? 過去の活動が完全にいまのお仕事に繋がっていますね。

ありがたいことにそうなんです。あとは『よさこい祭り』の出場チームに曲を提供したりもしました。そういうまったく触れたことがないジャンルだったりしてもおもしろそうだったらトライしちゃうんですよね。

——「おもしろそう」ってノリでできそうなジャンルじゃなさそうですけど。

よさこいは「演舞曲をミュージカル風に作ってほしい」っていうかなり難しいリクエストで苦戦もしましたけど(笑)。株式会社Colorではほかにも英会話スクールの比較サイト『ペラペラ部』、猫の健康を楽しく考える情報サイト『猫ねこ部』、婚活や恋活、お見合い女子を応援する総合サイト『女子恋』、AGA治療と薄毛の総合情報メディア『ハゲ活』といったウェブメディアも運営しています。

——非常に手広く展開されていますが、行き着くところは「ものづくりが好き」というところなのでしょうか。

本当にそうだと思います。音楽にしてもウェブ制作にしてもやっぱり作ることが好きなんです。自分が作ったものに対して「いいね」って言ってもらえる喜びのために仕事をしています。

——今後は楽曲制作の事業も拡大していきそうですかね(笑)!

楽曲制作は基本的に僕ひとりでやっていてスタッフも無関心ですが(笑)、個人的にはその分野も広げていこうと思っています! 今年も『よさこい祭り』の出場チームに楽曲を提供する予定です!

(おわり)

感度の高さ、そしてセンス!

「どんなことでもおもしろそうだったらトライしちゃう」と語ってくれた石水社長だが、普通はその気持ちだけでは誰もが納得できる形までもっていくことはできないだろう。物腰は穏やかながらも、言葉の端々からさまざまな分野における感度の高さがうかがえ、ものを作ること、そしてそれを人に届けるセンスが卓越している人物であるということをインタビュー中にびしびしと感じた。シンガーソングライター時代については謙遜して多くを語ってくれなかったが、そんな石水社長がどんな歌声でどんな歌をうたっていたのか、そちらも非常に気になった。機会があったらぜひ聴いてみたいです! 今後の楽曲制作活動にも期待しています! 石水社長、今回はありがとうございましたぁぁ!!

プロフィール

いしみずともや●1973年4月23日生まれ、愛媛県出身(埼玉県出生)。四国コカ・コーラボトリングでの営業、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、SEOコンサルタントなどさまざまな職種を経て、2011年にウェブ制作を主とする株式会社Colorを設立、代表取締役に就任。ウェブ制作やSEOの実績をもとに自社でウェブメディアを多数運営。また、依頼があれば作詞作曲の仕事も受けており、2019年の高知よさこい出場チーム『なんててかんてて』の演舞曲を制作中。

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