「レーベル立ち上げの意外なハードル〜SNAIL RAMPの作り方・29」タケムラ アキラ『炎上くらいしてみたい』
K.O.G.A Recordsの古賀君だ。下北沢の重鎮のひとりとして君臨するもまったく威張らないステキな先輩なのだが、古賀君だけは極めて当然のことのように、プレス会社から大雑把な流通の流れを説明してくれた。
今となってはこのことなんて古賀君は覚えてもいないだろうが、俺は今でも恩に感じている。そもそもK.O.G.A自体歴史も長くリスペクトされているレーベルのひとつではあるものの、まさに地道に運営され続けてきたインディレーベル。それが一変したのがKEYTALKというバンドのリリースであったろうし、このヒットは俺にとっても大変に喜ばしいニュースだった。
話しが逸れたが、とにかく古賀君に教えてもらったCDプレス会社にアポを取り、先方の担当とプレスの打ち合わせをした。
「現在リリースしている自分たちのアルバムが○○枚位売れているから、シングルでも○○枚くらいのセールスは見込めると思う。なのでまずは初回分として○○枚ほどプレスしたい」
と堅実な枚数を示して試算してもらうと、約100万円弱ほどの見積もりができあがった。
自分の性格上、バンドマンだからと言って「働かない・貧乏」はもともとイヤだったし、21歳〜22歳から自営業のようなこともしていたので、この26歳当時でもその金額を問題なく払えるくらいの現金は持っていた。ただその担当者としてみれば、目の前の短パン&Tシャツの20代中盤の男が100万円をきちんと払えるとは思わなかったらしい。
「代金は前払いでいただいてもいいですか?」
と至極当然のことを要求した。とは言え、当初電話では後払いでいいという話しだったのが会ってみたら話しが一転したところをみると、こちらの話す内容、服装などで「信用できない」と判断されたんだろう。俺が高校生ほどの年齢であったりしたなら「人を見かけで判断しやがって!!」と憤慨していたろうが、この頃には「人は見かけで判断するもの。むしろ情報がそれしかないのに見かけで判断できないやつは危機感なさすぎ」と思うほど世間にコスられてきていたので、まったくショックでもなんでもなかった。
ただ「こいつはNGだな」と判断されたことには気分を害したし、後日にもっと安くプレスできる会社が見つかったので、この会社と取引することはなかった。
そして今この原稿を書きながら、「あのときのプレス会社、どうなってんのかな」とお節介にも程があるほど気になって検索してみた。しかしこのCD不況の昨今、仕方がないことだがその会社はもう存在していなかった……。
と書きたいところだが、現在もキチンと存続していたよ、おい!
何だよ、あの慎重な取引先選別を始めとする手法で、堅実な経営をしてたんだな!
やるじゃねぇかよ、DT JAPAN!