「無名のSNAIL RAMPが初イベントをやってみた〜SNAIL RAMPの作り方・20」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』

連載・コラム

[2019/5/10 12:00]

1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマン・タケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!


のちにメンバーとなる米田(AKIO)をボーカルで入れることを諦め、ギターの太郎、ドラムの石丸、ボーカル&ベースのタケムラの3人で活動を再開したSNAIL RAMP。「この体制でいく」と決めたこともあり、その手始めに自主企画ライブをやってみることにした。それまで数回ライブをやっていた下北沢屋根裏でやるのもよかったが、屋根裏の店長・末岡に「企画やるならSHELTERを紹介するよ」と、なぜかほかのハコでやるよう促され、ある日、末岡に付き添われデモをSHELTERに持参した。

当時の店長さんは(のちにいい人とわかるのだが)、俺が説明するSNAIL RAMPの話を無茶苦茶つまらなそうに聞きながら、「1週間くらいしたら電話して」とぶっきらぼうに言い放ち、俺たちは帰された。

これが俺には結構な衝撃だった。彼がSNAIL RAMPのことを歯牙にもかけないのはわかる。当時のSNAIL RAMPは、2曲入りのデモをリリースしているだけの無名中の無名。わざわざバンド名を名乗る必要もないほどの無名だった。しかしこのときは違う。同じ下北沢のライブハウス「屋根裏」の店長が一緒にいるのに、あの態度。俺は驚愕した。

もちろん、俺たちバンドマンだって無意識の内にライブハウスに格付けをしてしまっている。ノルマさえ払えば誰でも出演できるようなライブハウスから、いつかはあのステージに立ってみたいと願うライブハウスへのステップアップを夢想する。でもそれが許されるのはこちら側だからであって、ハコの中の人が他のハコを見下す行為は失礼そのものでひたすらに不遜だ。しかしそれが眼前で行われたように思えたし、その態度に怒りを覚えるでもない様子の末岡に対してもビックリした。

「これは普通のことなのか?」

なんだかモヤモヤしながら1週間を過ごした俺は、デモを聴き「企画をやらせるかどうか」の判断をしたであろうSHELTERの店長に電話をした。

「あ~、あれね、前来た人。デモ? まだ聴いてない。また1週間後電話して」

件の店長はそう言って電話を切った。このときになると俺もバカバカしくなり、怒る気も失せていた。で、その足で屋根裏に向かい、店長・末岡に「せっかく紹介してくれたのに申し訳ないんだけど、ありゃないわ。もうあそこはいいや」と伝えた。

しかし1週間ほどすると末岡から「デモ聴いてくれたみたいだから、SHELTERに電話してみて」と連絡がきた。何かを感じた末岡がわざわざ間に入ってくれ、進捗を確かめてくれたようだった。末岡の気遣いに、つまらないことでヘソを曲げた自分を恥じながら電話してみると、店長は相変わらず素っ気ない態度で「企画やりたいんだっけ?」と訊きながら、「4月2日の火曜だったらいいよ」と候補日をくれた。

その日からバンドのブッキングに動いた。お客さんが入るかは未知数だったが、スカパンクを中心とするイベントにしたかったので、それに沿ったバンドを集めた。イベントのフライヤーはFRUITYのJUN×JUNが作ってくれた(画像参照)。この頃1996年当時のインディーズシーンでは、PCでフライヤーをデザインする人はほとんどおらず、JUN×JUNも文字どおりの切り貼りでこのフライヤーを作ってくれた。

そしてこのフライヤーを、初来日したVOODOO GLOW SKULLS(※アメリカのスカコアバンド)のライブで撒きまくった。改装前の渋谷O-EASTだったが、フライヤーを手渡していると無反応で受け取るお客さんに混じり、「え! スカパンクのイベントやるんだ!?」と反応してくれる人もいて、かすかではあったがシーンとしての盛り上がりも期待できる芽が見え隠れしていた。

そして当日。本当に誰も予測できなかったことが起きた。なんだかやたらと人が押し寄せ、あっという間にチケットがソールドアウトになり、SHELTER内が人でパンパンになった。SHELTER入り口のドアは室内に向かって開くため、会場内がギッチギチの満員になると、とうとう扉が開かなくなった。そして入ることも出ることもできないという、恐ろしい状況のなかでイベントを無事終えることができた。

下北沢SHELTERは、現在250人でソールドアウトのはずだが、当時は構わず詰め込んでいたので実券で300枚強、ゲストも入れたら320人をゆうに超えていたはずだ。酸欠になりながらも騒ぎまくっているキッズをステージ袖から見ながら、ここがシーンの先端であり、真っ只中なのだということを突如自覚したのを覚えている。

1996年4月2日(火)SNAIL RAMP初企画「A PIZZA ALREADY」at 下北SHELTER

大勢のお客さんの前でライブをしたのは、この日が人生で初めてだった。ライブ人数の規模で言えば最終的には100倍ほどまで膨れ上がっていくが、このときにはまだ想像もできなかった。

そしてこの日を境に、下北沢SHELTERをホームとしてライブ活動をしていくこととなる。

タケムラアキラ

竹村哲●1995年にスカパンクバンドSNAIL RAMPを結成。2000年にリリースしたアルバム『FRESH BRASH OLD MAN』でオリコン1位を獲得するなど、一時代を築く。バンド活動と並行し、2001年からキックボクシングを始め、2014年10月に43歳の年齢でNKBウェルター級チャンピオンに輝く。2015年12月12日には後楽園ホールにて引退試合を行なった。SNAIL RAMPは現在、“ほぼ活動休止”中。