【大学時代にやったバイト・熊谷編 製缶工場】掟ポルシェ『男の!ヤバすぎバイト列伝』第9回

連載・コラム

[2016/3/9 12:00]

本連載はニューウェイヴバンド「ロマンポルシェ。」のボーカル&説教担当、DJ、ライター、ひとり打ち込みデスメタル「ド・ロドロシテル」など多岐な活躍をみせる掟ポルシェが、男気あふれるバイト遍歴を語る連載である。すべての社会人、学生、無職よ、心して読め!!


【第9回】大学時代にやったバイト・熊谷編 製缶工場



 1988年、埼玉県熊谷にある某大学に入学。入試問題が簡単過ぎて逆に引っかけか? と勘ぐりたくなるレベルのものばかり(例えば、英語の4択マークシートで「バレンタインデイは何月何日ですか」という問いに対し、Februaryと書かれている選択肢が一個しかない等)で焦った。何校か大学受験したものの、そのアホアホサービス問題続出の楽しい大学にしか受からなかった。だが、多分、そこに住むことにはたいそう意味があった。俺は熊谷に呼ばれていた。


 通学路には「殺しのオリンピックがあったら俺が金メダルだ」「ボディを透明にする」など数々の殺人名セリフでおなじみの愛犬家連続殺人事件の舞台となるペットショップ、アフリカケンネルがデーンと鎮座ましましており、ただでさえ不気味で殺伐とした熊谷の山林風景に実録の因果が楔を打っていた。いまもあの辺で猟奇的な事件が起きると、ああ熊谷だし仕方がないな、と大いにうなずく。山野一の漫画に登場する魔境・熊谷には、実は何も誇張がない。俺の大学生活は、駅前にヤンキーと偽造テレカ売りのイラン人が一個置きに規則正しくうんこ座りするKUMA★GAYAで始まった。本当に最悪だった。


 大学の学生課にまかせて一度も立地条件等を見ることなくアパートを決めたところ、熊谷駅から徒歩20分、窓を開けて上を見れば新幹線の高架、下を見れば発展途上国並のボロボロの客車(窓ガラスの割れた部分にダンボールをセロテープどめしてこれでなんとかなったべ?的なつもりでいるのが腹立つ)が平気で走行する秩父鉄道という、ダブル線路沿いの地獄物件に住むことになった。初めて自分の住処を見たとき、ショックのあまり仁王立ちしたまま2分ほど死んだ。


 枕元から15m程度しかないすぐ傍を新幹線が走ってるため夜遅くまで眠れず、寝ても振動で揺り起こされ、朝もはよからセメントを積んだ秩父鉄道の貨物列車が嫌がらせのように線路を軋ませ動き出すため、住んだ初日から睡眠不足に陥った。北海道の片田舎から出てきた者には拷問に近いものがあったが、1週間でどちらの電車の走行にも影響されることなく眠れるようになった。人間は慣れる生きものだとそのとき知った。

 電車が走っている時間に眠れるようになると、完全に昼夜が逆転した。バブル期のまっただなか、北海道では放送されていない深夜の関東ローカルテレビ番組がもっともおもしろい時期で、とにかく昼から翌朝までテレビを見るのに忙しく、学校にもあまり行かず、親からの仕送りだけで細々と生活してテレビを見まくった。


 ひとり暮らしを始めて真っ先に買ったのは、録画したテレビ番組のいいところを残すためのダビング用再生専用ビデオデッキだった。高岡早紀のフルーツインゼリーのCMでおっぱいがブルン!と揺れるシーンだけを百何十回人力で連続でダビングし続けて、ブ!ブ!ブ!ブ!ブルン! ブ・ブルン! ブ!ブ!ブ!ブ・ブッブルン! と延々編集する等で寝る間もないほど忙しく、当然バイトするどころではなかった。「貴族的ってこういうことなんじゃないか」と、自分のライフスタイルを客観視して割と普通にそう思っていた。

 それでもたまに北海道へ帰省する交通費を得るために、夏休みと冬休みの始めに仕方なく短期バイトをやることがあった。深夜の製缶工場では、コーヒー缶の印刷ミスを人力ではじくため仮眠時間含め1日13時間拘束されたりした。退屈な単純労働に加え、機械のミスを待ち続けるあいだ恐ろしく時間が経たない軽度の無限地獄に苦しめられたものの、職場にはいい人が多くて救われた。ソドムかゴモラかどっちかに該当する町・熊谷でバイトを探すと絶対死ぬ目に遭うと判断し、送迎バスに乗って川越まで出てきた甲斐があったというものだ。


 リーダー的に職場をまとめていたのは、まだ30代前半でバリバリに働き盛りの男性であった。これだけ人当たりがよければどんな仕事でもやっていけそうなのに、深夜大量の時間を奪われたうえ、たいして金にもならないバイトを続けているのか不思議だったので、一度率直に「なぜこんなところにずっといるんですか?」と聞いてみた。すると、「昼間起きてると、酒飲んじゃうんだよなぁ」と、はにかんだように答えてくれた。アル中で入院経験のある人だった。昼間の仕事をしていると、夕方仕事終わりでどうしても酒の誘惑が多大になる。それに耐えられる自信がないから夕方から朝にかけて働き、家に帰ったら寝るだけの生活を選んだのだという。酒を飲むと気付けば暴力をふるってしまっている自分を律する唯一の選択がこの職場だった。かわいそうと憐れむ代わりに、俺はここでは真面目に働くことにした。

 これまで勤務態度が恐ろしくナメていた俺だが、職場の人間関係さえ良ければ問題なく精勤に働けることがわかり、自分で自分に驚いた。3週間後、契約期間を満了し、製缶工場のバイトを終えた。時間効率が悪かったので、もう2度とやらないだろう。

 その後も上司が最悪な人間性を持つ者だった場合、こちらも容赦ないチンタラ勤務で対抗した。筋金入りの労働意欲のなさだったが、そんな使えない俺でも働かせてくれる職場はまだナンボでもあった。いい時代だったというしかない。

熊谷在住時代にはほかにも交通整理バイトをやった。が、特におもしろいことはなかったので、制服を着てキャッキャ言ってる写真だけ掲載。3週間後、突っ立ってるだけで立派に日焼けして顔面シャネルズ状態に


【著者紹介】

掟ポルシェ
(Okite Porsche)
1968年北海道生まれ。1997年、男気啓蒙ニューウェイヴバンド、ロマンポルシェ。のボーカル&説教担当としてデビュー、これまで『盗んだバイクで天城越え』ほか、8枚のCDをリリース。音楽活動のほかに男の曲がった価値観を力業で文章化したコラムも執筆し、雑誌連載も『TV Bros.』、『別冊少年チャンピオン』など多数。著書に『説教番長 どなりつけハンター』(文芸春秋社刊)、『男道コーチ屋稼業』(マガジン5刊)がある。そのほか、俳優、声優、DJなど、活動は多岐にわたるが、なかでも独自の視点からのアイドル評論には定評があり、ここ数年はアイドル関連の仕事も多く、イベントの司会や楽曲のリミックスも手がける。

[耳マン編集部]