「4人でやったSNAIL RAMPのライブ〜SNAIL RAMPの作り方・19」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマン・タケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
1997年1月あたり、新しいドラマーは石丸に決まった。このときの布陣はギター&ボーカルが太郎、ドラムに石丸、ベース&ボーカルが俺タケムラだ。
このタイミングで俺は、本当にやりたいバンドをやるべきだと強く思っていた。何もほかのバンドをやろうって話ではない。3ピースではなく、楽器を持たない独立したボーカルがいるSNAIL RAMPがやりたかった。
SNAIL RAMPでは便宜上俺がボーカルをやってはいたが、自分にその才能やフロントマンとしての器量が足りていないことはよくわかっていた。すでに中途半端に始まっていた活動を考えても「新たなボーカルを入れるなら、これが最後のチャンスかも」という自覚もあった。
そこでドラムを募集すると同時にボーカルも募集していたのだ。このときの応募はあまりなく、3人くらいだったと思う。ふたりは電話で話した時点で「何か違うな~」と感じ、会うことすらなかったが、残るひとりは自転車で10分という近所に住む奴だった。
「とりあえず1回ライブ観に来たら?」と誘い、そいつは下北沢SHELTERへやってきた。ライブ後に「メンバー募集で電話した者です」と話しかけてきたその男は、キリッとした顔だがテッペンにボンボンがついたニットキャップを被っている、カッコいいんだかカワイイんだか判断に困る容姿をしていた。
話してみると「観に行ってダサいバンドだったら、話しかけずに帰ろうと思っていた」とのこと。選んでいるのはコッチのつもりでも、実はお互いさま。ふるいにかけていくのは向こうだって同じなんだ、と思ったのを強く覚えている。
そいつと話しているのを見ていた女友達に「あいつをメンバーに入れるのはどう思う?見た目の感じだけで判断するなら」とあとから聞いてみると、「いいんじゃない? 随分かわいい帽子かぶっていたけど」との評。この女の子は世の流れに敏感で、この子が「いい!」「かわいい!」と評価した人、モノがヒットしていく様をみていたので、この子の言葉に乗ってみることにした。
ライブから数日後、SNAIL RAMPはその男と一緒にスタジオに入る。そして1~2曲だけ覚えてもらい、下北沢屋根裏でのライブではそいつにボーカルとして入ってもらった。全8曲くらいのセットリストの内1~2曲だけだったが、一緒にライブをやったのだ。
屋根裏の狭いステージの上、ライブをやりながら俺は思った。
「こいつ、悪くねーじゃん」
なりふり構わずライブするそのテンションは、俺がバンドで表現したいことのひとつだったし、何よりもこなれてくればこの男は「サマ」になると思った。
そしてその男の家に行ったときに気づいたのだが、この男はもともとギタリストでそこらの奴より余程うまく弾け、なおかつ機材にも興味があるタイプ。1996年当時のチャチな機材ではあったが、「SKAバージョンでカバーを録ってみたんだ」と曲を聴かせてくれた。流れてきたのは『蛍の光』だった。ギターが弾けるなら曲も書けるし、機材に興味があるならそれはバンドにとって強みになる。俺の、彼への評価は結構高かった。
ライブが終わり、その男が帰ってから太郎、石丸、俺はミーティングを始めた。「あいつ、いいじゃん。あのままボーカルで入れたいわ」と俺は主張。しかしギターの太郎は「うーん、悪くないけど俺は3人でやりたいなー」と消極的。ドラムの石丸に至っては「あの人が真ん中に立っちゃうと、ドラムの僕が見えなくなっちゃうんですよね……」というまさかの理由で反対した。
ふたりからはその言葉面以上の意思も感じ取れたため、俺は引き下がった。残念ではあったが、3名中2名に反対されては仕方がない。未練はあったが、「残念だけどスネイルは3人でやってみる」と彼に伝え、ほかのバンドを探してもらうこととなった。
その男の名は「米田章男」。
「AKIO」としてSNAIL RAMPに加入するのは、もうちょいあとのことになる。