「SNAIL RAMPの作り方12・レコーディングがスパルタすぎて泣く」タケムラ アキラ(SNAIL RAMP)『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマン・タケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
1995年8月上旬、死の黒部川(富山県ごめん)から生還した俺は、バンドメンバーとともに帰京。
そして不意に思い出したが、SNAIL RAMPで初めて音源をレコーディングしたのもこの頃、1995年の7月だか8月だった。曲は『A PIZZA ALREADY』と『SHE'S SO NICE』の2曲。メンバー以外にも、SCAFULL KINGの田上(トランペット&ボーカル)としゅうちゃん(サックス)にゲスト参加してもらい、レコーディングした。
このときに使用したスタジオは、江戸川区葛西にあるBeepというスタジオだったんだが、ここのオーナーでありエンジニアでもあるテツさんが、えらい怖いというか無愛想というか、とにかく客商売として考えたらあり得ない接し方でレコーディングを進めてくれた。
録ってるときにミスプレイがあり、そのプレイヤーが「すみません、もう1回録らせてください」と言えば、「はーい、わかりました。Aメロの2小節目ですよね。ではそのちょっと前から出しますので、合わせて弾いてください」とにこやかに答えるのが、普通のエンジニア。
でもテツさんは違う。「すみません、もう1回録らせてください」と言うメンバーに「……ピッ!」と無言で録り直し箇所をスタート。急なことに面食らい、またもやミス。「もう1回お願いします」「……。チッ(舌打ち)。ピッ!」でスタート。しかし「も、もうミスはできない!」そう思えば思うほどにミスをするのが人間だ。
「あ、あ、あの……もう1回だけチャレンジさせてください……(震え声)」
「あぁ? オメーは何回やったって変わんねーよ。これでいいだろ」と強制的にOKテイク扱いに。
そして少し難しいフレーズを弾こうとしたときには、数回失敗すると「そんなのオメーに弾けねえよ。そのフレーズ禁止な」と、ジャイアンでも言わないような命令をされたこともあった。
おもにテツさんの洗礼に遭ったのはギターの太郎で、何とか弾き切ったものの、もともと打たれ弱さを持っている太郎は、普通に半ベソをかきながら「タケちゃん、俺たちはお客さんのはずなのに、なんであんなこと言われないといけないがけ?」と、富山弁で俺に訴えた。しかしテツさんのやり方に一理あることも俺は気づいた。
Beepのようなリハーサルスタジオ併設のレコーディング施設は、お金のないインディーバンドが使用する。そういうバンドはレコーディング経験もほとんどないために、どこをOKテイクのラインにするか見失い、完璧を求めて永遠と言っていいくらい録り直しを重ねてしまうのだ。その結果時間だけが過ぎ、たった3分ほどの曲を録るのに6時間の格安レコーディングパックを丸々使い切ってしまったりする。
しかも時間をかけて10数回もリトライし、仮に弾けたとしてもそんな曲に勢いなどない。ただ「上手に弾こう」として丁寧に“置き”にいった音楽なので、聴いていてなんのテンションも感じられない。俺たちがやろうとしているPUNKはそんなものではないし、クラシックでもそうだと思う。しかもこれがJAZZだったりしたらなおさらであろう。
費用がかさんだうえに、録れたモノはクソ。バンドがこれではいけないのだ。それをテツさんは俺たちにいちいち説明することなく、舌打ちひとつで教えてくれた。
この2年後に俺はSCHOOL BUS RECORDSを立ち上げ、若手バンドのプロデュースとリリースを始めるのだが、よほどのことがない限り各バンド最初のレコーディングはBeepでやらせた。テツさんの適切なレコーディング技術に信頼を寄せていただけでなく、初っ端にここで揉まれておけばどんな現場に行っても萎縮することなくプレイできる、そんな理由もあったからだ。
かくして、テツさんとの長い付き合いが始まることになった。