「名古屋の名門・ホテル長楽その2〜SNAIL RAMPの作り方・23」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
1990年代後半から2000年代のバンドシーンを牽引したSNAIL RAMPのフロントマン・タケムラ アキラが書きたいことを超ダラダラ綴っていく新連載!
チェックインだけでホテル長楽の名門ぶりをおばちゃんのおっぱいとともに見せつけられたSNAIL RAMP一行。「これで部屋に鍵をしろ」と渡されたゴツい南京錠を片手に、先導するおばちゃんのあとをついていった。俺たちはその名門の風格に完全に飲まれていた。前を行くおばちゃんが館内の通路を曲がるたびに、うしろを行く俺たちはおばちゃんを(横に近い)斜めうしろから見ることになるのだが、当然におっぱいは出しっぱなしである。もうこの空間に「恥」という概念はないし、「おっぱい」という概念もない。俺たちとおばちゃんは完全にUNITYした。安倍首相が言うところの「アメリカのトランプ大統領と、考えが完全に一致しました」というやつだ(確信)。
そしておばちゃんはある部屋の前で歩みを止めた。おっぱいは出しっぱなしだ。「ここです」と言い、うっすい扉を開けた。あれは扉と言ってはマズいんじゃないだろうか、厚さ1センチほどの板、というかアレは襖(ふすま)なんだと思う。その扉を開けると5人が泊まるには絶対に狭い6畳ほどの部屋。「布団は敷いておきましたので」と言うおばちゃん。確かに敷いてはあるがそれは3組。俺たちは5人での宿泊予定だ。「すみません、泊まるのは5人なんであと2組の布団を」と言う俺。ここで、これを読む長楽童貞どもの心の声を当ててやろうか?
「はは〜ん、さては布団3組で5人寝ろってコトだ」
そう思ったんじゃない? このクソ童貞野郎が! そんな考えだから押尾学に矢田亜希子をもってかれんだよ(まだ忘れてない)! そんな長楽童貞を尻目におばちゃんは俺たちを部屋に招き入れた。そして「ふたりはココ」と指差した場所には確かにキチンと2組の布団が敷いてあった。「なーんだ、ここね。ってココかよっ!」とノリツッコミを入れる余裕もないくらい押入れ上下段のそれぞれに布団がビシッと敷かれていた。
「6人までは対応できますんで……」と言い残しておばちゃんは部屋をあとにしたが、あとひとりは一体どこでどうやって寝るのか。というか、そもそも押入れにふたり寝かせるのを「対応した」と言っていいものなのか。それを確認できなかったのが本当に心残りなのだが、当時の俺たちはすでに魂を抜かれたような状態になっていた。
「ここで5人……」
おばちゃんが出ていってからもしばらくは呆然としていたが、すぐに押入れベッドの争奪戦と、その闘いに敗れた者の「試しに寝てみるイベント」が始まった。「なんだ? このタヌキの化け物」と言われることが地雷でお馴染みのドラえもんからそのハードコアロハススタイルが広まった「押入れにて就寝」スタイル。それは世の小学生だけでなく、20歳をとうに超えた当時24歳の俺にとっても興味深いものであった。
SNAIL RAMPのメンバー3人は、嬉々として代わりばんこに押入れに入り、そして銘銘(めいめい)が「なんかイヤだな」と口走った。俺に至っては「絶対にイヤだ」と強く思った。あの圧迫感、そして最初スペシャルな感じがしたけど「うわ!これが現実か」とガッカリする感じは、むちゃくちゃ可愛い女の子と過ごしてみたら、何か自分と合わない。事ある毎にスレ違ってしまい一瞬で冷める、あれと一緒だった。
かくして俺は、普通に畳の上で寝ることなった。しかし誰かは押入れのなかで寝なければならない。こういうときにこそ頼りになる男、それがドラムの石丸だ。何せ、普段住んでいる家が「南京錠での施錠」で防犯が成り立っているアンチセコムニストであり、住環境の逆境をモノともしない下地ができている。
実際のところはその場で「誰が押入れで寝るか」は決めもしなかったのだが、ライブ後ホテルに帰着。寝る段となったら石丸は自然に押入れに吸い込まれていった。その辺に関してやつはすでに達観している感がある。
今回はここまで。長楽の魅力を書き切るのに時間がかかるが、仕方がない。ビル入り口はあんなに狭かったのに奥が深い、まるでインドのような魅力がある。インド行ったコトないけど。
じゃ、また次回。